明史演義第四十二回 威権を樹て汪直兵柄を竊む/譎諫を善くし阿丑君心を悟らす (樹威權汪直竊兵柄 善譎諫阿丑悟君心)

満四の平定

  • 楊虎狸は偽って脱走したふりをして満四を油断させ、東山に伏兵を敷いて満四を捕らえた。城内で新たに頭目に立った火敬も、項忠の包囲戦術によりまもなく捕らえられた。満四の従子満能も洞窟から追い出されて捕縛され、石城は破壊された。満四・火敬は京師に送られ処刑、項忠・劉玉らは功により昇進した。

汪直の台頭と西廠の設置

  • 万貴妃に仕える太監汪直は憲宗の寵を得て御馬監事を掌った。妖人李子龍の陰謀が発覚した事件をきっかけに、憲宗は汪直に錦衣官校を率いて市中を探らせ、これが功を奏したとして東廠の外に「西廠」を新設し汪直を総管とした。西廠は東廠を上回る勢力を持ち、多くの冤罪事件を引き起こした。
  • 大学士商輅は西廠の廃止と汪直の処分を強く上奏し、憲宗は一時激怒したが、商輅の理路整然たる弾劾(汪直の四つの大罪)により西廠を一旦廃止させた。しかし御史戴縉の迎合的な上奏により、まもなく西廠は再開され、汪直の権勢はさらに強まった。

汪直と項忠らの対立

  • 左都御史王越や吏部尚書尹旻らは汪直に取り入ったが、兵部尚書項忠だけは汪直に礼を尽くさず、両者は敵対した。項忠が汪直の不法を弾劾しようとするが、尹旻はこれに同調せず不発に終わる。
  • 汪直は吳綬という項忠の旧怨を持つ者を使って項忠を陥れ、憲宗もこれに惑わされて項忠を庶民に落とした。商輅も讒言により辞職を余儀なくされ、正しい大臣が次々に朝廷を去った。
  • 代わって汪直に媚びる王越が兵部尚書兼左都御史に、遼東巡撫の陳鉞も汪直に取り入り重用された。汪直は遼東視察の際に馬文升を冷遇されたことを恨み、陳鉞と結んで馬文升を讒言、投獄・左遷させた。

汪直の北征と栄達

  • 韃靼では汗位や部族間の抗争が続き、明はたびたび出兵して対応した。王越は汪直に取り入って北征を進言し、憲宗の許しを得て朱永・王越・汪直が出征。威寧海子で敵陣を奇襲し大勝、王越は威寧伯に封じられ、汪直も加増を受けた。
  • その後も北辺の攻防は一進一退で、大同での敗戦により総兵の許寧らが処罰される一方、汪直・王越は進退窮まり、朝廷内でも次第に不興を買うようになった。

汪直の失脚

  • 小太監の阿丑が芝居仕立てで汪直・王越・陳鉞の専横を風刺し、憲宗の心を動かした。御史徐鏞は汪直・王越・陳鉞が結託し天下を私している実情を弾劾する上奏を行った。
  • さらに東廠の太監尚銘が汪直の失脚を狙って隠れた不正を暴露。憲宗はついに汪直・王越らを処罰する決意を固め、汪直の奉御官職を剥奪、王越は爵位を削られ安陸州に配流、陳鉞・戴縉・呉綬らも罷免された。項忠・馬文升は復職を許された。

李孜省・繼曉らの専横

  • 万安は万貴妃に取り入り、李孜省は道術と賄賂で太常寺丞に、江夏の妖僧繼曉も梁芳を通じて憲宗に取り入り「国師」に封じられた。繼曉は淫らな行いで民を苦しめ、刑部員外郎の林俊が繼曉と梁芳の処刑を求める上疏をしたが、逆に投獄された。
  • 司礼太監懐恩が林俊の釈放を訴えると憲宗は激怒し硯を投げつけたが、懐恩は屈せず訴え続け、最終的に林俊らは減刑され地方官に左遷された。二人の直言は世に感銘を与えた。
  • 成化二十一年元旦、空に異変(雷鳴のような轟音)が起こり、憲宗を動揺させるところで本回は終わる。