明史卷一百六十一 列傳第四十九 林碩

出自と誣告からの雪冤

  • 林碩は字を懋𢎞といい、閩縣の人。永樂十年(1412年)の進士。御史を授けられ、山東の按察に出た。宣徳の初め、浙江を按察し、政務は厳正で、そのまま按察使に抜擢された。
  • 千戸の湯某が中官の裴可烈と結んで不正な利を得ていた。碩が法をもって取り締まろうとすると、中官は碩が詔書を毀損したと誣告し、碩は逮捕された。碩は叩頭して「臣は以前は御史で七品の官、いま按察使に抜擢されて三品の官です。日夜励んで君恩に報いようと思っておりますのに、小人はそれを不都合として臣を除こうとしています。どうか陛下のご賢察を」と述べた。帝は表情を和らげ、「朕はもとより信じてはおらぬ。おまえを召して直接尋ねただけだ」と言い、ただちに碩を釈放して官に復し、敕をもって可烈を責めた。
  • 碩は浙江に長くあり、人々はその恵みを慕った。正統三年(1438年)、赦令の適用を誤って死罪の者を出したため、僉事の耿定に弾劾され、逮捕・訊問のうえ贖罪して復職した。その冬、廣東布政使に遷ったが、赴任しないうちに没した。のちに寧波知府の鄭珞が可烈の不法を弾劾し、可烈はついに罷免された。