劉瑾を弾劾して杖死する
- 蔣欽は字を子修といい、常熱の人。𢎞治九年(1496年)の進士で、衛輝推官を授けられ、召されて南京御史に抜擢され、しばしば論奏があった。
- 正徳元年(1506年)、劉瑾が大學士の劉健・謝遷を追ったとき、蔣欽は同官の簿彦徽らとともに切に諫めた。劉瑾は大いに怒り、詔獄に逮えて廷杖し、民に落とした。
- 三日いて、蔣欽は独り疏を用意して述べた。「劉瑾は取るに足りぬ小者にすぎませんが、陛下は自ら腹心として頼み、耳目として任じ、股肱として遇しておられます。劉瑾が悖逆の徒であり国を蝕む賊であることをまるでご存じない。臣らが二人の輔臣の留任を奏し、諸々の権奸を抑えようとしたのを憤って、旨を偽って逮問し、杖を加え職を削りました。しかし臣は、田野にあっても君を忘れぬのですから、まして寝床で命を待ちながら時弊を目撃していて、どうして黙っていられましょう。先ごろ劉瑾は天下の三司の官から賄賂を取り立て、一人あたり千金、はなはだしきは五千金に至る者もありました。与えなければ貶し、与えれば昇進させる。国中が寒心しているのに、陛下だけが彼を左右に用いておられる。これは左右に賊がいることを知らず、賊を腹心としているのです。給事中の劉□が、陛下は人を用いるに暗く事を行うに昏いと指摘すると、劉瑾はその秩を削って打ち辱め、旨を偽って言官がみだりに議論することを禁じました。言わなければ座視する過ちを犯し、言えば法によらぬ虐待を受ける。国中が寒心しているのに、陛下だけが彼を前後に用いておられる。これは前後に賊がいることを知らず、賊を耳目股肱としているのです。一人の賊が権を弄び、万民は望みを失い、愁い嘆く声は天地を貫いているのに、陛下はぼんやりとして聞かれず、放っておいて天下の事を壊し祖宗の法を乱させておられる。それで陛下はどうやってご自身を立てられるのか。願わくは臣の言を聴いて速やかに劉瑾を誅して天下に謝し、しかるのち臣を殺して劉瑾に謝されたい。朝廷が正しくなれば万邪も君心に入れず、君心が正しくなれば万欲も侵せません。それが臣の願いです。今日の国家は祖宗の国家です。陛下がもし祖宗の国家を重んじられるなら臣の奏を聴かれよ。軽んじられるなら劉瑾の欺くにまかせられよ」。
- 疏が入ると、さらに三十杖を加えられ獄に繋がれた。三日を越えてまた疏を用意して述べた。「臣と賊の劉瑾とは両立しません。劉瑾が悪を蓄えたのは一朝一夕のことではなく、隙に乗じて事を起こすのが彼の本意です。陛下は日々遊びに興じてまったく悟られず、内外の臣民は氷を踏み淵に臨むように怯えております。臣は先日の再度の疏で杖を受け、血肉は淋漓、獄中で枕に伏しておりますが、ついに黙っていられません。願わくは上方の剣を借りてこれを斬りたい。朱雲は何者でしょうか、臣がわずかも譲るものですか。陛下、試みに臣と劉瑾を比べてください。劉瑾が忠なのか臣が忠なのか。忠か不忠かは天下がみな知っており、陛下もはっきりとご存じのはず。臣に何の恨みがあってこの逆賊を信任されるのですか。臣は骨肉すり減り涙は交々流れ、七十二歳の老父を養うこともできません。臣が死ぬのは惜しむに足りませんが、陛下が国を覆し家を喪う禍が朝夕に迫っているのは、まことに惜しむべきことです。陛下がまことに劉瑾を殺して午門にさらされれば、天下は臣欽に敢諫の直あることを知り、陛下に賊を誅する明あることを知りましょう。この賊を殺されないのなら、まず臣を殺し、臣を龍逢・比干と地下に遊ばせてください。臣はまことにこの賊と並び生きたくはありません」。
- 疏が入ると、また三十杖を加えられた。
- 蔣欽が草稿を書いていたとき、灯の下でかすかに鬼の声が聞こえた。蔣欽は、疏を上げれば異常な禍を招く、これはおそらく先祖の霊がこの奏を止めさせようとしているのだと思った。そこで衣冠を整えて立ち、「まことに先祖であるなら、なぜ声を張り上げて告げないのか」と言った。言い終わらぬうちに壁の間から声が出て、いっそう悲しげであった。蔣欽は嘆じて「すでに身を委ねた以上、義として私を顧みることはできぬ。黙って国に背き先祖の恥となれば、これ以上の不孝があろうか」と言い、また座って筆を振るい「死ぬなら死ぬまで。この稿は変えられぬ」と言った。声はそこでやんだ。
- 杖を受けて三日後、獄中で卒した。年四十九。劉瑾が誅されて光禄少卿を贈られ、嘉靖年間に祭葬を賜り、子一人が国子監に入るのを許された。