出自と成化初の建議
- 夏寅は字を正夫といい、松江華亭の人。正統十三年(1448年)に進士に挙げられ、南京吏部主事を授けられた。学に励んで文を作り、宏大深遠と評され、郎中に進んだ。
- 成化元年(1465年)、任期満了で入都して上言した。「徐州は旱と水害で民は生きるすべもなく、飢えが身に迫れば必ず盗賊となります。特に大臣を遣わして鎮撫し、租を免じ倉を開いてください」。「沿道の貢船は丁夫が足りず老人や子どもまで使役していますが、積んでいる官物はわずか一箱で、あとはみな私物です。厳禁してください」。「淮・徐・濟寧の軍士は京師に赴いて操練しておりますが、その地は実に南北の要衝です。それぞれ文武の官を置いて鎮守させ、兵を訓練し屯田を営ませ、つねに両京の声勢を連絡させておけば、急変にも対処できます」。奏章は担当官庁に下されて実行されたが、文武の官を置く件だけは行われなかった。
- 江西副使に遷って学校を提督し、その教えはまず徳行を先とした。浙江右參政に進んだとき、處州の民が虐政に苦しんで山谷に逃げ込んでいたので、寅は檄を出して招き、みな解散した。久しくして山東右布政使に進み、𢎞治の初めに致仕して帰った。
- 寅は清廉正直で党与を持たなかった。かつて人に「君子には三つの惜しむべきことがある。この一生を学ばずに終えるのが第一、この一日を無為に過ごすのが第二、この身を一度損なうのが第三である」と語り、世に名言として伝えられた。