楊淮
- 楊淮は字を東川といい、無錫の人。正徳十二年(1517年)の進士で、戸部主事を授かり、再び遷って郎中となった。
- 初め京倉を監したときは胥徒の積弊をほぼ革め尽くした。次いで淮・通の二倉を監したときは中官への茶果の供を罷め、囤基および額外の席草の費を除いた。最後に内庫を監したとき、宦官には慣例として供饋があったが、淮はことごとくこれを絶った。
- 公勤廉慎で、尚書孫交・秦金に重んじられた。
- 闕に伏して杖を受け、一月余りで卒した。嚢中に一物もなく、家人は屋を売って歛めた。金という淮と同郷の者が世話をして喪を帰した。のち太常少卿を贈られた。
申良――附伝
- 申良は字を延賢といい、高平の人。郷薦に登り、招逺知縣を授かった。山東で盗が起こると、良はあらかじめ戦守の具を備え、盗が至ると黄縣まで追撃して数百人を俘斬した。再び至ったときも重ねてこれを破り走らせた。
- 諸城・良鄉の知縣を歴た。権貴人が往来して要索したが、良はことごとく拒んだ。安吉知州に進んだ。錦衣の葉瓊が錢寧の勢を恃んで民田を奪ったとき、良は讞して民に還した。葉瓊はそこで奸人を嗾けて良を誣告させたが、事はついに明らかになった。
- やや遷って常州同知となり、入って戸部員外郎となった。淮とともに杖されて死に、太僕少卿を贈られた。招逺の民はその政を懐い、像を描いて祀った。