明史卷一百八十九 列傳第七十七 戴冠

戴冠

  • 戴冠は信陽の人。正徳三年(1508年)の進士で、户部主事となった。寵臣が日ごとに増え、廩禄が多く費やされるのを見て、疏を上げて極諫した。その趣旨は次のとおり。
  • 古人は財を治めるにあたって、無駄飯食いを除くことに努めた。近ごろ京師の権勢家の子弟・下男が偽って爵賞をかすめ取り、錦衣の官属は一萬余に及び、その次の者は籍に載る勇士となり、監局の匠役に投じて充てられる者は数え切れない。いずれも国の害虫である。
  • 年に四百萬の漕運があり、以前は余剰があったが、近ごろは水旱で不足し、収入は前に及ばないのに支出はかえって上回っている。この輩のために三分の一が費やされている。陛下はどうして赤子の膏血で無用の害虫を養うのに忍びられるのか。
  • 兵は精を貴んで多を貴ばない。辺軍は辺地に生い育ち戦陣に慣れていて守りには十分である。いま警報があるたびに京軍を出し、宣府から京の操練に呼び入れた軍は、臣下がたびたび論じたのに頑として帰さない。陛下がなぜ辺軍を好んで関塞のことを慮られないのか分からない。
  • 天子は富を天下に蔵する。集めて帑蔵にするのは匹夫や商人の考えである。逆賊劉瑾が敗れて没収した財産は有司に帰さず豹房に蔵され、そこで新しい庫が作られた。そもそも供御の物は内に監局があり外に部司がある。この庫を何に用いるのか。
  • 疏が入ると帝は大いに怒り、廣東の烏石驛丞に貶した。嘉靖の初めに起用され、山東提學副使を歴任し、清廉潔白で知られた。