明史演義朱亮祖、戦に敗れ捕らわる/張士徳、繋がれ帰り絶食す(第 七 回 朱亮祖戰敗遭擒  張士德縶歸絕粒)

寧国攻略、朱亮祖の捕縛

  • 徐達・常遇春らは寧国を攻める。守将楊仲英・張文貴は凡庸だが、猛将朱亮祖が頑強に抵抗し、常遇春を槍で負傷させるなど徐達軍は苦戦し、多くの犠牲を出す。
  • 元璋自ら親征し、吳楨・周德興・華雲龍・耿炳文らに順番に朱亮祖と戦わせて消耗させ、最後に唐勝宗・陸仲亨らが絆馬索で亮祖の馬を倒し生け捕りにする。
  • 元璋は亮祖の胆力を評価し、自ら縄を解いて厚遇。亮祖は感激して降り、宣城を自ら攻略して功を立てた。守将楊仲英は降伏、張文貴は妻子を殺し自刃した。

各方面の戦況

  • 太湖では趙継祖・俞通海が士誠の将王貴を降し呂珍を撃退(通海は右目を負傷しつつ奮戦)。泰興でも張鑑・何文正が敵将楊文徳を捕らえる。
  • 江陰では吳良・吳楨兄弟が協力して守りを固め、士誠の攻撃を退け続けた。
  • 鄧愈・胡大海は徽州を攻略。元の守将八爾思不花らを敗走させ、後に元の苗族の将楊完者の来襲も撃退し、婺源も陥落させた。

張士徳の生擒

  • 徐達・常遇春が常熟を攻める途上、士誠の弟で知勇兼備の張士徳(小字九六)の来援を受ける。徐達配下の趙德勝が対戦し、槊と刀で互角に渡り合う。
  • 德勝は徐達の密書に従い、影武者を用いた計略を仕掛け、士德を落とし穴に誘い込んで生け捕りにする。士德は徐達の陣を経て応天へ送られた。
  • 元璋は士德を殺さず軟禁するが、士德は使者を買収して密書を士誠に送り、元に降って共に金陵を攻めるよう勧める。士誠は迷ううちに士德が絶食して死んだと知り、悲しみのあまり元朝に降伏を申し出る。元璋はこれを見せかけと判断する。

揚州平定と孫氏の入宮

  • 元の張明鑑が青衣軍を率いて揚州を占拠し民を虐殺していると知り、元璋は繆大亨・李文忠を派遣。大亨が揚州を落とし、張明鑑・馬世熊を降す。
  • 元璋は民を虐殺した張明鑑を処刑し、罪の軽い馬世熊は助命した。世熊の養女・孫氏(陳州出身、戦乱で父兄を失い流浪した娘)が元璋に召され、後に側室として迎えられ、即位後は貴妃に封じられる。

評語

小子の詩は、艱難を経てこそ良縁が結ばれるものであり、英雄が美人を愛でるのは古来のならいで、孤児を憐れむという言葉も口実に過ぎないと皮肉る趣旨。