明史演義第四十五回 劉太監、榜して群賢を斥く/張吏部、強いて彼の美を奪う (劉太監榜斥群賢 張吏部強奪彼美)
諫臣の弾圧と蒋欽の死
劉瑾は焦芳と結んで専横し、成憲を勝手に改め言路を塞いだ。給事中の劉蒍・呂翀が劉瑾の奸邪を弾劾して劉健・謝遷の留任を求めたところ、武宗は激怒し二人を投獄した。南京の戴銑・薄彦徽も同様の上疏を行い、劉瑾の怒りを買って共に廷杖された。御史蒋欽は再度劉瑾を弾劾して重ねて杖罰を受け、獄中で鬼の声を聞くという不思議な体験をしながらも屈せず最後の上奏文を書き上げ、三度目の杖罰の末に獄死した。その遺言は劉瑾誅殺への烈しい訴えであった。
王守仁の受難と韓文・李夢陽の迫害
兵部主事王守仁(王陽明)も戴銑らを弁護する上疏を行い、杖五十の後に貴州龍場駅丞へ左遷された。道中、追手を欺くため入水を装って姿を隠し、後に赴任した。戸部尚書韓文は偽銀の一件を口実に降格・致仕させられ、李夢陽も投獄されたが、友人康海の取りなしで釈放された。以後、朝廷の人事・奏本の処理はすべて劉瑾・焦芳が握った。
劉瑾の専横と朝臣への迫害
都御史屠滽らが劉瑾の名を犯したとして跪いて謝罪させられるなど、劉瑾の威勢は朝廷を圧した。劉瑾は劉健・謝遷ら反対派を「奸党」として名指しした偽の詔を榜示し、恐れをなした官員の多くが致仕した。正徳三年には匿名の弾劾状が現れ、劉瑾は激怒して群臣を炎天下に長時間跪かせ、三百余名を投獄、暑気あたりで数名が死亡する事件も起きた。李榮・黄偉は同情的な態度を取ったため罷免された。
豹房の造営と権力の絶頂
劉瑾は東廠・西廠に加え内廠を新設して自ら統轄し、劉大夏・劉健・謝遷ら旧臣をなお迫害した。武宗の歓心を買うため西華門内に「豹房」を造営し、美童・歌女を集めて日夜武宗を歓楽に耽らせ、その隙に矯詔を乱発した。李東陽は劉瑾と衝突を避けて留任し、王鏊は無力を悟って辞去した。
劉宇・張綵の売官と奢侈
都御史劉宇は劉瑾に巨額の賄賂を贈って兵部尚書・吏部尚書に昇り詰めたが、入閣を仄めかされて浮かれた末に肩透かしを食い、致仕した。後任の張綵は売官で富を築き、蘇州知府劉介の愛妾を横取りするなど恣に美人を奪った。平陽知府張恕の愛妾を求めて拒まれると、誣告により投獄させ、結局妾を差し出させて赦免した。
評語
末尾の詩は、美人を得ることが却って禍の種となる様を詠み、恥を忍んで妾を献じた者への皮肉を込めている。この後、安化王寘鐇が総兵官を殺害し、劉瑾討伐を掲げて挙兵する事件が起こる。