明史卷六十六 志第四十二 輿服二
- この巻は輿服志の第二で、冒頭に「皇帝冕服/后妃冠服」「皇太子親王以下冠服」という項目立てが掲げられている。以下、皇帝の礼服から宗室・命婦の冠服までを順に記す。
皇帝冕服
- 洪武元年(1368年)、学士の陶安が五冕(五種の冕服)を製作するよう請うた。太祖は、それでは礼が煩雑にすぎるとして退け、天地・宗廟の祭祀には袞冕を、社稷などの祀りには通天冠と絳紗袍を用い、それ以外は使わないと定めた。
- 洪武三年(1370年)、規定を改め、正旦・冬至・聖節にはいずれも袞冕を着ることとし、社稷・先農の祭祀、冊立・拝礼のときも同様とした。
- 洪武十六年(1383年)、袞冕の制を定めた。
- 冕は前が円く後ろが方形、表は玄(元)、裏は纁(あかね)。前後にそれぞれ十二旒。旒は五采の玉十二・五采の珠を用い、繅は十二就で、就と就の間隔は一寸。紅の絲組を纓とし、黈纊(きいろの綿玉)を耳あてとし、玉の簪導を挿す。
- 袞は玄衣・黄裳で十二章。日・月・星辰・山・龍・華蟲の六章は衣に織り、宗彞・藻・火・粉米・黼・黻の六章は裳に繡う。
- 白羅の大帯(裏は紅)、蔽膝は裳の色に合わせ、龍・火・山の文を繡う。玉の革帯、玉佩、大綬は六采(赤・黄・黒・白・縹・緑)、小綬は三色で大綬と同じ色を用い、間に三つの玉環を配する。白羅の中単は黻の領、青緑の襈、黄の韈、黄金で飾った舄。
- 洪武二十六年(1393年)、袞冕十二章の制を改めて定めた。
- 冕版は幅一尺二寸・長さ二尺四寸。冠の上に覆いがあり、表は玄、裏は朱。ほかは旧制のまま。圭は長さ一尺二寸。
- 袞は玄衣・纁裳の十二章で旧制どおり。中単は素紗製、紅羅の蔽膝は上幅一尺・下幅二尺・長さ三尺で、火・龍・山の三章を織り出す。革帯の佩玉は長さ三尺三寸。大帯は素の表に朱の裏、両縁は上を朱錦、下を緑錦で縁取る。
- 大綬は六采(黄・白・赤・玄・縹・緑)を織り込み、地は純玄で五百首。小綬は三色で大綬と同じ色を用い、間に三つの玉環を織り込む。朱の韈、赤の舄。
- 永樂三年(1405年)、さらに定めた。
- 冕冠は皁紗製。上を覆う板を綖といい、桐の板を芯にして綺を張る。表は玄、裏は朱。前は円く後ろは方形。玉の衡で冠を留め、玉の簪を紐に貫く。紐と冠武、および纓を結ぶ箇所はすべて金で飾る。綖の左右から黈纊を垂れて耳あてとし(黄玉を用いる)、玄の紞で吊り、白玉の瑱を添え、朱の紘とする。ほかは旧制どおり。
- 玉圭は長さ一尺二寸。上端を斜めに削り、山を四つ刻んで四鎮の山をかたどる。これは周の鎮圭の制で、瑑(彫り)のない大圭とは異なる。下部を黄の綺で巻き、別に袋に収める。
- 金の龍文の袞服は十二章。玄衣は八章で、日・月・龍は肩、星辰・山は背、火・華蟲・宗彞は袖(片袖ごとに三つずつ)に配し、いずれも織り出す。領・褾・襈・裾は本色。
- 纁裳は四章で、藻・粉米・黼・黻をそれぞれ二つ織る。前は三幅、後ろは四幅で前後は縫い合わせず、腰に襞をとる。綼・裼は本色。
- 中単は素紗製で、青の領・褾・襈・裾。領には黻文十三を織る。
- 蔽膝は裳の色に合わせ四章で、藻・粉米・黼・黻をそれぞれ二つ織る。縁は本色で、縫い目に紃(組紐)を通す。
- 玉鉤二つ、玉佩二具。玉佩は珩一・瑀一・琚二・衝牙一・璜二からなり、瑀の下に玉花一・玉滴二を垂れ、雲龍文を彫って金で描く。珩から下へ五本の組を垂らして玉の珠を貫き、歩けば衝牙と二つの滴が璜に触れて音を立てる。金鉤二つ。
- 小綬は六采(黄・白・赤・玄・縹・緑)で纁の地。三つの小綬は大綬と同色で、間に三つの玉環を配する。龍文はいずれも織り出す。韈も舄も赤色で、舄は黒の鉤純、首を黄で飾る。
