明史卷七十六 志五十二 職官五

この巻の目次

  • 公侯伯、駙馬都尉(儀賔を附す)、五軍都督府、京營、京衛、錦衣衛(旗手等衛を附す)、南京守備、南京五軍都督府、南京衛、王府䕶衛(儀衛司を附す)、總兵官、留守司、都司(行都司を附す)、各衛、各所、宣慰司、宣撫司、安撫司、招討司、長官司(蠻夷長官司を附す)、軍民府(土州・土縣を附す)。

公侯伯

  • 公・侯・伯の三等があり、功臣および外戚を封ずる。いずれも流(一代限り)と世(世襲)の別がある。功臣には鐵劵を給する。
  • 封號は四等。太祖を佐けて天下を定めた者は「開國輔運推誠」、成祖に従って起兵した者は「奉天靖難推誠」、その他は「奉天翊運推誠」「奉天翊衛推誠」。武臣は「宣力武臣」、文臣は「守正文臣」と称する。
  • 歳禄は功に応じて差等をつける。すでに封じられてさらに功があれば、爵はそのままで進爵し禄を増す。才能があり賢い者は營總督や五軍都督府の掌印・僉書、南京守備に充て、あるいは出て鎮守總兵官に充てる。そうでなければ禄を食んで朝請に列するだけである。年少で爵を嗣いだ者はみな國子監に入って読書する。
  • 嘉靖八年(1529年)、外戚の封爵は世襲を許さないと定めた。一、二代の世襲がある場合は特別の恩によるものである。

駙馬都尉(儀賔を附す)

  • 位は伯の上。大長公主・長公主・公主を娶る者はいずれも駙馬都尉と称し、郡主・縣主・郡君・縣君・鄉君を娶る者はいずれも儀賔と称する。歳禄にはそれぞれ差等があり、いずれも政事に関与できない。
  • 明初の駙馬都尉には兵を率いて出鎮したり府部の事を掌った者がある。建文のとき梅殷は鎮守淮安總兵官、李堅は左副將軍となった。成祖のとき李讓が北京行部の事を掌り、仁宗のとき沐昕、宣宗のとき宋琥がともに南京を守備し、英宗のとき趙輝が南京左府の事を掌った。その他は孝陵の奉祀、廟祭の摂行、宗人府の署事に、しばしば命を受けて一人がその任に当たるだけである。
  • 恩親侯の李貞、永春侯の王寧、京山侯の崔元のように恩澤によって侯に封じられたのは制度に外れたものである。

五軍都督府

  • 中軍・左軍・右軍・前軍・後軍の五都督府。府ごとに左右都督(正一品)、都督同知(從一品)、都督僉事(正二品。恩功による寄禄で定員はない)。属官として經歴司經歴(從五品)・都事(從七品)各一人。
  • 都督府は軍旅の事を掌り、それぞれ所管の都司・衛所を領して(詳細は兵志の衛所の項)兵部へ達する。武職の世官・流官・土官の襲替・優養・優給は、所属が府に上げ、府が兵部へ移して選を請い、選が済めば府へ移して都司・衛所へ下す。首領官は吏部の選授に任せ、繇の給付も同様である。
  • 武官の誥敕・俸糧、水陸歩騎の操練、官舍・旗役の併試、軍情の情報、軍伍の勾補、辺境・内地の地図と文冊、屯種・器械・舟車・薪葦の事は、いずれも所司へ移して総括処理する。
  • 各省・各鎮の鎮守總兵官・副總兵は、いずれも三等の真授・署職の都督および公・侯・伯をこれに充てる。大きな征討があれば諸号の將軍、あるいは大將軍・前將軍・副將軍の印を掛けて總兵が出征し、事が終われば府に納める。府の掌印および僉書はおおむね公・侯・伯である(時に老將で実際に都督である者が属することもあるが、十分の一にも及ばない)。
  • 沿革――はじめ太祖が集慶を下すと行樞密院を置いて自ら領し、また諸翼に統軍元帥府を置いた。まもなく樞密院を廃して大都督府を置き、朱文正を大都督として中外の諸軍事を節制させ、司馬・㕘軍・經歴・都事などの官を設けた。さらに左右都督・同知・副使・僉事・照磨各一人を増設し、あわせて斷事官を設けた。
  • 定制では大都督は從一品、左右都督は正二品、同知都督は從二品、副都督は正三品、僉都督は從三品、經歴は從五品、都事は從七品。統軍元帥府は元帥が正三品、同知元帥が從三品、副使が正四品、經歴が正七品、知事が從八品、照磨が正九品。また都鎮撫司を大都督府に隷属させ(それ以前は中書省に属した)、秩を從四品とし、まもなく統軍元帥府を廃した。
  • 吳元年(1367年)に官制を改定し、大都督を廃して置かず、左右都督を長官(正一品)とし、同知都督(從二品)・副都督(正二品)・僉都督(從二品)としていずれも品秩を昇進させた。属官として㕘議(正四品)、經歴・斷事官(從五品)、都事(正七品)、照磨(從七品)を設けた。
  • 洪武九年(1376年)に副都督を廃し、㕘議を掌判官と改めた。十二年(1379年)に都督僉事を正二品、掌判官を正三品に昇格させた。十三年(1380年)にはじめて都督府を五軍都督府と改め、在京の各衛所(ただし錦衣等の親軍・上直衛は五府に隷属しない)および在外の各都司・衛所を分領させ、中軍都督府の斷事官を五軍斷事官とした。
  • 十五年(1382年)に五軍十衛㕘軍府を置き、左右㕘軍を設けた。十七年(1384年)に五軍にそれぞれ左右斷事二人・提控案牘一人を設けた(いずれも從九品)。二十三年(1390年)に五軍斷事官を正五品に昇格させて五軍の刑獄を総理させ、五司に分けて司ごとに稽仁・稽義・稽禮・稽智・稽信の五人(いずれも正七品)を置き、それぞれその軍の刑獄を掌らせた。二十九年(1396年)に五軍照磨所を置いて文牘を専掌させた。建文年間に斷事および五司の官を廃した。
  • 永樂元年(1403年)に北京留守行後軍都督府を設け、左右都督・都督同知・都督僉事を定員なしで置き、經歴・都事各一人を設けた。後にまた五府に分けて行在五軍都督府と称した。十八年(1420年)に「行在」の字を除き、應天にあるものに「南京」の字を加えた。洪熙元年(1425年)にふたたび「行在」と称し、なお行後府を設けたが、宣徳三年(1428年)にまた廃した。正統六年(1441年)にふたたび「行在」の字を除いた。

