明史卷二百八 列傳第九十六 錢薇

錢薇

  • 錢薇は字を懋垣といい、海鹽の人。嘉靖十一年(1532年)の進士。湛若水に学び、行人となった。淡々として自ら守り、同年の生である蔣信らと朝夕に学問を問い合った。
  • 禮科給事中に抜擢された。将帥の家丁が塞下の田を自ら耕せるようにし、その賦を徴収しないよう請うたが、総督の大臣が臨機の権を借りて辺外を専断していたため、阻まれて行われなかった。
  • また疏を上げて、大學士の李時、禮部尚書の夏言、工部尚書の温仁和、外戚の蔣輪を弾劾した。
  • 右給事中に進んだ。郭勛が鎮守内官の復活を請い、宿衛の将校を勝手に入れ替えたので、薇は憤ってその不法七か条を疏にした。帝は勛を寵愛していたが、もとより彼の横暴を知っていたので、両方とも不問にした。
  • 星の変異によって主君の徳の欠けたところを極言すると、帝は深く恨みに思ったが、まだ表に出さなかった。南巡を諫める疏によって俸を奪われた。
  • 内閣の夏言らが選んだ宮僚の多くが私情によるものだったので、弾劾して罷めさせた。薇は同僚の吕應祥・任萬里とともに、会推の故事どおり内閣と九卿を集めて公選するよう願い出たところ、帝は特命でともに斥けて庶民とした。たびたび推薦されたがいずれも取り上げられなかった。
  • 郷里の後進を集めて講学し、足跡は役所に及ばなかった。倭の害が起こると巡撫の王忬に請うて兵を集め備えとしたので、郷里の人々はその徳を慕った。五十三歳で卒した。隆慶の初め、太常少卿を追贈された。