- 嘉靖八年(1529年)、帝は閣臣の張璁に「袞冕には革帯があるはずだが、今なぜ用いないのか」と問うた。
- 璁は陳祥道『礼書』を引き、古くは革帯も大帯もともに鞶と呼び、革帯で佩と韍を吊り、その上から大帯を締め、笏は二帯の間に挿した、革帯は前に韍、後ろに綬、左右に佩を繋ぐもので、冕にも弁にも常に用いられた、今それを欠くために佩や服が繋ぐ所を失い、裳の腰まわりに付属するだけになって古制を失った、と答えた。
- 帝は、冕服は天地を祀り祖宗を享する服であるのに革帯を欠くのは斎明盛服の意にかなわない、また『会典』には蔽膝は羅を用いて火・山・龍の三章を織り、大帯の縁には錦を用いるとあるが、いま着用しているものと合わない、革帯と蔽膝・佩・綬の形式をあわせて詳しく考証し図に描いて進めよ、と命じた。
- さらに帝は、衣裳は本来上下に分かれた服なのに今は衣が常に裳を覆っている、裳の制は帷のようであるべきなのに今は二幅である、衣は裳の腰の下端にそろえて裳の六章を見せるようにしてはどうか、と述べた。のち、祖制を変更することへの懸念を璁に伝えた。
- 璁は、礼制を調べたところ衣が裳を覆わないのが聖意と合致する、衣の六章と裳の六章はそれぞれ意味があり衣が裳を覆う理はない、『大明集礼』および『会典』は古制と異ならず、今の衣八章・裳四章という形は衣が裳を覆う結果になっているが典籍に拠り所がない、内閣所蔵の図註は織造の役所が誤りを踏襲したものである、今これを正すのは祖制に復することであって変更ではない、と答えた。帝の意はこれで決した。
- 帝はさらに璁に諭した。衣の六章は古くは繪(描き)だったが今は織りにせよ、織染局に国初の冕服を調べさせたところ日月はそれぞれ径五寸であったからそれに従え、裳の六章は古くは繡だったからそれにも従え、古の色は玄と黄で天地をかたどったが今の裳は纁で義に取るところがないから古に従え、革帯すなわち束帯には後ろに玉を用い、佩と綬をその下に繋げ、蔽膝は裳の色に合わせ、上に龍・下に火を繡って山は用いなくてよい、内閣の諸臣とともに考えよ、と。
- そこで楊一清らが詳議した。曰く、袞冕の服は黄帝・虞舜以来、玄衣・黄裳の十二章で、日・月・星辰・山・龍・華蟲が上から下へ衣の六章、宗彞・藻・火・粉米・黼・黻が下から上へ裳の六章である。周以後しだいに制が変わり、八章あるいは九章となって古に背いた。太祖皇帝が十二章の制に復されたのに、製作を司る官が誤りを踏襲しており、制作の初意ではない。聖断を仰ぎたい、と。
- 帝は吉日を選んで改正させた。その制は次のとおり。
- 冠は円い匡に烏紗をかぶせ、旒には七采の玉珠十二を綴る。青の纊を耳あてとし、玉珠二を綴る。ほかは旧制どおり。
- 玄衣・黄裳で、衣・裳それぞれ六章。洪武年間の旧制により日月は径五寸。裳は前後をつなげて帷のようにし、六章は繡とする。
- 蔽膝は裳の色に合わせ羅で作り、上に龍一、下に火三を繡い、革帯に繋ぐ。
- 大帯は素の表に朱の裏、上の縁は朱、下は緑。革帯は前に玉を用い後ろには玉を用いず、佩と綬をそこに繋いで覆い隠す。
- 中単と圭はいずれも永楽年間の制どおり。朱の韈、赤の舄、黄の絛、玄の纓の結び。
皇帝通天冠服
- 洪武元年(1368年)に定めた。郊廟の省牲、皇太子・諸王の冠礼・婚礼の醮戒には通天冠と絳紗袍を着る。
- 冠には金の博山を加え、附蟬十二首、朱と翠の飾り、黒の介幘、組纓、玉の簪導。絳紗袍は深衣の仕立て。白紗の内単に皁の領・褾・襈・裾。絳紗の蔽膝、白の假帯、方心曲領、白の韈、赤の舄。革帯・佩・綬は袞服と同じ。
皇帝皮弁服
- 朔望の視朝、詔を降すとき、香を降すとき、表を進めるとき、四夷の朝貢、外官の朝覲、策士、伝臚のときに着る。嘉靖以後は太歳・山川の諸神を祀るときにも着た。
