明史卷一百六十五 列傳第五十三 葉禎

慶遠での戦死

  • 葉禎は字を夢吉といい、高要の人である。郷試に及第して潯州府同知を授かり、鳳翔に補されて慶遠に移った。
  • 兩廣では猺の賊が蜂起し、諸郡がみな害を被っていたが、将吏はおおむね尻込みして様子を見ていた。禎は賊とともに生きないと誓い、健児を募って日々訓練した。
  • 峒の酋長・韋父强はたびたび官軍を破っていたが、禎はこれを生け捕った。その一味は憤って総力を挙げて旗山の城を攻めた。守将は兵を抱えたまま救わず、禎が健児を率いて出て戦うと賊は退いた。すぐに追撃すると、禎の戦いは互角であったが、子の公榮が殺された。
  • ほどなく賊が鷄刺の諸村を囲んだので、禎は三百人を率いて赴いたが、途中の人頭山の下で賊に遭って激戦となった。禎は数本の槍を受けながら手ずから賊一人を斬り、甥の官慶および三百人とともに全員が死んだ。天順三年(1459年)正月晦日のことである。
  • 嶺南にはもともと雪が降らないが、この夜は雷電がはげしく、雪が一尺ほど積もった。賊は囲みを解いて去り、諸村は無事であった。
  • 事が報じられ、朝列大夫廣西參議を贈られ、守臣が廟を建てて祀った。