京營

  • 永樂二十二年(1424年)に三大營を置いた。五軍營・神機營・三千營である。五軍營と神機營にはそれぞれ中軍・左右哨・左右掖を設け、五軍營と三千營にはそれぞれ五司を設け、營ごとに勲臣二人を選んで提督させた。諸營の哨・掖を管する官は坐營・坐司といい(各哨・掖の官もおおむね勲臣を充てた)、さらに把總・把司・把牌などの官を設けた(ほかに圍子手・幼官舍人・殫忠・效義の諸營があり、いずれも五軍營に附属した)。
  • 景泰元年(1450年)、三營の精鋭を選んで十圍營を立て、總兵に臨ませ總督に統べさせ、内臣に監させた。旧設のものは老營と号した(三老營は提督が六人、そのうち二人を選んで團營を領させた)。
  • 成化三年(1467年)に團營を十二に分け、營ごとにまた五軍・三千に分けて騎兵を統べさせ、神機に火器を統べさせた。各營の統領はいずれも都督・都指揮または列爵から選んで充て、總督がこれを統轄した。
  • 正德年間にはまた團營の精鋭を選んで東西の両官㕔を置き、なお三大營の将に統領させた。
  • 嘉靖二十九年(1550年)に團營と官㕔を廃してふたたび三大營に併せ、三千營を神樞營と改め、副將・㕘將・遊撃・佐撃・坐營・號頭・中軍・千總・把總などの官を設けた。
  • 割注(三大營の編成)――五軍營は、戰兵一營に左副將一、戰兵二營に練勇㕘將一、車兵三營に㕘將一、車兵四營に遊撃將軍一、城守五營に佐撃將軍一、戰兵六營に右副將一、戰兵七營に練勇㕘將一、車兵八營に㕘將一、車兵九營に遊撃將軍一、城守十營に佐擊將軍一、備兵坐營官一、大號頭官一。以上は部推(兵部の推挙)。監鎗號頭官一、中軍官十一、隨征千總四、隨營千總二十、選鋒把總一、把總百三十八。以上はいずれも營推。
  • 神樞營は、戰兵一營に左副將一、戰兵二營に練勇㕘將一、車兵三營に㕘將一、車兵四營に遊撃將軍一、城守五營に佐撃將軍一、戰兵六營に右副將一、車兵七營に練勇㕘將一、執事八營に㕘將一、城守九營に佐撃將軍一、城守十營に佐撃將軍一、備兵坐營官一、大號頭官一。以上は部推。監鎗號頭官一、中軍官十一、千總二十、選鋒把總六、把總百五十七。以上はいずれも營推。
  • 神機營は、戰兵一營に左副將一、戰兵二營に練勇㕘將一、車兵三營に遊撃將軍一、車兵四營に佐撃將軍一、城守五營に佐撃將軍一、戰兵六營に右副將一、車兵七營に練勇㕘將一、城守八營に佐撃將軍一、城守九營に佐擊將軍一、城守十營に佐撃將軍一、備兵坐營官一、大號頭官一。以上は部推。監鎗號頭官一、中軍官十一、千總二十、選鋒把總六、把總百二十八。以上はいずれも營推。三大營を合計すると五百八十六員。
  • 統轄は提督總兵官一員。のち提督を總督と改め、總督京營戎政の印を鋳て仇鸞に佩びさせた。さらに侍郎一人を設けて京營戎政を協理させ、巡視の科道官は年ごとに一度交替すると定め、内侍の官はことごとく廃して巡視主事を増設したが、まもなくこれも廃した。
  • 隆慶の初めに總督をふたたび提督とし、協理を閲視と改め、まもなく閲視も提督と改めた。四年(1570年)二月に京營の制を改め、三營にそれぞれ提督を設け、さらに右都御史各一員を提督に置いた。九月に六提督を罷めてふたたび總督戎政一人に戻した。天啓の初めに協理一人を増設したが、のちまた一人を減らし、崇禎の初めにまた一人を増やした。