- 洪武二十六年(1393年)に定めた制。皮弁は烏紗をかぶせ、前後それぞれ十二の縫い目を作り、縫い目ごとに五采の玉十二を綴って飾りとする。玉の簪導、紅の組纓。服は絳紗の衣、蔽膝は衣の色に合わせる。白玉の佩、革帯、玉の鉤䚢、緋と白の大帯、白の韈、黒の舄。
- 永樂三年(1405年)、皮弁は旧制どおりとしつつ、縫い目・冠武・簪を貫くところ・纓を結ぶところをすべて金で飾ることとした。玉圭の長さは冕服の圭と同じで、脊と双植の文を入れる。絳紗袍は領・褾・襈・裾を本色とし、紅の裳には章数を織らない。中単は紅の領・褾・襈・裾。ほかはすべて冕服の内制に同じ。
皇帝武弁服
- 明初、親征や将を遣わすときに着た服。
- 嘉靖八年(1529年)、帝は閣臣の張璁に、『会典』の親征・類・禡の祭にはいずれも武弁服を用いるとあるから備えないわけにいかない、と諭した。
- 璁は、『周礼』に韋弁があり、韎韋(あかね染めの韋)で弁を作り、また衣裳にもしたとある、本朝は古を見て損益し皮弁の制を設けた、いま武弁は皮弁に準ずるべきだが、皮弁が黒紗をかぶせるのに対し武弁は絳紗をかぶせるべきだ、と答え、図を添えて進めた。
- 帝は、図には韠の形があるが繋ぐ所がない、冠の制は古くは上が尖っているのに今の皮弁は円い、上を鋭くするのは軽利を取るためだから古制に従うべきだ、また衣・裳・韠・舄がみな赤色なのはなぜか、しかも佩も綬もないのでは祭に用いてよいのか、と問うた。
- 璁は、古来冕も弁も革帯を用い、前に韍、後ろに綬を繋いだ、韋弁の韠はまさに革帯に繋ぐものである、武事は威烈を尚ぶから色は純赤を用いる、と答えた。
- 帝はさらに、冠服・衣裳・韠・舄はすべて古制どおりとし、革帯・佩・綬および圭を加えよ、と返した。
- そこで定まった制。弁は上を鋭くし色は赤、上に十二の縫い目を作り、五采の玉を星のように点々と綴る。韎の衣、韎の裳、韎の韐はいずれも赤色。佩・綬・革帯は通常の制どおり。佩・綬と韎韐はいずれも上を革帯に繋ぐ。舄は裳の色に合わせる。玉圭は鎮圭よりやや小さく、上を斜めに削り下は方形で、「討罪安民」の篆文を刻む。
皇帝常服
- 洪武三年(1370年)に定めた。烏紗の折角向上の巾、盤領・窄袖の袍、束帯には金・琥珀・透犀を用いる。
- 永樂三年(1405年)に改めて定めた。冠は烏紗をかぶせ角を折って上に向ける(のちに翼善冠と呼ばれた)。袍は黄の盤領・窄袖で、前後と両肩にそれぞれ金の盤龍一つを織り出す。帯は玉、鞾は皮製。
- これより先、洪武二十四年(1391年)、帝が微行して神楽観に至ったとき、網巾を結んだ者を見た。翌日、網巾を取り寄せて十三布政使司に頒示させ、貴賤の別なく網巾を着けることとした。以来、天子も常に網巾を着けた。また『会典』には皇太孫の冠礼に「掌冠が跪いて網巾を加える」とあるが、皇帝・皇太子の冠服については記載を欠く。
- 嘉靖七年(1528年)、燕弁服を改めて定めた。
- はじめ帝は、燕居の冠服がなお俗習を踏襲しているとして、張璁に古の帝王の燕居の法服の制を調べさせた。璁は礼書から玄端・深衣の記述を採り、図註を添えて進めた。帝はこれを参酌して制を定め、璁に詳議させた。
- 璁は、古くは冕服のほかでは玄端と深衣の用途が最も広く、玄端は天子から士まで通ずる国家の命服、深衣は天子から庶人まで通ずる聖賢の法服である、いま玄端に文飾を加えるのは旧制を改めることにならず、深衣を黄色に改めるのも中衣の範囲を出ない、まことに帝王の損益・時中の道にかなう、と述べた。
- 帝は礼部に諭した。古の玄端は上下に通用したが、今は古人とは事情が違う、燕居であっても等威を弁えるべきである、と。そこで古制を酌んで「燕弁」と改名し、深宮に独り居るときも安逸を戒める意を寓した。
