明史卷五十四 志第三十 禮八
篇目
- この巻が扱うのは次の七項である。冊皇后儀(冊妃嬪儀を附す)、冊皇太子及皇太子妃儀、冊親王及王妃儀(冊公主儀を附す)、皇帝加元服儀、皇太子皇子冠禮、品官冠禮、庶人冠禮。
冊皇后儀(冊妃嬪儀附)
- 上古には后を立てるのに冊命の礼が無かった。漢の靈帝が宋羙人を皇后に立てたとき、はじめて殿に出て太尉に節を持たせて璽を授けさせ、冊を読み上げさせ、皇后は北面して「臣妾」と称し跪いて受けた。これが以後の定制となったが、儀式の文面は時代ごとに異なる。明の儀注はおおむね唐宋の制を参酌して用いたものである。
- 太祖が最初に定めた制では、皇后を冊するにあたり三日前から斎戒し、官を遣わして天地・宗廟に祭告する。
- 前日、侍儀司が冊と寳の案を奉天殿の御座の前に設け、奉節官の位を冊の東に、掌節者の位をその左のやや後ろに、承制官の位をその南に置き、いずれも西向きとする。正副使の受制位を横街の南に北向きに、承制宣制官の位をその北に、奉節官・奉冊官・奉寳官の位をその東北にいずれも西向きに、正副使が冊寶を受ける褥位を受制位の北に北向きに設ける。典儀二人は丹陛の上手南、贊禮二人は正副使の北、至班二人は贊禮の南で、いずれも東西に向かい合う。百官と侍從の位置は朝儀のとおり。
- 当日は早朝に鹵簿を列ね、甲士を並べ、楽を儀のとおり設ける。内官は皇后の受冊位と冊・節・寳の案を宮中に、香案を殿上に、冊寳を仮に置く案を香案の前に、女樂を丹陛に設ける。
- 質明に正副使と百官が入り、鼓が三たび鳴って(三嚴)、皇帝は衮冕で奉天殿に出御する。禮部官が冊と寳をそれぞれ案に置き、諸執事官が殿上の位に立つ。楽が起こって四拜、楽が止む。承制官が皇后の冊寳を発することを奏し、制を承けて中門から出、中央の階を降りて宣制の位に至り「有制」と称する。正副使が跪くと、承制官が「妃某氏を冊して皇后と為す。卿らに節を持たせ、礼を執り行わせる」と宣する。終わると殿の西門から入る。
- 正副使は俯伏して起ち、執事者が寶と冊の案を挙げて中門から出て中央の階を降りる。奉節官が掌節者を率いて前を導き、正副使の褥位に至って案を北側に置く。掌節者が節の覆いを脱して節を奉節官に渡し、奉節官が正使に、正使が掌節者に渡す。掌節者は跪いて受け、起って正使の左に立つ。奉節官は退く。引禮が正使を受冊位に導き、奉冊官が冊を正使に渡す。正使は跪いて受け、案に置いて元の位置に戻る。副使が寶を受けるのも同じ。楽が起こって正副使が四拜、楽が止む。
- 正使は冊に、副使は寶に付き従い、掌節者が前を導き、案を担ぐ者が続く。楽が起こって奉天門を出ると楽が止む。侍儀が礼の終わりを奏し、御駕が起って百官が退出する。掌節者は節に覆いを掛け、奉冊官・奉寶官はみな笏を帯に挿して冊と寶を龍亭の中に納める。儀仗と大樂が先導して中宮の門外に至る。
- 楽が起こり、皇后は九龍四鳯の冠服と禕衣を着けて閣を出、殿上に至って南を向いて立つと楽が止む。正副使は冊と寳を門外に設けた案に仮に置く。引禮が正副使と内使監令をそれぞれの位に導く。正使が内使監令の前に進んで「冊禮使臣某、副使臣某、制を奉じて皇后の冊寶を受け渡しに参った」と称する。内使監令は入って皇后に告げ、出て元の位置に戻る。引禮が内外の命婦を位に導く。
