明史卷一百六十一 列傳第四十九 陳壯

出自と直言、たびたびの致仕

  • 陳壯は字を直大といい、先祖は浙江山隂の人。祖父が事に坐して交阯に流謫され、のち京衛に移されて、そのまま定住した。壯は天順八年(1464年)に進士に挙げられ、南京御史を授けられた。編修の章懋らが建言して罪を得ると、上疏して救った。帝が中官を遣わして花木を採らせたときも、上疏して諫めた。尚書の陳翌が馬豆をもって百官の俸に代えることを請うたときは、壯が「馬に飼う物で士大夫を養うべきではありません」と述べ、事は取りやめとなった。
  • 壯の家はもとより貧しく、常禄のほかは一切受け取らなかった。父母が没すると墓のかたわらに庵を結び、喪はすべて古礼に従った。江西僉事を歴任して致仕し、家に居ること十余年。𢎞治年間、尚書の張悦の推薦によって福建で起用されたが、二年で再び致仕を願い出た。当時、倪岳が吏部にあって、かねて賢としていたので河南副使に抜擢した。飢饉の年に飢民を救済し、民はその恵みを慕った。僉都御史の林俊が病で辞するとき、自分の後任に推薦したが、遷らないうちに壯はまた致仕を願い出た。廵撫の孫需が上奏して留めたが、さらに二年でついに致仕して去った。