- その制。冠の匡は皮弁の制に準じ、烏紗をかぶせて十二の瓣に分け、それぞれ金線で押さえる。前に五采の玉の雲を各一つ飾り、後ろに四つの山を列ねる。朱の絛を組纓とし、玉の簪を二本挿す。
- 服は古の玄端の制にならい、色は玄、縁は青。両肩に日月を繡い、前に盤の円龍一つ、後ろに盤の方龍二つ、縁には龍文八十一を加える。領と両袪はあわせて龍文四十五(五九)、袵は前後そろえてあわせて龍文三十六(四九)。
- 襯(下着)は深衣の制で色は黄。袂は円く袪は方形、下端はそろえ、背の縫い目は踝まで通す。十二幅。素の帯は朱の裏・青の表・緑の縁で、腰まわりに玉の龍九つを飾る。玄の履に朱の縁・紅の纓・黄の結び、白の韈。
皇后冠服
- 洪武三年(1370年)に定めた。受冊・謁廟・朝会には礼服を着る。
- 冠は円い匡に翡翠をかぶせ、上に九龍・四鳳を飾り、大花十二樹、小花も同数、両博鬢、十三鈿。
- 褘衣は深青で、赤地に五色の翟を十二等描く。素紗の中単に黻の領、朱羅縠の褾・襈・裾。蔽膝は衣の色に合わせ、緅(あかぐろ)を領縁とし、翟を三等の章とする。大帯は衣の色に合わせ朱の裏、外を縁取り、上は朱錦、下は緑錦。紐約には青の組を用いる。玉の革帯、青の韈、青の舄で金で飾る。
- 永樂三年(1405年)に定めた制。
- 冠は翠の龍九つ・金の鳳四つを飾る。中央の一龍が大珠一つをくわえ、上に翠の蓋、下に珠の結びを垂れる。ほかはみな口に珠の滴をくわえる。珠翠の雲四十片、大珠花・小珠花の数は旧制どおり。三博鬢は金の龍と翠の雲で飾り、いずれも珠の滴を垂れる。
- 翠の口圏一副、上に珠宝の鈿花十二、翠鈿も同数。托裏の金の口圏一副、珠翠の面花五事、珠の排環一対、皁羅の額子一つに金で龍文を描き珠二十一を用いる。
- 翟衣は深青で翟文十二等を織り、間に小輪花を配する。紅の領・褾・襈・裾に金の雲龍文を織る。中単は玉色の紗製で紅の領・褾・襈・裾、黻文十三を織る。蔽膝は衣の色に合わせ翟を三等の章として織り、間に小輪花四つを配し、緅を領縁として金の雲龍文を織る。
- 玉の穀圭は長さ七寸、上端を斜めに削り穀文を彫り、下部を黄の綺で巻き、金の龍文の黄い袋に収める。
- 玉の革帯は青綺の鞓に金で雲龍文を描き、玉の金具十・金の金具四。大帯は表裏とも青と紅を半々にし、末は純紅で、下に垂れる部分に金の雲龍文を織り、上は朱の縁、下は緑の縁。青綺の副帯一つ。
- 綬は五采(黄・赤・白・縹・緑)で纁の地、間に二つの玉環を配し、いずれも織り出す。小綬は三色で大綬と同じ。
- 玉佩二具は、それぞれ珩一・瑀一・琚二・衝牙一・璜二からなり、瑀の下に玉花一・玉滴二を垂れ、雲龍文を彫って金で描く。珩から下へ五本の組を垂らして玉の珠を貫き、歩けば衝牙と二つの滴が二つの璜に触れて音を立てる。上に金鉤があり、五采の小綬を添え、纁の地に織り出す。
- 青の韈と舄は金で雲龍を描いて飾り、皁の純(へり)を付け、舄の首ごとに珠五顆を加える。
皇后常服
- 洪武三年(1370年)に定めた。双鳳翊龍の冠。首飾りや釧・鐲には金・玉・珠宝・翡翠を用いる。諸色の団衫に金で龍鳳文を繡い、帯には金と玉を用いる。
- 洪武四年(1371年)に改めて定めた。龍鳳珠翠の冠、真紅の大袖衣、霞帔、紅羅の長裙、紅の褙子。冠の制は特髻のようで、上に龍鳳の飾りを加える。衣は金で龍鳳文を織り、さらに繡の飾りを加える。
- 永樂三年(1405年)に改めて定めた。
- 冠は皁縠を用い、翠の博山を添え、上に金の龍一つを飾り、珠翠の鳳二つを添える。いずれも口に珠の滴をくわえる。前後に珠の牡丹二つ、花八蕊、翠の葉三十六、珠翠の穰花鬢二つ、珠翠の雲二十一、翠の口圏一つ、金宝の鈿花九つを珠で飾る。金の鳳二つが口に珠の結びをくわえる。三博鬢は鸞鳳で飾り、金宝の鈿二十四、縁には珠の滴を垂れる。金の簪二本、珊瑚の鳳冠觜一副。
