明史卷一百四十二 列傳第三十 暴昭

暴昭

  • 暴昭は潞州の人。洪武年間に國子生から大理寺司務に任じられ、三十年(1397年)に刑部侍郎に抜擢され、翌年尚書に進んだ。剛直で節操が高く、布衣に麻の履という質素な暮らしで清儉をもって知られた。
  • 建文の初め、北平採訪使となり、燕の不法の状を掴んで密かに上聞し、あらかじめ備えるよう請うた。
  • 燕兵が起こると真定に平燕布政司が置かれ、昭は尚書のままその事を掌り、鐵鉉らと心を尽くして経営した。平安らの諸軍が敗れると召し還され、金川門が陥落したところで逃れたが捕らえられ、屈せずに磔死した。

侯泰

  • 昭の後を継いで刑部尚書となったのは侯泰、字は順泰、南和の人。薦挙によって身を起こし、建文の初めに尚書にまで進んだ。
  • 燕王が挙兵すると強く抗戦を主張し、濟寧・淮安で兵糧の督励に当たった。京師が守り切れなくなり、髙郵まで来たところで捕らえられて投獄され、弟の敬祖・子の玘とともに殺された。