明史卷一百六十八 列傳第五十六 許彬

上皇の奉迎と復辟の謀議

  • 許彬は字を道中といい(底本は「宇道中」に作る。「字」の誤刻か)、寧陽の人。永樂十三年(1415年)の進士で、庶吉士に改められ、檢討に任じられた。正統の末、累進して太常少卿兼翰林待詔となり、四夷館を提督した。
  • 上皇が還るにあたり、許彬は宣府へ遣わされて奉迎した。上皇は罪己の詔および群臣への諭旨を起草するよう命じ、また敕して土木で戦死した官軍を祭らせた。これによって上皇に認められた。帰って本寺(太常寺)の卿に抜擢された。
  • 石亨らが上皇の復位を謀り、その計画を許彬に告げたところ、許彬は徐有貞を推した。その経緯は徐有貞の伝に詳しい。
  • 英宗が復位すると禮部左侍郎兼翰林院學士に進み、文淵閣に入直した。まもなく石亨に忌まれて南京禮部右侍郎として出され、赴任早々に陜西參政に落とされ、着任すると休職を乞うて去った。憲宗が立つと侍郎の身分で致仕するよう命じられ、まもなく卒した。
  • 許彬は性格が率直で交際を好んだが、人を選ぶことができず、当時の浮薄な士の多くがその門から出た。晩年に大政に参与し、門を閉ざして客を謝そうとしたが、客は態度の変わったことを憎んで競って謗ったので、ついにその地位に安んじられなかった。