- 大きな彩の霞帔と衫。黄の霞帔は深青地に金で雲霞龍文を織り、あるいは繡い、あるいは翠を敷き金で圏取りし、珠玉の墜子に龍文を彫って飾る。
- 四䙆の襖子(すなわち褙子)は深青で、金で団龍文を繡う。
- 鞠衣は紅色で、前後に金で雲龍文を織り、あるいは繡い、あるいは翠を敷き金で圏取りし、珠で飾る。
- 大帯は紅の綫羅製で縁があり、他の部分は青または緑で、鞠衣の色に合わせて縁と襈を付ける。
- 襖子は黄色で、紅の領・褾・襈・𥚑にはいずれも金と彩色で雲龍文を織る。縁と襈のある裙は紅色で、緑の縁と襈に金と彩色の雲龍文を織る。
- 玉帯は翟衣の内制に同じだが金の金具を一つ減らす。玉花の彩結綬は紅と緑の綫羅で結びを作り、玉の綬花一つに雲龍文を彫る。綬帯の玉墜には珠六つ、金の垂頭の花瓣四つ、小さな金の葉六つ。紅の綫羅の繋ぎ帯一つ。
- 白玉の雲様の玎璫二つは佩の制と同じで、金鉤があり、金の如意雲蓋一つの下に紅の組五本を垂らし、金の方心雲板一つを吊る。いずれも雲龍文を鏨(きざ)み、紅の綺を裏に当て、下に金の長頭花四つを垂れ、中に小さな金の鐘一つ、末に白玉の雲朶五つを綴る。青の韈と舄は翟衣の内制と同じ。
皇妃・皇嬪および内命婦の冠服
- 洪武三年(1370年)、皇妃が受冊・助祭・朝会に着る礼服を定めた。
- 冠の飾りは九翬・四鳳、花釵九樹、小花も同数、両博鬢、九鈿。
- 翟衣は青地に翟を繡い、衣と裳に順に並べ、重ねて九等とする。青衫、中単に黻の領、朱縠の褾・襈・裾。蔽膝は裳の色に合わせ、文繡を加えて重雉を二等の章とし、緅を領縁とする。大帯は衣の色に合わせる。玉の革帯、青の韈と舄、佩と綬。
- 常服は鸞鳳の冠。首飾りや釧・鐲には金・玉・珠宝・翠を用いる。諸色の団衫に金で鸞鳳を繡うが黄は用いない。帯には金・玉・犀を用いる。
- また山松の特髻、假鬢の花鈿あるいは花釵の鳳冠、真紅の大袖衣、霞帔、紅羅の裙、褙子を定めた。衣には金を織り込み鳳文を繡う。
- 永樂三年(1405年)、礼服を改めて定めた。
- 九翟の冠。皁縠二枚で作り、翠の博山を添える。大珠の翟二つ、小珠の翟三つ、翠の翟四つを飾り、いずれも口に珠の滴をくわえる。冠の中央に宝珠一座、翠の頂雲一座。珠の牡丹・翠の穰花鬢の類はいずれも双鳳翊龍冠の制と同じだが、翠の雲を十減らす。また翠の牡丹花・穰花を各二つ、面花四つ、梅花の環四つ、珠の環各二つ。
- 大衫・霞帔・燕居の佩服の飾りはいずれも中宮(皇后)と同じ。ただし織り・繡い・彫りはすべて雲霞鳳文とし、雲龍文は用いない。
- 九嬪の冠服は嘉靖十年(1531年)に初めて定めた。冠は九翟を用い、皇妃の鳳に次ぐ。大衫と鞠衣は皇妃の制に同じ。圭は次玉(やや劣る玉)に穀文を刻んだものを用いる。
- 内命婦の冠服は洪武五年(1372年)に定めた。三品以上は花釵と翟衣、四品・五品は山松の特髻と大衫を礼服とする。貴人は三品に準じ、皇妃の燕居の冠と大衫・霞帔を礼服とし、珠翠の慶雲冠・鞠衣・褙子・縁襈の襖と裙を常服とする。
宮人の冠服
- 制は宋と同じ。紫色の団領・窄袖に折枝の小葵花を一面に刺繡し、金で圏取りする。珠を絡ませた縫い、金の帯、紅の裙、弓形の鞵の上に小さな金の花を刺す。烏紗の帽に花を飾り、帽の額に団珠を綴る。珠を結んだ鬢梳、珠を垂らした耳飾り。
皇太子の冠服
- 天地・社稷・宗廟の陪祀、および大朝会・受冊・納妃のときは袞冕を着る。
- 洪武二十六年(1393年)に定めた袞冕九章の制。
- 冕は九旒、旒ごとに玉九つ。金の簪導、紅の組纓、両の玉瑱。圭は長さ九寸五分。