京衛

  • 京衛指揮使司は指揮使一人(正三品)、指揮同知二人(從三品)、指揮僉事四人(正四品)。鎮撫司に鎮撫二人(從五品)。属官として經歴司經歴(從七品)、知事(正八品)、吏目(從九品)、倉大使・副使各一人。管轄の千户所は数が一定しない。
  • 京衛には上直衛と南北京の衛があり、品秩は同じ。それぞれ掌印と僉書があり、恩廕による寄禄には定員がない。
  • 上直の親軍指揮使司は二十六。錦衣衛・旗手衛・金吾前衛・金吾後衛・羽林左衛・羽林右衛・府軍衛・府軍左衛・府軍右衛・府軍前衛・府軍後衛・虎賁左衛(以上が上十二衛。洪武年間に置く)。金吾左衛・金吾右衛・羽林前衛・燕山左衛・燕山右衛・燕山前衛・大興左衛・濟陽衛・濟州衛・通州衛(以上が上十衛。永樂年間に置く)。騰驤左衛・騰驤右衛・武驤左衛・武驤右衛(宣徳八年〔1433年〕に置く)。番を組んで宿衛し、親軍と名づけて宮禁を護り、五都督府に隷属しない。
  • 京衛のうち都督府に隷属するものは三十三。留守左衛・鎮南衛・驍騎右衛・龍虎衛・瀋陽左衛・瀋陽右衛は左軍都督府に隷属。留守右衛・虎賁右衛・武徳衛は右軍都督府に隷属。留守中衛・神策衛・應天衛・和陽衛および牧馬千户所・蕃牧千户所はいずれも中軍都督府に隷属。留守前衛・龍驤衛・豹韜衛は前軍都督府に隷属。留守後衛・鷹揚衛・興武衛・大寧中衛・大寧前衛・會州衛・富峪衛・寛河衛・神武左衛・忠義右衛・忠義前衛・忠義後衛・義勇右衛・義勇前衛・義勇後衛・武成中衛・蔚州左衛は後軍都督府に隷属。
  • また京衛で親軍でなく都督府にも隷属しないものが十五。武功中衛・武功左衛・武功右衛(以上の三衛は工匠の関係で工部に隷属)、永清左衛・永清右衛・彭城衛・長陵衛・獻陵衛・景陵衛・裕陵衛・茂陵衛・泰陵衛・康陵衛・永陵衛・昭陵衛。
  • 沿革――明初に帳前總制親軍都指揮使司を置き、馮國用を都指揮使とした。後に金吾侍衛親軍都䕶府に改め置き、都䕶(從二品)・經歴(正六品)・知事(從七品)・照磨(從八品)を設けた。また各衛の親軍指揮使司を置き、指揮使(正三品)・同知指揮使(從三品)・副使(正四品)・經歴(正七品)・知事(從八品)・照磨(正九品)、千户所に正千户(正五品)・副千户(從五品)・鎮撫・百户(正六品)を設けた。
  • そこで武德・龍驤・將軍・飛熊・威武・廣武・興武・英武・鷹揚・驍騎・神武・雄武・鳳翔・天策・振武・宣武・羽林の十七衛の親軍指揮使司を置いた。これが親軍衛設置の始めである。まもなく金吾侍衛親軍都䕶府を廃した。
  • 洪武・永樂の間に親軍の諸衛を増設し、上二十二衛と名づけて宿衛を分掌させた。そのうち錦衣衛は巡察・緝捕をつかさどり詔獄を治め、都督や都指揮がこれを領した。他の衛とは格別に異なるものであった。
  • 留守五衛は、もと都鎮撫司として禁衛を総領し、先には中書省に属したが大都督府へ移され、都鎮撫(從四品)・副鎮撫(從五品)・知事(從八品)を設けた。まもなく宿衛鎮撫司と改め、宿衛鎮撫・宿衛知事を設けた。洪武三年(1370年)に留守衛指揮使司と改め、軍馬を専領して各城門を守禦し、皇城と城垣の造作を巡警させた。後に留守都衛へ昇格させ、天策・豹韜・飛熊・鷹揚・江陰・廣洋・横海・龍江・水軍左右の十衛を統轄させた。八年(1375年)にふたたび留守衛とし、天策など八衛とともに親軍指揮使司とした(ただし水軍左右の二衛は指揮使司のまま)。いずれも大都督府に隷属した。十一年(1378年)に留守中衛と改め、留守左・右・前・後の四衛を増置し、なお親軍とした。十三年にはじめて留守都督府を分けた。

錦衣衛(旗手等衛を附す)

