明史演義郭氏の娘、濠城に入侍す/常将軍、力もて采石を抜く(第 五 回 郭家女入侍濠城  常將軍力拔采石)

孫德崖の謀反、吳楨・胡大海の奮戦

  • 孫徳崖が左右に命じて朱元璋を殺そうとしたが、元璋の側にいた吳楨が機転を利かせ、剣を手に徳崖に迫り、彼を人質にして周囲の兵を抑えた。
  • 吳楨は徳崖に、元璋を城外へ送り出すよう迫り、徳崖はこれを承諾。徐達・胡大海らが元璋を守って先に出城し、吳楨は徳崖を後ろに従えて出た。
  • 城外に出たところで吳楨が徳崖を突き放すと、胡大海が斧で徳崖を斬り殺した。これに怒った濠州の呉通らが総攻撃をかけ、両軍が激戦となる。
  • 吳楨は劣勢を悟りつつ戦いながら退くうち、元璋の援軍が到着し勢いを盛り返す。呉通を討ち取り、元璋の軍は濠城へ突入して敵将を多数討ち、降伏した者は助命して濠州を平定した。

郭山甫の娘、元璋に嫁ぐ

  • 元璋が濠城へ援軍を出せたのは、李善長が心配して郭興・郭興の兄弟に一万の兵を率いて後詰めさせていたためであった。
  • 平定後、元璋は郭興・郭英兄弟の父・郭山甫を招いて宴を開いた。山甫は人相見に通じ、以前から元璋の相を貴人と見て息子たちを従軍させていた。
  • 山甫は自分の娘を元璋の側に上がらせたいと願い出て、元璋はこれを受け入れ、翌日娘を迎え側室とした。後に元璋が即位すると、この娘は寧妃に封じられる。

龍鳳建元と鄧愈・常遇春の来投

  • 元璋は和陽に戻ると、亳州から檄文が届き、劉福通が韓林兒(小明王)を擁立して国号を宋、龍鳳と改元したことを知る。郭天敍を都元帥、張天祐を右副元帥、元璋を左副元帥に任じるとの内容だった。
  • 元璋は臣従を潔しとしなかったが、天祐の勧めで、独立を保ちつつ表向き龍鳳の年号を用いることにした。
  • 胡大海の紹介で、虹県出身の若者鄧友徳(後の鄧愈)が来投。父・兄がともに元との戦で亡くなり、彼が軍を代わって率いていたという。元璋は「愈」の字を与えて改名させ、管軍総管に任じた。
  • 懐遠出身の常遇春も、盗賊の頭領劉聚のもとを離れて元璋に投じた。途中夢に神人のお告げを見たと語り、元璋に忠誠を誓う。渡江後の先鋒を約束される。

巣湖水軍の来帰と渡江

  • 巣湖の廖永安兄弟・俞廷玉父子らが千艘の船を率いて帰順を申し出る。元璋は喜び自ら巣湖に赴いて水軍を統率した。
  • 湖口を出たところで元の中丞・蠻子海牙の水軍と遭遇し、元璋は追撃を避けて馬腸河へ迂回するが、そこにも元兵が控えていたため、一旦兵を退いて陸路和陽へ戻る。
  • 改めて商船を集め黄墩へ出向き、折からの暴風雨に乗じて元の水軍を奇襲。蠻子海牙の大船は小回りが利かず翻弄され、退却した。

牛渚・采石磯の攻略

  • 元璋は牛渚磯を落とした後、要害の采石磯を攻める。守将・蠻子海牙は矢石を雨のように浴びせて頑強に抵抗し、郭英・胡大海らも一時退却を余儀なくされた。
  • 常遇春が藤牌を手に単身磯上に躍り上がり、敵将老星卜喇先を討ち取る。郭英・胡大海らも続いて突入し、蠻子海牙は敗走した。采石磯は陥落し、常遇春は先鋒に任じられる。

太平攻略と陶安の献策

  • 徐達の進言で元璋は船の綱を断ち、退路を断って太平城を攻略。元の守将らは逃げ、総管の靳義のみ入水して殉節した。元璋は軍紀を厳しくし、靳義を義士として弔った。
  • 郷紳の陶安らが元璋に、金陵を根拠地とすべきことを説く。元璋はこれに賛同し、太平路を太平府と改め、龍鳳の年号と紅色の旗・軍服を用いることとした。

評語

小子(語り手)の詩は、宋の龍鳳年号を借りて紅を旗色とすることを、漢の火徳になぞらえつつも、男児たるもの人の年号を借りることを恥じ、自ら奮起すべきだと戒める趣旨。