- 玄衣・纁裳。衣は五章で山・龍・華蟲・宗彞・火を織る。裳は四章で藻・粉米・黼・黻を織る。白紗の中単に黻の領。蔽膝は裳の色に合わせ、火・山の二章を織る。革帯、金の鉤䚢、玉佩。
- 綬は五采(赤・白・玄・縹・緑)を織り出し、地は純赤で三百三十首。小綬は三色で同じく、間に三つの玉環を織る。大帯は白の表に朱の裏、上の縁は紅、下の縁は緑。白の韈、赤の舄。
- 永樂三年(1405年)に定めた制。
- 冕冠は表が玄、裏が朱。前は円く後ろは方形。前後にそれぞれ九旒、旒ごとに五采の繅九就、五采の玉九つを貫き、赤・白・青・黄・黒の順に配する。玉の衡、金の簪、玄の紞に青の纊を垂れて耳あてとし(青玉を用いる)、白玉の瑱を添え、朱の紘と纓。
- 玉圭は長さ九寸五分、下部を錦で巻き、あわせて袋に収める。
- 袞服は九章。玄衣は五章で、龍は肩、山は背、火・華蟲・宗彞は袖(片袖ごとに三つずつ)に配し、いずれも織り出す。領・褾・襈・裾は本色。
- 纁裳は四章で藻・粉米・黼・黻を各二つ織る。前は三幅、後ろは四幅で縫い合わせず、腰に襞をとる。綼・裼は本色。
- 中単は素紗製で青の領・褾・襈・裾、領に黻文十二を織る。蔽膝は裳の色に合わせ四章で藻・粉米・黼・黻を織り、本色の縁に紃を縫い目に通す。
- 上に玉鉤二つ、玉佩二具。玉佩はそれぞれ珩一・瑀一・琚一・衝牙一・璜三からなり、瑀の下に玉花一・玉滴二を垂れ、雲龍文を彫って金で描く。珩から下へ五本の組を垂らして玉の珠を貫く。上に金鉤があり、四采(赤・白・縹・緑)の小綬を添え、纁の地。
- 大帯は素の表に朱の裏、腰まわりも垂れる部分も綼を付け、上の綼は朱、下の綼は緑。紐約には青の組を用いる。大綬は四采(赤・白・縹・緑)で纁の地、小綬は三采で間に二つの玉環を配し、龍文はいずれも織り出す。韈も舄も赤色で、舄は黒の鉤・黒の純、舄の首を飾る。
- 朔望の朝、詔を降すとき、香を降すとき、表を進めるとき、外国の朝貢・朝覲のときは皮弁を着る。
- 永樂三年(1405年)に定めた皮弁の制。烏帽をかぶせ、前後にそれぞれ九の縫い目を作り、縫い目ごとに五采の玉九つを綴る。縫い目・冠武・簪を貫くところ・纓を結ぶところはすべて金で飾る。金の簪、朱の纓。玉圭は冕服の内制どおり。
- 絳紗袍は領・褾・襈・裾を本色とし、紅の裳は冕服の裳の制と同じだが章数を織らない。中単は素紗製で深衣の仕立て、紅の領・褾・襈・裾、領に黻文十一章を織る。蔽膝は裳の色に合わせ、本色の縁に紃を縫い目に通す。
- その上に玉鉤二つ、玉佩は冕服の内制と同じだが雲龍文はない。四采の小綬を添える。大帯・大綬・韈・赤い舄はいずれも冕服の内制どおり。
- 常服は洪武元年(1368年)に烏紗の折上巾と定めた。永樂三年(1405年)には、冠を烏紗の折角向上の巾とし(翼善冠ともいい、親王・郡王および世子も同じ)、袍は赤の盤領・窄袖で前後と両肩にそれぞれ金で盤龍一つを織り、玉の帯、皮製の鞾と定めた。
皇太子妃の冠服
- 洪武三年(1370年)、礼服は皇妃と同じと定めた。
- 永樂三年(1405年)に改めて定めた。
- 冠は九翬四鳳。漆した竹絲を匡とし翡翠をかぶせ、上に翠の翬九つ、金の鳳四つを飾り、いずれも口に珠の滴をくわえる。珠翠の雲四十片、大珠花九樹、小珠花も同数。双博鬢は鸞鳳で飾り、いずれも珠の滴を垂れる。翠の口圏一副、上に珠宝の鈿花九つ、翠鈿も同数。托裏の金の口圏一副、珠翠の面花五事、珠の排環一対、珠と皁羅の額子一つに金で鳳文を描き珠二十一を用いる。
- 翟衣は青地に翟文九等を織り、間に小輪花を配する。紅の領・褾・襈・裾に金の雲龍文を織る。中単は玉色の紗製で紅の領・褾・襈・裾、領に黻文十一を織る。蔽膝は衣の色に合わせ翟を二等の章として織り、間に小輪花三つを配し、緅を領縁として金の雲鳳文を織る。
