明史演義太湖に入り廖永安陥没す/東浙を略し胡大海賢を薦む(第 八 回 入太湖廖永安陷沒 略東浙胡大海薦賢)
陳友諒の出自と池州攻防
- 常遇春・廖永忠が池州を攻略。元璋は天完(徐寿輝の国号)配下の陳友諒の脅威を警告する。友諒は漁師の出で、倪文俊を利用して勢力を伸ばし、後に文俊を謀殺させて実権を握り、次々と城を陥落させ池州にまで迫っていた。
- 友諒は百余艘の艦隊で池州奪還を図るが、常遇春らが撃退する。
李文忠の活躍と徐達の宜興攻め
- 李文忠は建徳を平定し嚴州府と改称。士誠の水陸両軍の来襲も撃退する。
- 士誠はなおも常州・常熟を狙うが湯和・廖永安に撃退される。一方で友諒配下の趙普勝が池州を再び陥落させ、太平の守将劉友仁も戦死。
- 元璋の密計により、徐達は太湖への糧道を断つ形で宜興を攻略。廖永安は太湖深追いの末、呂珍の計略にはまり捕らえられる。士誠に降伏を拒み、獄死した(後に元璋は楚国公に追封)。
池州奪還と趙普勝の最期
- 楊国興が太湖の水軍を率いて士誠軍を撃退し宜興を守り抜く。徐達・俞通海・趙德勝が池州を攻め、趙普勝と激戦の末これを撃退。
- 翌日、徐達は俞通海に水軍で背後を、自らと趙德勝で正面を攻めさせる挟撃策で普勝の陣営を落とし、池州を陥落させる(守将洪鈞を生擒)。
- その後、俞廷玉が安慶で普勝の伏兵に遭い戦死。元璋は離間の計を用い、趙盟という人物を介して友諒に「普勝謀反」の噂を流させる。友諒はこれを信じ、普勝を安慶で謀殺した。
婺州・処州方面の攻略と四賢の招聘
- 元璋自ら十万の兵を率い、常遇春を先鋒として婺州へ進軍。王宗顯の内応情報や胡大海の子・徳済の活躍で援軍を撃退し、婺州を陥落させて寧越府と改称、学校を開いて学問を興す。
- 続いて常遇春が衢州を攻略(守将宋伯顏不花を生擒)、胡大海・耿再成が処州を平定する。
- 胡大海の推薦で、宋濂・章溢・葉琛ら儒者が招かれる。さらに青田の名士(劉基)を再三の招聘の末、出仕させることに成功する。