明史卷二百七十六 列傳第一百六十四 曾櫻

常州知府としての剛直

  • 字は仲含、峽江の人。萬厯四十四年(1616年)進士、工部主事に授けられ、郎中を歴任した。天啓二年(1622年)やや遷って常州知府。
  • 諸御史が塩・倉・江漕・提學・屯田をそれぞれ巡って挙劾の権を握り、文書が日々至った。櫻は南京都察院に牒して言った。他の地方の守令は一人の巡按に奔命すれば足りるが、南畿だけは数人の巡按に奔命する。一切を戒飭し、鈎訪・取贖の陋習を罷めていただきたい。都御史の熊明遇がそのために約束を申し渡した。
  • 櫻は身を持して廉潔、政は愷悌で公平、強い者を畏れなかった。屯田御史が弾劾すべき属吏の姓名を求めたが櫻は応じず、御史が危言で脅すと、「僚属にはもう糾すべき者はいない。ただ知府が不甲斐ないだけだ」と答えて自ら下等の考課に署し、門を閉ざして罪を待った。撫按がしきりに慰留してようやく職務に戻った。
  • 織造中官の李實が知府に属官の礼をとらせようと迫ったが櫻は従わず、實が檄を移して「爾汝」と侮ると、櫻もまた「爾汝」で報い、ついに屈しなかった。
  • 無錫の髙攀龍、江陰の繆昌期・李應昇が逮えられたとき、櫻は昌期と應昇に費用を助け、攀龍の死後の事を取り仕切って文を作って祭り、その子と僮僕を獄から出した。宜興の毛士龍が魏忠賢に忤って戍に遣られると、櫻はそれとなく士龍に逃げるよう諭し、上官がその家人を捕らえたが櫻のおかげで免れた。武進の孫慎行が忠賢に忤って戍に当たったときは、櫻がその出立を遅らせ、忠賢が敗れて事は解けた。

福建での賊討伐と誣告事件

  • 崇禎元年(1628年)右參政として漳南を分守した。九蓮山の賊が上杭を犯し、櫻は壮士を募って撃退し、夜にその巣を搗いてほぼ殲滅した。士民が櫻のために祠を建てた。母の憂で帰り、服喪を終えて故官に起き、興・泉の二郡を分守し、按察使に進んで福寧を分巡した。
  • 先に紅夷が興・泉を寇したとき、櫻は巡撫の鄒維璉に副總兵の鄭芝龍を軍の先鋒に用いるよう請い、果たして勝報を奏した。劉香が広東を寇したとき、總督の熊文燦が芝龍を援軍に得ようとしたが、維璉らは香と芝龍に旧交があるのを疑って遣わさなかった。櫻が一族百口をもって芝龍を保証したので、ついに香を討ち滅ぼした。芝龍は櫻に深く感じた。
  • 崇禎十年(1637年)冬、帝が東廠の言を信じ、櫻が賄賂を使って官を得ようと謀ったとして、械をつけて京に赴かせよと命じた。御史の葉初春はかつて櫻の属吏で、その廉潔を知っていたので、別の疏でそれとなく弁じた。詰問の詔があり、櫻が賢であることを具に言ったうえで、賄賂がどこから来たのかは分からないと述べた。
  • 詔が閩に至り、巡撫の沈猶龍・巡按の張肻堂が廠の檄を閲すると、奸人の黄四臣の名があった。芝龍が前もって明かして言った。「四臣は私が遣わした者だ。私は櫻の恩に感じ、他所へ遷されるのを恐れて都下から様子を訊ねさせたのだが、四臣が妄言してこのような事になった」。猶龍と肻堂が具さに報告して力めて櫻の冤罪を明らかにし、芝龍もまた疏を具して罪を請うた。士民は櫻が貧しいのを思って金を出し合って旅装を調え、耆老数千人が闕下まで随って登聞鼓を撃ち冤を訴えた。帝は獄に入れず京邸で命を待たせ、芝龍の都督の銜を削り、櫻には故官のまま海道を巡視させた。

湖南・山東での治績と入閣、殉節

  • まもなく衡・永に寇が多いとして櫻を湖廣按察使に改め湖南を分守させ、敕を給した。故事では守道に敕は無いが、帝が特に賜ったのである。
  • 時に賊はすでに十余の州縣を荒らし、永州の知府・推官はいずれも職に堪えなかった。櫻は蘇州同知の晏日曙と歸德推官の萬元吉を薦めた。二人はちょうど事に坐して罷官していたが、櫻の言によってともに起用された。櫻はそこで芝龍を調して賊を討たせ、賊は多く降って一方は安んじた。
  • 山東右布政使に遷って東萊を分守。崇禎十四年(1641年)春、右副都御史に抜擢され、徐人龍に代わってその地を巡撫した。翌年、南京工部右侍郎に遷り、暇を乞うて帰った。
  • 山東が初めて兵禍を被ったとき、巡撫の王永吉の所部である済・兖・東の三府の州縣はことごとく失われたのに、匿して報告せず、兵が退いてから恢復したと報じた。櫻の所部の青・登・萊三府は失った州縣がいくらもなかったのに、すべて実のまま奏した。ところが罪を論ずる段になると、永吉はかえって總督に抜擢され、櫻は官を奪われて逮えられ刑部の獄に下された。十日もせぬうちに京師が陥ち、賊が囚人を釈したので、櫻は逃れ還った。
  • その後、唐王が福州で称号すると、芝龍が櫻を薦め、工部尚書兼東閣大學士に起こした。まもなく吏部を掌らせ、次いで太子太保・吏部尚書・文淵閣に進めた。王が延平に駐まると、櫻に福州を留守させた。
  • 大清の兵が福州を破り、櫻は家族を挈げて海外の中左衛に避けた。五年を越えてその地が兵禍を被り、ついに自ら縊れて死んだ。