- 玉圭・帯・綬・玉佩・韈・舄の制はいずれも皇妃と同じ。
- 洪武三年(1370年)にはまた常服を定め、犀の冠に花鳳を刻み、首飾り・釧・鐲・衫・帯はいずれも皇妃と同じとした。洪武四年(1371年)には冠も皇妃と同じと定めた。
- 永樂三年(1405年)、燕居の冠を定めた。皁縠で作り、翠の博山を添え、上に宝珠一座を飾り、珠翠の鳳二つを添える。いずれも口に珠の滴をくわえる。前後に珠の牡丹二つ、花八蕊、翠の葉三十六、珠翠の穰花鬢二つ、珠翠の雲十六片、翠の口圏一副、金宝の鈿花九つの上に珠九つを飾る。金の鳳一対が口に珠の結びをくわえる。双博鬢は鸞鳳で飾り、金宝の鈿十八、縁には珠の滴を垂れる。金の簪一対、珊瑚の鳳冠觜一副。大衫・霞帔・燕居の佩服の飾りはいずれも皇妃と同じ。
親王の冠服
- 助祭・謁廟・朝賀・受冊・納妃には袞冕を着る。朔望の朝、詔を降すとき、香を降すとき、表を進めるとき、四夷の朝貢・朝覲には皮弁を着る。
- 洪武二十六年(1393年)、冕服はすべて東宮(皇太子)と同じと定めたが、冕の旒には五采の玉を用い、圭は長さ九寸二分五釐、青衣・纁裳とした。
- 永樂三年(1405年)、冕服と皮弁の制はいずれも東宮と同じと定めた。常服も東宮と同じ。
- 嘉靖七年(1528年)、帝は礼部に諭した。朕は古の玄端にならって自ら燕弁の冠服を定め、また忠靜の冠服を改め定めて有位の者に賜ったが、宗室の諸王の制はまだ整っていない。いま燕弁と忠靜冠の制を酌んで様式を作り図を具し、「保和冠服」と名づける。郡王長子以上はその様式を明らかにした。鎮国将軍以下、奉国中尉に至るまで、および長史・審理・紀善・教授・伴読はみな忠靜の冠服を用い、それぞれの品級の服の儀に従う。儀賓およびその他の官は一律に着てはならない。忠靜の冠服の様式を異にするのは賢を尊ぶ等級であり、保和の冠服の様式を異にするのは親を親しむ差である。等と殺が明らかであってこそ礼が保たれる。保たれれば和し、和すれば安んずる。これが名を賜う意である。図説を諸王府に頒示し、勅のとおり遵行せよ、と。
- 保和冠の制は燕弁を基準とし、九つの□(底本欠字)を用い、簪と五玉を除き、後山の一扇を四つに分けて描く。服は青地に青の縁、前後に方龍の補、身は素地、縁は雲文、襯には深衣を用いて玉色。帯は青の表に緑の裏、緑の縁。履は皁で緑の結び、白の韈。
親王妃の冠服
- 受冊・助祭・朝会には礼服を着る。
- 洪武三年(1370年)、九翬四鳳の冠と定めた。
- 永樂三年(1405年)、九翟の冠と改め定め、制は皇妃と同じとした。大衫・霞帔・燕居の佩服の飾りは東宮妃と同じだが、金の金具を一つ減らし、玉の綬花には宝相花文を彫る。
公主の冠服
- 親王妃と同じ。ただし圭は用いない。
親王世子の冠服
- 聖節・千秋節および正旦・冬至に表箋を進めて賀するとき、また父王の生日など諸節の慶賀にはいずれも袞冕を着る。
- 洪武二十六年(1393年)に定めた袞冕七章の制。冕は三采の玉珠七旒、圭は長さ九寸。青衣は三章で華蟲・火・宗彞を織り、纁裳は四章で藻・粉米・黼・黻を織る。素紗の中単に青の領・襈、赤の韍、革帯、白玉の佩、玄の組綬。綬は紫地に三采(紫・黄・赤)を織り出し、間に三つの白玉環を織る。白の韈、赤の舄。
- 永樂三年(1405年)に改めて定めた。冕冠は前後にそれぞれ八旒、旒ごとに五采の繅八就、三采の玉珠八つを貫き、赤・白・青の順に配する。玉圭は長さ九寸。青衣は三章で、火は肩、華蟲・宗彞は両袖に配し、いずれも織り出し、領・褾・襈・裾は本色。纁裳・玉佩・帯・綬の制はいずれも親王と同じ。ただし領に織る黻文は二つ減らす。
- 皮弁は烏紗をかぶせ、前後にそれぞれ八の縫い目を作り、縫い目ごとに三采の玉八つを綴る。ほかは親王の制と同じ。圭・佩・帯・綬・韈・舄は冕服の内制どおり。常服も親王と同じ。
