明史演義攻城掠地して奇才に出会う/幣を献じ疑いを解き賢婦に頼る(第 三 回 攻城掠地迭遇奇材 獻幣釋嫌全資賢婦)
定遠攻略、驢牌寨の計略
元璋は徐達・湯和ら二十余名を率いて定遠へ南下する。まず張家堡の驢牌寨に対し、費聚を偵察に送って糧食不足を知り、単身で寨に入って寨主を説得して降伏の約束を取り付けるが、寨主は約束を反故にしようとする。そこで軍糧の護送を装って壮士を隠した輿を寨に送り込み、不意打ちで寨主を捕らえ、砦を落とした。約を破った寨主は処断され、この評判で周辺から帰順する者が増えた。
繆大亨・横澗山の帰順
定遠の繆大亨は元軍に属して横澗山に拠っていたが、元璋は徐達と謀り、花雲に夜襲を命じる。花雲は火計で敵陣を混乱させ、一騎打ちの末に大亨を降伏させ、二万の兵と共に帰順させた。続いて秦把頭の部隊八百も加わり、元璋軍は勢いを増した。
馮国用兄弟・李善長の来帰
定遠の馮国用・国勝兄弟が来帰し、金陵を拠点として天下を治めるべしと献策する。元璋は喜んでこれを幕僚に迎え、滁陽へ進軍する。途上、李善長も加わり、漢の高祖に倣って人望を集めれば天下を平定できると説き、元璋は彼を書記に任じた。花雲を先鋒として進軍を続けた。
花雲の滁陽攻略と縁者との再会
花雲は寡兵ながら賊軍を蹴散らしながら滁陽に至り、これを陥落させる。入城した元璋のもとに、姪の文正、甥の李文忠、養子の沐英が相次いで現れ、感激の再会を果たす。元璋は文忠・沐英に朱姓を名乗らせ、三人は滁陽に留まった。
郭子興の泗州連行と趙均用への書状
その後、彭大・趙均用の意向で子興が泗州へ移され、濠州は孫徳崖が守ることになったとの知らせが入る。元璋はこれを彭・趙の策謀と見抜き、拒否の意を示す。やがて彭大が趙均用との内紛で戦死し、均用が力を増したと知ると、元璋は李善長に書状を書かせ、均用に子興への害意を戒める内容を送った。均用は不満ながらも子興を害するには至らなかった。
子興の疑念と馬氏の献金による和解
元璋は賄賂を使って子興の脱出を図り、無事に子興一行を滁陽に迎え入れ、滁陽王に推戴する。しかし子興は次第に元璋を疎んじ、部下や書記の李善長まで取り上げようとする。戦功を挙げても冷遇される元璋に、妻馬氏は「戦利品を献上しないことが不興を買っている」と気づき、自らの蓄えを義母張氏に贈って取りなす。これにより子興の疑念は解け、以後は軍事を元璋に相談するようになった。二子が酒に毒を仕込んで元璋を害そうとした際も、馬氏の忠告で元璋は難を逃れている。
六合救援と滁陽攻防の危機
元軍が六合を包囲し、六合が滁陽へ救援を求めるが、子興は旧怨から出兵を渋る。元璋の進言で兵一万を率いて赴援し、いったん六合の囲みを解くことに成功する。だが元璋不在の間に元軍が滁陽へ大挙して攻め寄せたとの急報が入り、城内は動揺する。(詩:戦事の変化の激しさと、外に将なき窮地を詠む)