出自と戸科給事中
- 汪若霖、字は時甫、光州の人。父の治は保定知府。若霖は萬厯二十年(1592年)の進士、行人を授かる。
- 三十三年(1605年)、戸科給事中に抜擢され、「有司の貪残は概して軽く論ぜられ律のとおりでない。辺の吏は脂膏を絞り尽くして外は敵に媚び内は要路に媚び、京軍十万も半ばは名目だけで、計にならぬ」と言った。兵部尚書の蕭大亨が弾劾されて去ることを求め、吏部が留任を議したので、若霖は力めて部議を詆った。
- 雲南で民変が起こり税使の楊榮を殺した。巡撫の趙用賓を召し従わせよとの言があり、四川の邱承雲に兼領させよと命ぜられた。若霖は「用賓は榮の悪を養成した。今それを問い質さずに、税を罷めることを請うどころか四川に領させよと唱えるのは、国に負くこと甚だしい。速やかに用賓を斥け、さきの命を取り消されたい」と言ったが、いずれも報ぜられなかった。
旱魃を機とする上疏と廷推の改革
- 禮科右給事中に進んだ。正月から四月まで雨が降らなかったので上疏した。その趣旨は次のとおり。
- 臣が『洪範』の伝を稽えるに、「言、従わず、これを不乂と謂う。その罰は恒に暘」とある。今、郊廟は親しく行うべく、朝会は挙ぐべく、東宮の講習は開くべきである。これらは下が繰り返し言うのに上が従わぬものである。
- また、上が言いながら中途で変わったものがある。税務を有司に帰したのに権璫がなお侵し奪い、廃せられた者を起こす明詔があるのに啓事はなお閣に沈んでいる、これである。
- また、下がたびたび言うのに久しく決せず、下が数々言うのに上が断ぜぬものがある。中外の大僚の推補、弾劾された諸臣の進退、これである。
- これらはみな「言、従わず」の類で、鬱積して災いとなる。天と人の常なる理である。陛下はどうして漠然としておられるのか。
- 当時、南京の戸部・工部の二部に尚書が欠け、禮部に侍郎が欠けていた。廷推は前の尚書の徐元泰、貴州巡撫の郭子章、前の詹事の范醇敬を挙げた。若霖は三人とも任に足りぬと言い、かつ推挙する者に私がないとは限らぬから、今後の廷推では一人が主持して衆がみな諾するようなことをやめ、推挙者の姓名を記録して祖宗の連坐の法を復されたいと請うた。詔して若霖の言のとおり申し飭し、推された者はみな沙汰止みとなった。
- 兵部主事の張汝霖は大學士朱賡の壻であるが、山東の試を掌り、取った士に文章の体をなさぬ者がいたので、若霖が疏で弾劾しその俸を停めた。中官の楊致中が法を枉げて指揮の鄭光を拷殺したので、若霖は同官を率いてその十罪を列挙したが報ぜられなかった。
朱賡・李廷機を論ずる
- 朱賡が独り相となって朝の事はいよいよ弛んだ。若霖は言った。「陛下は独り賡ひとりを相とされ、しかも昼の接見もなく、補いの奏牘にも応答がない。これが最大の患いである。今、紀綱は壊れ、政事は塞がり、人才は損なわれ、庶職は空しく、民力は窮し、辺方は廃れ、宦豎は横暴で、盗賊は多く、士大夫はほとんど廉恥礼義を忘れ、小民の愁苦冤痛の声は天下に徹している。輔臣は慨然として天下の重きに任じ、人心を収拾して天子に効すべきである。もしいたずらに謙譲していとまなく、あるいは人の言で軽々しく去就を思うのなら、陛下は何を頼りにされるのか」。賡は若霖の指すところに沿って、帝に急ぎ新政を行うよう力請したが、帝はやはり省みなかった。
- 五月朔、大いに雹が降った。若霖は、人を用いることが広くなく大臣が権を専らにする象であるとして、疏を具して切言した。まもなく京師で長雨が続き田や家屋が壊れると、若霖はまた「大臣が結託して寄りかかり合い、小臣が風に趨る。その流れはますます甚だしい」と言った。その意はまた賡および新輔の李廷機の輩を詆るものであった。
- 三十六年(1608年)、庫蔵を巡視して、老庫には銀わずか八万しかなく外庫は空っぽで、諸辺の軍餉として届いたのがやっと百余万であるのを見、集議して長策を立てることを疏請したが、これも留中された。
- これより先、吏部が考選して科道に授けるべき者を列挙し、知縣では新建の汪元功、進賢の黄汝亨、南昌の黄一騰を挙げた。朱賡の一党である給事中の陳治則が元功・汝亨を後押ししたので、若霖は二人が騒がしく競うと弾劾した。吏部はそこで部曹に改めて擬した。治則は怒って一騰が交々構えていると弾劾した。帝は言官が紛争しているとして部の疏を留めたが、廷臣がたびたび請うたのでようやく下し、若霖が煩わしい言を首唱したと責め、元功・汝亨・一騰とともに各々一級を貶して外に出した。廷臣が救いを論じたがみな省みられなかった。若霖はそのまま頴州判官に出て卒した。
史論
- 贊にいう。明の治は中葉以後、建言する者が曹を分けて朋をなし、おおむね閣臣を進退の基準とした。阿って寵を取れば与し、そうでなければ争った。与する者は清議に容れられず、争えば名が高まった。そのため当時、端揆の地はそのまま抨撃の的となり、国是は淆れた。
- とはいえ、言われたことの是非、閣臣の賢否は黒白のように判然としており、もとより私の怨みや憎しみで加えられるものではなく、また、すべてを直を沽り事を好むものだと片づけて、人の言は恤むに足りぬとしてよいものでもない。