明史卷一百三十六 列傳第二十四 朱升

「高築牆・廣積糧・緩稱王」

  • 朱升は字を允升といい、休寧の人。元末に郷薦に挙げられて池州學正となり、講授に法があった。蘄州・黄州で盗賊が起こると官を捨てて石門に隠れた。たびたび兵を避けて逃げ隠れたが、ついに一日も学を廃さなかった。
  • 太祖が徽州を下すと、鄧愈の推薦で召して時務を問うた。升は「牆を高く築き、糧を広く積み、王を称するのは緩やかに」と答え、太祖はこれをよしとした。
  • 吳元年(1367年)、侍講學士・知制誥を授けられ、国史編修に参加した。年老いていたので特に朝謁を免ぜられた。
  • 洪武元年(1368年)、翰林學士に進み、宗廟の時享・斎戒の礼を定めた。まもなく諸儒とともに女誡を編むよう命じられ、古の賢い后妃で手本とすべき事跡を採って編んで上った。功臣を大封したときの制詞の多くは升の撰で、当時、典拠が確かだと称された。
  • 一年余りで老齢を理由に帰郷を願い出、卒した。享年七十二。
  • 升は幼いころから学に力を入れ、老いても倦まず、とりわけ経学に深かった。著した諸経の旁注は辞が簡約で義が精緻であり、学ぶ者は楓林先生と呼んだ。
  • 子の朱同は禮部侍郎となったが、事に連座して死んだ。