仇成
- 仇成は含山の人。はじめ従軍して萬戸に充てられ、しばしば遷って秦淮翼副元帥に至った。
- 太祖が安慶を攻めたとき、敵は固守して戦わなかった。廖永忠と張志雄がその水寨を破り、成が陸兵で乗じて安慶を克った。
- もともと元の左丞の余闕が安慶を守り、陳友諒の将の趙普勝がこれを陥れた。友諒が普勝を殺すと、元帥の余某という者が襲って取り返した。張定邊がふたたび来襲すると、余帥は逃げて死んだ。ここに至って成を横海指揮同知としてその地を守らせた。
- 当時、左君弼が廬州に拠り、羅友賢が池州で叛き、無為知州の董曾は陥落して死に、四面はみな賊の地であった。成は軍民を撫し集めて守りを厳密にしたので、漢兵は東下できなかった。
- 鄱陽征伐に従い、涇江口で敵を殲滅した功は最も大きかった。平江征伐では城の西南で張士誠の兵を破った。
- 洪武三年(1370年)、大都督府事に僉し、遼東に鎮した。久しくして屯戍に功がないとして永昌衛指揮使に降されたが、まもなく官に復した。
- 洪武十二年(1379年)、藍玉らの西征の功を論じて封ずべきこととなったとき、帝は成の旧勲を思って先に安慶侯に封じ、歳禄二千石とした。
- 洪武二十年(1387年)、征南副將軍に充てられ、容美の諸峒を討ち平らげ、ふたたび大軍に従って雲南を征して功が多く、世券を与えられ、禄五百石を加えられた。
- 洪武二十一年(1388年)七月、病を得ると、内醞と手詔を賜って見舞われた。没して睆國公を贈られ、莊襄と諡された。子の仇正が爵を襲った。