  • 侍衛・緝捕・刑獄の事を掌り、常に勲戚の都督がこれを領する。恩廕の寄禄には定員がない。
  • 朝会・巡幸のときは鹵簿・儀仗を整え、大漢將軍(合わせて千五百七員)らを率いて侍從・扈行する。宿衛は番を分けて入直する。朝日・夕月、耕籍、視牲のときは飛魚服を着け繡春刀を佩びて左右に侍する。盗賊・奸宄や街路・溝洫のことは密かに探索して随時点検する。制を承けて獄を鞫し、囚を録し事を勘するときは三法司とともに行い、五軍の官舍の比試や併鎗には兵部とともに臨む。
  • 統べる所は十七。中・左・右・前・後の五所は軍士を領し、五所を分けて鑾輿・擎葢・扇手・旌節・旛幢・班劍・斧鉞・戈㦸・弓矢・馴馬の十司とし、各司が將軍・校尉を領して法駕に備える。上中・上左・上右・上前・上後・中後の六親軍所は將軍・力士・軍匠を分領し、馴象所は象奴を領して象を飼い、朝会の陳列・駕輦・馱寶の事に供する。
  • 沿革――明初に拱衛所を置き、秩は正七品、校尉を管領して都督府に属した。後に拱衛指揮使司と改めて秩を正三品とし、まもなくまた都尉司と改めた。洪武三年に親軍都尉府と改め、左・右・中・前・後の五衛の軍士を管し、儀鑾司を設けてこれに隷属させた。四年(1371年)に儀鑾司を正五品と定め、大使一人・副使二人を設けた。十五年に儀鑾司を廃して錦衣衛を置き、秩を從三品とした。属官には御椅など七員があり、いずれも正六品。經歴司を設けて文書の出入を掌らせ、鎮撫司に本衛の刑名を掌らせて軍匠を兼理させた。十七年に錦衣衛指揮使を正三品に改めた。
  • 二十年(1387年)、錦衣衛を治める者が非法に人を凌虐することが多かったため、刑具を焼き、繋がれていた囚人を出して刑部の審録に送り、内外の獄はすべて三法司に帰すよう詔して錦衣獄を廃した。成祖のとき復置し、まもなく北鎮撫司を増して詔獄を専治させた。成化年間に印を刻んで与え、獄が成れば直接上奏できることとし、錦衣衛に報告する必要をなくし、錦衣の官も干預できないこととした。旧設の分は南鎮撫司として軍匠を専理させた。
  • 旗手衛はもと旗手千户所であり、洪武十八年(1385年)に改置した。大駕の金鼓・旗纛を掌り、力士を率いて駕に随い宿衛する。割注――校尉・力士は民間の壮丁を選んで充てる。校尉は鹵簿・儀仗を擎執し、駕前で官員を宣召したり差遣に走ることを専職とし、錦衣衛に隷属する。力士は金鼓・旗幟を専領し、駕に随って出入し四門を守衛し、旗手衛に隷属する。
  • 毎年の旗頭・六纛の神の祭は、八月は壇で、十二月は承天門の外で行い、いずれも衛官が事に臨む。統べる所は五。

府軍前衛・その他の京衛

  • 府軍前衛は幼軍の統領を掌り、みな帯刀侍衛を習わせる。明初に帯刀舍人があり、洪武のときは府軍などの衛にみな技を習う幼軍があった。永樂十三年(1415年)、皇太孫のために幼軍を特選して府軍前衛を置き、官属を設けた(指揮使五人、指揮同知十人、指揮僉事二十人、衛鎮撫十人、經歴五人)。統べる所は二十五。
  • 金吾・羽林など十九衛は守衛・巡警を掌る。統べる所は合わせて百二。
  • 騰驤など四衛は力士を率いて駕に直し駕に随うことを掌る。統べる所は三十二。

南京守備

  • 守備一人、協同守備一人。南京では守備と㕘贊機務が要職である。守備は公・侯・伯を充て、中軍都督府の事を兼領する。協同守備は侯・伯や都督を充て、五府の事を領する。㕘贊機務は南京兵部尚書がこれを領する。治所は中府にあり、南都の一切の留守・防護の事を掌る。
  • 永樂十九年(1421年)に北京へ遷都し、中府の掌府事官に南京を守備させ、南京の諸衛所を節制させた。洪熙元年にはじめて内臣を守備に加えた。景泰三年(1452年)に協同守備一人を増設した。

南京五軍都督府

  • 左右都督・都督同知・都督僉事は全員は置かない。掌印・僉書はいずれも勲爵および三等の都督が当たり、南京の衛所を分掌して南京兵部へ達する。大教場の管領や江上の操備などの事は、各府が敕を奉じて分掌する。城門の鍵は中府が専掌する(当初は城門郎を設けたが、洪武十八年に廃し、門禁の鎖鑰と銅牌は中書・都督府が掌るよう命じた)。属官は經歴・都事各一人。

南京衛

  • 南京の衛指揮使司は四十九(官の設けは京衛の項に詳しい)。
  • 五都督府に分属するものが三十三。留守左衛・鎮南衞・水軍左衛・驍騎右衛・龍虎衛・龍虎左衞・英武衛・龍江右衛・瀋陽左衛・瀋陽右衛は左府に隷属。留守右衛・虎賁右衛・水軍右衛・武徳衛・廣武衛は右府に隷属。留守中衛・神策衛・廣洋衛・廣天衛・和陽衛および牧馬千户所は中府に隷属。留守前衛・龍江左衛・龍驤衛・飛熊衛・天策衛・豹韜衞・豹韜左衛は前府に隷属。留守後衛・横海衛・鷹揚衛・興武衛・江陰衛は後府に隷属。
  • また親軍衛指揮使司が十七。金吾前衛・金吾後衛・金吾左衛・金吾右衛・羽林左衛・羽林右衛・羽林前衛・府軍衛・府軍左衛・府軍右衛・府軍後衛・虎賁左衛・錦衣衛・旗手衛・江淮衛・濟州衛・孝陵衛。
  • 左府の所属十衛、右府の所属五衛、前府の所属七衛、後府の所属五衛は、いずれも中府の節制を受ける(底本は「孝陵衛興左府所屬十衛」に作る。「興」は「與」の誤りか)。各衛の領する所は百十八。

王府䕶衛(儀衛司を附す)

