明史卷一百九十二 列傳第八十 王時柯

王時柯

  • 王時柯は字を敷英といい、萬安の人。正徳十二年(1517年)の進士で、行人を授かった。
  • 嘉靖三年(1524年)に御史に抜擢され、疏を上って言った。桂萼らは議礼で迎合し、伝陞で美官を得た。薛蕙・陳相・段續・胡侍らが章を連ねて論劾したのは実に至公から出たものである。今、佞人が超遷して群賢が罪を得ては、海内がこれを聞いて陛下は諛を好み直を憎まれると言うのを恐れる。忠讜の言を採って朋比の禍を消し、とくに薛蕙らを寛くし、席書・方獻夫の辞職を聴き、張璁・桂萼を別任に除せられれば、是非は謬らず人情は悦服する、と。旨に忤らって厳しく責められた。
  • まもなく闕に伏す事があり、重ねて杖されて名を除かれた。

余翺――附伝

  • 当時、御史で疏を上って大礼を争った者の筆頭は余翺である。字を大振といい、定逺の人。正徳中の進士で、嘉靖二年(1523年)に御史となった。かつて司禮太監張佐の蒙蔽の罪を弾劾した。
  • 翌年七月、時柯らとともに杖されて辺に戍された。戍所に居ること十三年、皇子が生まれて赦されて還った。
  • 穆宗が即位すると時柯・翺はともに官に復され、時柯には光禄少卿を贈られた。