出自と総督就任
- 范志完は虞城の人。崇禎四年(1631年)の進士。永平推官に授けられ、専ら察罕の撫賞を理めたが、意として行きたくなかったので、上疏して「権が軽い。特に疏を上げて軍事を奏することを許されたい」と言った。当事者は憎み、湖広布政司検校に謫した。
- 寧國推官に抜擢され、関内を分巡する僉事を歴任した。
- 十四年(1641年)冬、右僉都御史に飛び越えて抜擢され、山西を巡撫した。その座主の周延儒が国政に当たっていたので、ついに志完を兵部右侍郎兼右僉都御史に拝し、薊州・永平・山海・通州・天津の諸鎮の軍務を総督させ、楊繩武に代えた。
附伝・楊繩武
- 繩武は雲南彌勒の人。庶吉士から御史に改め授けられた。
- 十一年(1638年)冬、楊嗣昌の推薦によって召見され、言葉を吐くこと流れるごとく、地に画いて図を成した。帝はこれを偉として、右僉都御史に飛び越えて抜擢し、順天を巡撫させた。
- 洪承疇が松山で困ると、繩武を総督に抜擢し、ついで志完を代わりとし、繩武には遼東・寧遠の諸軍を総督させ、関を出て松山・錦州を救わせ、督師の銜を加えた。
- 翌年正月、繩武は官に没し、兵部尚書を贈られ、錦衣世襲百戸に廕された。
防禦の破綻
- そこで志完を左侍郎に進め、繩武と同じく督師として関を出させ、張福臻に薊鎮を督させて関内に駐させた。
- 王樸の諸軍が敗れてから兵力はいよいよ単薄となり、松山・錦州が相次いで失われた。志完はそこで寧遠城の南に五城を築いて輸送を護り、土着の民を募って充実させ、また覚華島の城を修めて掎角の勢とすることを議した。帝は甚だこれを頼りにした。
- 六月、銜を改めて「欽命督師総督薊遼昌通等処軍務・節制登津撫鎮」とした。遼の事が急なら中後所・前屯に移駐し、関内が急なら星のごとく馳せて援に入り、三協に警があれば薊・昌の二督と会同して力を併せ策応することとした。
- 当時、関の内外に二督を並べ建て、関外には督師の銜を加えて地位はとくに尊く、また昌平・保定に二督を設けた。かくて千里のうちに四人の督臣があり、さらに寧遠・永平・順天・密雲・天津・保定の六巡撫、寧遠・山海・中協・西協・昌平・通州・天津・保定の八総兵があった。星のごとく碁のごとく置かれ、防がぬ地はなかったが、事権はかえって一つでなかった。
- 十五年(1642年)、給事中の方士亮が福臻を昏庸と弾劾し、そのついでに「督師を関内に移せば薊督は裁減でき、福臻は罷められる」と言った。そこで福臻を召し還し、志完に関内を兼制させ、関門に移駐させた。志完は辞したが許されず、去ることを求めたが許されず、上疏して「薊を兼ねることはできぬ。なお薊督を設けられたい」と言った。月を越えてようやく趙光抃をこれに任じた。
- しかし大清の兵はすでに牆子嶺から入り、薊州を克って南下していた。兵部は志完の防備の疎さを弾劾し、廷臣もまた志完を貪愞と言った。帝は敵兵がまだ退かぬとして、罪を戴いて功を立てるよう責めた。
- しかし志完には謀略がなく、きわめて怯えて一戦も敢えてせず、行く先々の州県が覆没しても、ただ後ろについて騒ぎ立てるだけであった。兵が至るところ剽掠し、德州に至ったとき僉事の雷縯祚がこれを弾劾した。これより論列する者はいよいよ多かったが、帝はなお志完に後の効を責めた。志完はついに敢えて戦わなかった。
- 翌年、大清の兵が海州・贛榆・沐陽・豊県を攻め下し、やがて北へ旋ったが、志完・光抃はついに様子をうかがってともに進まなかった。
- 事が定まって罪を議するとき、縯祚を召して朝廷で対質させ、志完の逗留・淫掠の状を問うた。志完が弁ずると、御史の吳履中に問い、その答えは縯祚の言と同じであった。
- 当時、座主の延儒も督師して功がなかった。そこで志完を獄に下すよう命じ、十二月に志完を斬った。
- これより先、十二年(1639年)の封疆の案では罪に伏した者が三十六人あった。このときは失態が前より甚だしかったのに、誅されたのは志完・光抃および巡撫の馬成名・潘永圖、総兵の薛敏忠、副将の柏永鎮だけで、その他はことごとく問われなかった。しかも保定巡撫の楊進はうまく去ることができ、山東巡撫の王永吉はかえって遷擢を得た。帝の刑を用いることはここに至って窮まった。
史論
- 贊にいう――三路で師を喪ったこと、降を収めて敗を取ったこと、楊鎬と袁應泰は罪を同じくする。それでも君子が鎬を厳しく責め、應泰を寛く論ずるのは、士の重んずるところが節にあるからではないか。惜しむらくは熊廷弼は蓋世の材でありながら偏狭な性で忌みを買い、功名は遼で顕れ、遼で毀たれた。もし廷弼が辺城で死を効し、義として顧みなかったなら、なんと毅然たる節烈の丈夫であったろう。広寧の失は罪が化貞にあるのに、門戸のために曲げて廷弼を殺し、化貞の誅は数年も延ばされた。崇煥は智こそ疎かったが、いささか胆略があった。莊烈帝はまた讒間によってこれを誅した。国歩が移ろうとし、刑章が顛覆したのは、天ではないか。