  • 王府䕶衛指揮使司は京衛と同じく官を設ける。王府儀衛司は儀衛正一人(正五品)、儀衛副二人(從五品)、典仗六人(正六品)。
  • 儀衛は侍衛・儀仗を掌り、䕶衛は非常への防禦と王邸の護衛を掌る。征調があれば朝廷の命に従う。
  • 沿革――明初、諸王府に䕶軍府を置いた。洪武三年に儀衛司を置き、司に正・副各一人を設けて秩を正副の千户に準じ、司仗六人を置いて秩を百户に準じた。四年に司仗を典仗と改めた。五年(1372年)に親王䕶衛指揮使司を置き、王府ごとに三䕶衛を設け、衛には左・右・前・後・中の五所を設け、所には千户二人・百户十人を置いた。さらに圍子手二所を設け、所ごとに千户一人を置いた。九年に䕶軍府を廃した。建文年間に儀衛司を儀仗司と改め、吏目一人を増置したが、成祖の初めに旧制に復した。

總兵官

  • 總兵官・副總兵・㕘將・遊撃將軍・守備・把總には品級も定員もない。一方を総鎮する者を鎮守、一路を単独で鎮する者を分守、一城一堡をそれぞれ守る者を守備、主將と同じ城を守る者を協守という。ほかに提督・提調・巡視・備禦・領班・備倭などの名がある。
  • 總兵・副總兵はおおむね公・侯・伯や都督を充てる。總兵で印を掛けて將軍を称する者は、雲南は征南將軍、大同は征西前將軍、湖廣は平蠻將軍、兩廣は征蠻將軍、遼東は征虜前將軍、宣府は鎮南將軍、甘肅は平羌將軍、寧夏は征西將軍、交阯は副將軍、延綏は鎮西將軍(諸印は洪熙元年に制定して頒った)。薊鎮・貴州・湖廣・四川および儹運淮安にある者は將軍を称して印を掛けることができない。
  • 宣德年間にさらに山西・陜西の二總兵を設けた。嘉靖年間に廣東・廣西・貴州・湖廣の二總兵を分けて四とし、福建・保定の副總兵を總兵に改め、さらに浙江總兵を添設した。萬厯年間には臨洮・山海に増設し、天啟年間には登萊に増設した。崇禎のときに至ってはいよいよ煩雑で数え切れず、その地位と権限もかつてのようではなくなった。明初は㕘將・遊撃・把總までも勲戚や都督などの官を充てることが多かったが、後にはまったく見られなくなった。