- 嘉靖七年(1528年)、保和の冠服を定めた。燕弁を基準とし、八つの□(底本欠字)を用い、簪と玉を除き、後山の一扇を四つに分けて描く。服は親王と同じ。
世子妃の冠服
- 永樂三年(1405年)に定め、親王妃と同じとした。ただし冠は七翟を用いる。
郡王の冠服
- 永樂三年(1405年)に定めた。冕冠は前後にそれぞれ七旒、旒ごとに五采の繅七就、三采の玉珠七つを貫く。圭は長さ九寸。青衣は三章で、粉米は肩、藻・宗彞は両袖に配し、いずれも織り出す。纁裳は二章で黼・黻を各二つ織る。中単の領には黻文七を織る。ほかは親王世子と同じ。
- 皮弁は前後にそれぞれ七の縫い目を作り、縫い目ごとに三采の玉七つを綴る。ほかは親王世子と同じ。圭・佩・帯・綬・韈・舄は冕服の内制どおり。常服も親王世子と同じ。
- 嘉靖七年(1528年)に定めた保和の冠服は、冠に七つの□(底本欠字)を用い、服は親王世子と同じ。
郡王妃の冠服
- 永樂三年(1405年)に定めた。冠は七翟を用い、親王世子妃と同じ。大衫・霞帔・燕居の佩服の飾りはいずれも親王妃と同じだが、雲霞翟文を繡い、盤鳳文は用いない。
郡王長子の冠服
- 朝服は七梁の冠、大紅の素羅の衣、白の素紗の中単、大紅の素羅の裳と蔽膝、大紅の素羅と白の素紗の二色の夾帯、玉の朝帯、丹礬紅の花錦、錦雞の綬、玉佩、象牙の笏、白絹の韈、皁皮の雲頭履鞵。
- 公服は皁の縐紗の幞頭、大紅の素紵絲の衣、玉の革帯。
- 常服は烏紗の帽、大紅の紵絲に金で獅子を織った開䙆の円領、玉の束帯、皁皮に銅線を用いた鞾。
- 保和冠は忠靜の制にならい、五つの□(底本欠字)を用いる。服は郡王と同じで、補子には金で方龍を織る。
郡主の冠服
- 永樂三年(1405年)に定め、郡王妃と同じとした。ただし圭は用いず、四つの珠環一対を減らす。
郡王長子夫人の冠服
- 珠翠の五翟の冠、大紅の紵絲の大衫、深青の紵絲に金で翟を繡った褙子、青羅に金で翟を繡った霞帔、金の墜頭。
鎮国将軍以下の冠服
- 鎮国将軍の冠服は郡王長子と同じ。鎮国将軍夫人の冠服は郡王長子夫人と同じ。
- 輔国将軍の冠服は鎮国将軍と同じ。ただし冠は六梁、帯は犀を用いる。輔国将軍夫人の冠服は鎮国将軍夫人と同じ。ただし冠は四翟を用い、抹金の銀の墜頭。
- 奉国将軍の冠服は輔国将軍と同じ。ただし冠は五梁、帯は金銀花を用いる。常服は大紅に金を織り込み虎豹を表す。奉国将軍淑人の冠服は輔国将軍夫人と同じ。ただし褙子と霞帔には金で孔雀文を繡う。
- 鎮国中尉の冠服は奉国将軍と同じ。ただし冠は四梁、帯は素の金を用い、佩は薬玉を用いる。鎮国中尉恭人の冠服は奉国将軍淑人と同じ。
- 輔国中尉の冠服は鎮国中尉と同じ。ただし冠は三梁、帯は銀の鏨花を用い、綬は盤雕、公服は深青の素羅、常服は紅に金を織り込み熊羆を表す。輔国中尉宜人の冠服は鎮国中尉恭人と同じ。ただし冠は三翟を用い、褙子と霞帔には金で鴛鴦文を繡い、銀の墜頭。
- 奉国中尉の冠服は輔国中尉と同じ。ただし冠は二梁、帯は素の銀を用い、綬は練鵲、幞頭は黒漆、常服は紅に金を織り込み彪を表す。奉国中尉安人の冠服は輔国中尉宜人と同じ。ただし大衫は丹礬紅を用い、褙子と霞帔には金で練鵲文を繡う。
県主以下の冠服
- 県主の冠服は、珠翠の五翟の冠、大紅の紵絲の大衫、深青の紵絲に金で孔雀を繡った褙子、青羅に金で孔雀を繡った霞帔、抹金の銀の墜頭。
- 郡君の冠服は県主と同じ。ただし冠は四翟を用い、褙子と霞帔には金で鴛鴦文を繡う。
- 県君の冠服は郡君と同じ。ただし冠は三翟を用いる。
- 郷君の冠服は県君と同じ。ただし大衫は丹礬紅を用い、褙子と霞帔には金で練鵲文を繡う。