明史卷一百三十 列傳第十六 張龍

張龍

  • 張龍は濠の人。江を渡るのに従い、常州・寧國・婺州を平定していずれも功があった。江州征伐に従って都先鋒となり、武昌を平らげ、花槍所千戸を授けられた。
  • 淮東平定に従い、海安を守り、張士誠の将と海口で戦って彭元帥を捕え、その兵卒数百を捕虜にした。進んで通州を攻め、賊将を撃ち斬り、威武衛指揮僉事に抜擢された。
  • 山東・河南平定に従った。大兵が潼關を克つと、龍を副として留守させた。洪武三年(1370年)、鳳翔の守りに調され、鳳翔衛指揮に改められた。
  • 賀宗哲が全軍で城を囲むと龍は固守した。宗哲が北門を攻めると、龍は兵を出して格闘し、矢が右脇に当たったが動じず、大いに破った。進んで鳳州を克ち、李參政ら二十余人を捕えた。
  • 大將軍徐達が沔州に入ると、龍に別に一軍を率いさせ、鳳翔から連雲棧へ入って興元を攻め、その守将の劉思忠を降した。蜀の将の呉友仁が来襲すると龍は撃退した。友仁がふたたび全兵で城に迫って攻城の器具を大いに整えると、龍は北門から突出して友仁の軍の後ろを回った。敵はみな甲や武器を棄てて走り、これ以来ふたたび興元を窺わなかった。召されて大都督府事に僉した。
  • 洪武十一年(1378年)、李文忠の副として西番の洮州を征し、功を論じて鳳翔侯に封じられ、禄二千石、世襲は指揮使とされた。
  • ふたたび傅友德に従って雲南を征し、七星關に鎮し、大理・鶴慶を破り、諸洞の蠻を平らげ、禄五百石を加えられ、世券を与えられた。
  • 洪武二十年(1387年)、馮勝に従って金山に出て納克楚を降した。翌年、勝が降兵を調発して雲南を征させたところ、常德に陣したところで叛いて去った。龍は重慶まで追ってこれを捕えた。
  • 洪武二十三年(1390年)春、延安侯唐勝宗とともに平越・鎮遠・貴州で屯田を督し、龍里衛の設置を議した。都勻が乱れると藍玉を助けて討ち平らげた。老いと病を理由に暇を請い、洪武三十年(1397年)に没した。
  • 子の張麟は福清公主を娶り、駙馬都尉を授けられた。孫の張傑は公主に侍って京師にあり、永樂の初めに侯を失った。傑の子が嗣を宣德十年(1435年)に詔恩を援いて乞うたが、吏部は「龍の侯は嗣がれぬこと四十年になる」と言い、許されなかった。