各鎮の總兵以下の編成

  • 薊州――鎮守總兵官一人(旧設。隆慶二年〔1568年〕に總理練兵事務兼鎮守と改め、三屯營に駐する)。協守副總兵三人。割注――東路副總兵は隆慶三年に添設、建昌營に駐し、燕河營・頭䑓營・石門寨・山海闗の四路を管理する。中路副總兵は萬厯四年(1576年)に改設、三屯營に駐し、馬蘭峪・松棚峪・喜峯口・太平寨の四路を帯管する。西路副總兵は隆慶三年に添設、石匣營に駐し、牆子嶺・曹家寨・古北口・石塘嶺の四路を管理する。分守㕘將十一人(通州・山海闗・石門寨・燕河營・臺頭營・太平寨・馬蘭峪・墻子嶺・古北口・石塘嶺・喜峯口の各㕘將)。遊撃將軍六人、南兵を統領する遊撃將軍三人、領班遊撃將軍七人、坐營官八人、守備八人、把總一人、提調官二十六人。
  • 昌平――鎮守總兵官一人。旧は副總兵を設け、また提督武臣があったが、嘉靖三十八年(1559年)に副總兵を裁し、提督を鎮守總兵に改めて昌平城に駐し、總督の節制を受けさせた。分守㕘將三人(居庸闗・黄花鎮・横嶺口の各㕘將)。遊撃將軍二人、坐營官三人、守備十人、提調官一人。
  • 遼東――鎮守總兵官一人(旧設。廣寧に駐する。隆慶元年〔1567年〕、冬期は河東の遼陽の適所へ移駐し、海州・川・瀋陽の防禦・応援を調度させた)。協守副總兵一人(遼陽副總兵は旧は分守であったが、嘉靖四十五年〔1566年〕に協守と改め、遼陽城に駐して開原・海州・險山・瀋陽などを節制する)。分守㕘將五人(開原・錦義右・海葢右・寧逺・寛奠堡の各㕘將)。遊撃將軍八人、守備五人、坐營中軍官一人、備禦十九人。
  • 保定――鎮守總兵官一人。𢎞治十八年(1505年)にはじめて保定副總兵を設け、後に㕘將と改め、正德九年(1514年)にふたたび分守副總兵とし、嘉靖二十年(1541年)に鎮守と改め、三十年(1551年)に鎮守總兵官として改設した。萬厯元年(1573年)、春秋の二季には浮圖峪へ移駐し、警急があれば紫荆闗へ移駐して入援に備えさせた。分守㕘將四人(紫荆闗・龍固二闗・馬水口・倒馬闗の各㕘將)。遊撃將軍六人、坐營中軍官一人、守備七人、把總七人、忠順官二人。
  • 宣府――鎮守總兵官一人(旧設。宣府鎮城に駐する)。協守副總兵一人(副總兵は旧も鎮城に駐したが、嘉靖二十八年〔1549年〕に永寧城へ移駐)。分守㕘將七人(北路獨石馬營・東路懐來永寧・上西路萬全右衛・南路神聖蔚廣・中路葛峪堡・下西路柴溝堡・南山の各㕘將)。遊撃將軍三人、坐營中軍官二人、守備三十一人、領班備禦二人(萬厯八年〔1580年〕に廃止)。
  • 大同――鎮守總兵官一人(旧設。大同鎮城に駐する)。協守副總兵一人(旧は左副總兵。萬厯五年〔1577年〕に「左」の字を除き、左衛城に駐する)。分守㕘將九人(東路・北東路・中路・西路・北西路・井坪城・新坪堡・總督標左掖・威逺城の各㕘將。威逺城㕘將は萬厯八年に廃止)。遊撃將軍二人、入衛遊撃四人、坐營中軍官二人、守備三十九人。
  • 山西――鎮守總兵官一人。旧は副總兵であったが嘉靖二十年に改設し、寧武闗に駐する。防秋には陽方口へ、防冬には偏闗へ移駐する。協守副總兵一人(嘉靖四十四年〔1565年〕に添設。はじめ偏闗に駐し、後に老營堡へ移駐)。分守㕘將六人(東路代州左・西路偏頭闗右・太原左・中路利民堡右・河曲縣・北樓口の各㕘將)。遊擊將軍一人、坐營中軍官一人、守備十三人、操守二人。
  • 延綏――鎮守總兵官一人(旧設。鎮城に駐する)。協守副總兵一人(定邊右㕘總兵。嘉靖四十一年〔1562年〕に添設し、安定・鎮靜などを分守し、大牆および牆口などを提調する)。分守㕘將六人(孤山・東路右・西路左・中路・清平・榆林保寜の各㕘將)。遊撃將軍二人、入衛遊擊四人、守備十一人、坐營中軍官一人。
  • 寧夏――鎮守總兵官一人(旧設。鎮城に駐する)。協守副總兵一人(これも旧設で、同じく鎮城に駐する)。分守㕘將四人(東路右・西路左・靈州左・北路平虜城の各㕘將)。遊撃將軍三人、入衛遊擊一人(萬厯八年に廃止)、守備三人、備禦領班二人(萬厯九年〔1581年〕に廃止)、坐營中軍官二人、鎮城を営理する都司一人、領班都司二人(萬厯九年に廃止)、水利・屯田を管理する都司一人。
  • 甘肅――鎮守總兵官一人(旧設。鎮城に駐する)。協守副總兵一人(甘肅左副總兵は旧設。嘉靖四十四年に髙臺へ移駐して防禦にあたり、隆慶四年に鎮城へ戻った)。分守副總兵一人(涼州右副總兵。旧設)。分守㕘將四人(莊浪左・肅州右・西寧・鎮番の各㕘將)。遊擊將軍四人、坐營中軍官一人、守備十一人、領班備禦都司四人。
  • 陜西――鎮守總兵官一人(旧は會城に駐したが、後に固原へ移駐)。分守副總兵一人(洮岷副總兵。萬厯六年〔1578年〕に改設し、洮州に駐する)。分守㕘將五人(河州・蘭州・靖虜・陜西・階文西固の各㕘將)。遊擊將軍四人、坐營中軍官二人、守備八人。
  • 四川――鎮守總兵官一人(隆慶五年〔1571年〕に添設し、建武所に駐する)。分守副總兵一人(松潘副總兵。旧設)。協守㕘將二人(松潘東路左・松潘南路右の各㕘將)。遊撃將軍二人、守備六人。
  • 雲南――鎮守總兵官一人(旧設。雲南府に駐する)。分守㕘將三人(臨元・永昌・順䝉の各㕘將)。守備二人、巡撫中軍坐營官一人。
  • 貴州――鎮守總兵官一人(旧設。嘉靖三十二年〔1553年〕に提督麻陽等處地方の職銜を加え、銅仁府に駐する)。分守㕘將二人(提督清浪右㕘將、提督川貴迤西左㕘將)。守備七人、巡撫中軍官一人。
  • 廣西――鎮守總兵官一人。旧は副總兵であったが嘉靖四十五年に改設し、桂林府に駐する。分守㕘將五人(潯梧左・栁慶右・永寧・思恩・昭平の各㕘將)。守備三人、坐營官一人。
  • 湖廣――鎮守總兵官一人(旧設。嘉靖十年〔1531年〕に廃し、十二年〔1533年〕に復設。萬厯八年にまた廃し、十二年〔1584年〕にふたたび復設して省城に駐する)。分守㕘將三人(黎平・鎮筸・鄖陽の各㕘將)。守備十一人、把總一人。
  • 廣東――鎮守總兵官一人。旧は征蠻將軍・兩廣總兵官であったが、嘉靖四十五年に分設して潮州府に駐する。協守副總兵一人(潮漳副總兵。萬厯三年に添設し、南澳に駐する)。分守㕘將七人(潮州・瓊崖・雷廉・東山・西山・督理廣州海防・惠州の各㕘將)。練兵遊撃將軍一人、守備五人、坐營中軍官二人。
  • 狼山――提督副總兵一人(嘉靖三十七年〔1558年〕に添設し、通州に駐する)。
  • 江南――鎮守副總兵一人。もとは總兵官で福山港に駐し、後に鎮江・儀真の二か所へ移駐した。嘉靖八年に裁革し、十九年(1540年)に復設、二十九年にまた廃し、三十二年に副總兵として改設して金山衛に駐し、四十三年(1564年)に吳淞へ移駐した。分守㕘將二人(徐州・金山の各㕘將)。遊撃將軍一人、守備六人、鳳陽軍門中軍官一人、把總十三人。
  • 浙江――鎮守總兵官一人。嘉靖三十四年(1555年)に總理浙直海防として設け、三十五年(1556年)に鎮守浙直と改め、四十二年(1563年)に鎮守浙江と改めた。旧は定海縣に駐したが、後に省城へ移駐した。分守㕘將四人(杭嘉湖・寧紹・溫處・台金嚴の各㕘將)。遊撃將軍二人、總捕都司一人、把總七人。
  • 江西――分守㕘將一人(南贑㕘將。嘉靖四十三年に改設し、會昌縣に駐する)。守備四人、把總六人。
  • 福建――鎮守總兵官一人。旧は副總兵であったが嘉靖四十二年に改設し、福寧州に駐する。分守㕘將一人(南路㕘將)。守備三人、把總七人、坐營官一人。
  • 山東――鎮守總兵官一人(天啟年間に増設)。總督備倭都司一人、薊鎮の班を領する都司四人。また河南に守備三人、薊鎮の班を領する都司四人。
  • 漕運――總督漕運總兵官一人。永樂二年(1404年)に總兵・副總兵を設けて官軍の海運を統領させたが、後に海運を廃して漕運を専督させた。天順元年(1457年)にはさらに河道の兼理を命じた。協同督運㕘將一人(天順元年に設置)。把總十二人(南京二、江南直隸二、江北直隸二、中都一、浙江二、山東一、湖廣一、江西一)。

留守司

  • 正留守一人(正二品)、副留守一人(正三品)、指揮同知二人(從三品)。属官として經歴司經歴(正六品)・都事(正七品)、斷事司斷事(正六品)・副斷事(正七品)、吏目各一人。中都・興都の守禦防護の事を掌る。
  • 洪武二年(1369年)、臨濠を中都とするよう詔し、留守衛指揮使司を置いて鳳陽行都督府に隷属させた。十四年(1381年)にはじめて中都留守司を置き、鳳陽など八衛(鳳陽衛・鳳陽中衛・鳳陽右衛・皇陵衛・留守左衛・留守中衛・長淮衛・懷逺衛)を統べて皇陵を防護させ、留守一人・左右副留守各一人を設けた(属官の經歴以下は前に列した通り)。
  • 嘉靖十八年(1539年)、荆州左衛を顯陵衛と改め、興都留守司を置いて顯陵・承天の二衛を統べて顯陵を防護させ、官の設けは中都と同じにした。

都指揮使司(行都司を附す)

  • 都指揮使一人(正二品)、都指揮同知二人(從二品)、都指揮僉事四人(正三品)。属官として經歴司經歴(正六品)・都事(正七品)、斷事司斷事(正六品)・副斷事(正七品)、吏目各一人。司獄司司獄(從九品)、倉庫・草場の大使・副使各一人。行都指揮使司の官の設けは都指揮使司と同じ。
  • 都司は一方の軍政を掌り、それぞれ所管の衛所を率いて五府に隷属し、兵部の指揮を受ける。都司はいずれも流官だが世官を得ることもある。毎年、撫按がその賢否を審査し、五年ごとに軍政を考選して廃置を決める。
  • 都指揮使および同知・僉事は、常に一人が司の事を統べて掌印といい、一人が練兵、一人が屯田に当たって僉書という。巡補・軍器・漕運・京操・備禦などの雑務にもそれぞれ選んで充て、そうでなければ帯俸という。備倭や守備で都指揮の事を行う者は、牙を建てて公座に昇ることができない。朝廷の吉凶の表箋では、序列の銜は布政・按察の二司の上に置く。經歴・都事は文書を掌り、斷事は刑獄を理める。
  • 沿革――明初に各行省の行都督府を置き、官の設けは都督府と同じにし、また各都衛指揮使司を置いた。洪武四年に各都衛の斷事司を置いて軍官・軍人の訴訟を処理させた。また都衛は方面を節制して職責が甚だ重いとして、朝廷が選択して昇調し、世襲を許さなかった。七年(1374年)に西安行都衛指揮使司を河州に置いた。
  • 八年十月、各都衛をすべて都指揮使司と改めるよう詔した。改設した都司は十三。燕山都衛を北平都司、西安都衛を陜西都司、太原都衛を山西都司、杭州都衛を浙江都司、江西都衛を江西都司、青州都衛を山東都司、成都都衛を四川都司、福州都衛を福建都司、武昌都衛を湖廣都司、廣東都衛を廣東都司、廣西都衛を廣西都司、定遼都衛を遼東都司、河南都衛を河南都司とした。行都司は三。西安行都衛を陜西行都司、大同都衛を山西行都司、建寧都衛を福建行都司とした。
  • 十五年に貴州・雲南の二都司を増置した。後に北平都司を北平行都司とし、永樂元年に大寧都司と改めた。宣德年間に萬全都司を増置し、天下の都司は合計十六となった(十三省の都司のほか遼東・大寧・萬全の三都司)。また建昌に四川行都司、鄖陽に湖廣行都司を置き、天下の行都司は合計五となった。
  • 明初にはまた各行省に都鎮撫司を置き、都鎮撫(從四品)・副鎮撫(從五品)・知事(從八品)を設けた。吳元年に都鎮撫を正五品、副鎮撫を正六品と改め、知事を提控案牘とした(品は省注)。洪武六年(1373年)に廃止した。

各衛

  • 衛指揮使司の官の設けは京衛と同じ(品秩もすべて同じ)。外衛はそれぞれ都司・行都司または留守司に統べられ、おおむね世官だが流官のこともある。
  • 襲替・陞授・優給・優養および所属の軍政について、掌印・僉書が都指揮使司へ報告し、隷属する都督府へ達して兵部へ移す。毎年、撫按がその賢否を審査し、五年に一度、軍政を考選して廃置を決める。
  • 衛の事を管理するのは掌印・僉書に限り、指揮使・同知・僉事の別を問わず、才ある者を考選して充てる。屯田・驗軍・營操・巡捕・漕運・備禦・出哨・入衛・戍守・軍器などの雑務を分理する者を見任管事といい、事に任ぜず隊に入る者を帯俸差操という。征行のときは属下を率いて任命された主帥の調度に従う。

各所

  • 千户所は正千户一人(正五品)、副千户二人(從五品)、鎮撫二人(從六品)。属官に吏目一人。管轄の百户所は十で、あわせて百户十人(正六品。昇授・改調・増置により定員はない)、總旗二十人、小旗百人。守禦千户所・軍民千户所も官の設けは同じ。
  • 千户のうち一人が掌印、一人が僉書となり、管軍千户という。百户には試(試用)と実授がある。掌印は常に一人が数印を兼ねる。軍政は衛が所へ、千户が百户を督し、百户の下に總旗・小旗があり、旗が卒伍を率いて命に従う。鎮撫は獄事がなければ軍を管し、百户が欠ければこれに代わる。守禦千户所は衛に隷属せず、みずから都司へ達する。
  • 衛所はいずれも都司に隷属し、都司はまた五軍都督府に分属する。割注――浙江都司・山東都司・遼東都司は左軍都督府に隷属。陜西都司・陜西行都司・四川都司・四川行都司・廣西都司・雲南都司・貴州都司は右軍都督府に隷属。中都留守司・河南都司は中軍都督府に隷属。興都留守司・湖廣都司・湖廣行都司・福建都司・福建行都司・江西都司・廣東都司は前軍都督府に隷属。大寧都司・萬全都司・山西都司・山西行都司は後軍都督府に隷属。
  • 沿革――明初に千户所を置き、正千户(正五品)・副千户(從五品)・鎮撫・百户(正六品)を設けた。また各萬户府を立て、正萬户(正四品)・副萬户(從四品)・知事(從八品)・照磨(正九品)を設けたが、まもなく名が実に称わないとして萬户府を廃し、指揮使・千户などの官を設けた。諸將の部下を調べ、兵五千の者を指揮使、千人の者を千户、百人の者を百户、五十人を總旗、十人を小旗とした。
  • 洪武二年に刻期百户所を置き、速く歩ける者二百人を選んで百户にこれを領させた。七年に衛所の制を申し定めた。それ以前は内外の衛所はすべて一衛が十千户を統べ、一千户が十百户を統べ、一百户が總旗二を領し、總旗が小旗五を領し、小旗が軍十を領していた(底本は「一百户領總旗二」の箇所を「户百户領總旗二」に作る)。このとき制を改め、衛ごとに前・後・中・左・右の五千户所を設け、おおむね五千六百人を一衛、千百二十人を一千户所、百十二人を一百户所とし、百户所ごとに總旗二人・小旗十人を設けた。
  • 二十年、はじめて各衛に掌印・僉書を立てて事を理める専職とし、指揮使に掌印させ、同知・僉事にそれぞれ一所を領させた。士卒に武藝が不慣れな者や器械の不良な者があれば、みなその領する官の責任とした。二十三年にはさらに軍民指揮使司・軍民千户所を設けた。
  • 天下の内外の衛は合計五百四十七、所は合計二千五百九十三。衛指揮以下はその官の多くが世襲で、軍士もまた父子相継ぐことを一代の定制とした。

土官宣慰使司

  • 宣慰使一人(從三品)、同知一人(正四品)、副使一人(從四品)、僉事一人(正五品)、經歴司經歴一人(從七品)、都事一人(正八品)。

宣撫司

  • 宣撫使一人(從四品)、同知一人(正五品)、副使一人(從五品)、僉事一人(正六品)、經歴司經歴一人(從八品)、知事一人(正九品)、照磨一人(從九品)。

安撫司

  • 安撫使一人(從五品)、同知一人(正六品)、副使一人(從六品)、僉事一人(正七品)。属官に吏目一人(從九品)。

招討司

  • 招討使一人(從五品)、副招討一人(正六品)。属官に吏目一人(從九品)。

長官司(蠻夷長官司を附す)

  • 長官一人(正六品)、副長官一人(從七品)。属官に吏目一人(未入流)。
  • 蠻夷長官司は長官・副長官各一人(品は上に同じ)。ほかに蠻夷官・苗民官および千夫長・副千夫長などの官がある。

軍民府(土州・土縣を附す)

  • 軍民府・土州・土縣の官の設けは府・州・縣と同じ。
  • 洪武七年、西南の諸蛮夷が朝貢したとき、多くは元の官職に因ってこれを授け、やや統制を加え、征徭・差發の法を定めた。次第に宣慰司となったものが十一、招討司となったものが一、宣撫司となったものが十、安撫司となったものが十九、長官司となったものが百七十三である。
  • その府州縣の正官・次官・属官は土官のこともあり流官のこともある(おおむね宣慰などの司の經歴はみな流官で、府州縣の佐貳も流官が多い)。いずれもその土俗に従わせて諸蛮を懐柔し、疆土を謹んで守り、職貢を修め、征調に応じさせ、互いに二心を抱かせないようにした。互いに讐する者があれば疏を上げて天子の命を仰いだ。
  • ほかに番夷の都指揮使司が三、衛指揮使司が三百八十五、宣慰司が三、招討司が六、萬户府が四、千户所が四十一、站が七、地面が七、寨が一ある(詳細は兵志の衛所の項)。いずれも寨に附いた番夷にその地を治めさせた。