- 正使が冊を内使監令に渡し、内使監令が跪いて受けて内官に渡す。副使が寶を渡すのも同じ。それぞれ元の位置に戻る。内使監令が奉冊・奉寶の内官を率いて入り、それぞれ案に置く。尚儀が皇后を導いて階を降ろし、庭中の位に立たせる。冊と寶を奉じた内官が皇后の東西に立つ。内使監令が「有制」と称し、尚儀が拜を奏して皇后が拜し、楽が起こって四拜、楽が止む。宣制が終わると、奉冊内官が冊を讀冊内官に渡し、読み終えて内使監令に渡す。内使監令が跪いて皇后に渡し、皇后は跪いて受けて司言に渡す。寶も同じ手順で受け、受け終わって司寶に渡す。尚儀が拜を奏し、皇后は前と同じく拜する。
- 内使監令が出て正副使の前に進み「皇后の受冊の礼、終わりました」と称する。使者は退いて奉天殿の横街の南に至り、北を向いて西を上手に立つ。給事中が正副使の東北に西向きに立つ。正副使は再拜して「制を奉じて皇后を冊命する礼、終わりました」と復命し、また再拜する。給事中が奏聞して退く。
- 皇后は冊寶を受けたのち座に升る。引禮が内命婦の班首一人を殿中の賀位に導き、跪いて「このたび皇后陛下が冊寶を受けられ中宮に正位されましたこと、妾らは喜びに堪えず、謹んでお祝い申し上げます」と述べる。拜を贊し、楽が起こって再拜、楽が止んで元の位置に退く。次に外命婦の筆頭一人を殿上の賀位に導き、内命婦と同じ儀を行う。礼が終わるとみな退出し、皇后は座を降りて、楽が起こる中を閣に還る。
- 翌日、百官が表箋を奉って称賀し、皇帝は殿に出御して賀を受ける。常のとおりである。
- ついで日を占って謁廟の礼を行う。まず官を遣わして牲牢を用いて祭り、皇后が拝謁しようとする旨を告げる。前もって皇后は三日斎し、内外の命婦と執事の内官は一日斎する。皇后の拜位を廟門の外と廟の中に設け、内命婦の陪祀位を廟庭の南に、外命婦の陪祀位を内命婦の南に設ける。司贊の位は皇后の拜位の東西、司賔の位は内命婦の北、司香の位は香案の右。盥洗を階の東に据え、司盥洗官の位はその場所とする。
- 当日、内外の命婦はそれぞれ翟衣で中宮の内門外に集まる。皇后は九龍四鳯の冠服と禕衣を着けて内宮門を出、輿に乗って外門の外で降り、重翟車に乗る。鼓吹は配置するが奏さない。尚儀が儀衛を並べ、次に外命婦、次に内命婦がみな車に乗って先導し、内使監が扈従し、宿衛が兵仗を並べて前後を導き従う。
- 皇后が廟門に至ると司賔が命婦を先に入れる。皇后は車を降り、司贊の導きで左門から入って位に就き北を向いて立ち、命婦もそれぞれ位に就いて北向きに立つ。司贊が拜を奏し司賔が拜を贊して、皇后と命婦はみな再拜する。司贊が盥洗位に進むよう請い、手を洗い手を拭いて東の階から升り神位の前に至る。上香三度を奏し、司香が右で香を捧げ、皇后が三度香を上げる。導かれて元の位置に戻り、前と同じく拜する。司贊が礼の終わりを奏し、皇后は廟の左門から出る。命婦も順に出る。皇后が車に乗り、命婦が来たときと同じく先導する。廟を過ぎると鼓吹が鳴りはじめ、皇后は宮に入る。
- この日、皇帝は謹身殿で群臣に宴を賜い、皇后は宮中で内外の命婦に宴を賜う。いずれも正旦の宴会の儀と同じである。
- 成祖が即位して徐氏を皇后に冊したときは、制がやや異なった。皇帝は皮弁服で華葢殿に出御し、翰林院官が詔書に宝を捺してのち、奉天殿に出御して制を伝えた。皇后の受冊の礼が終わると翰林官が詔書を禮部官に渡し、禮部官が奉天門でこれを読み上げた。皇帝は還宮して皇后を率い承先殿に謁告し、終わって皇后は服を整えて内殿に控え、皇帝が座に升るのを待って、贊引の女官の導きで拜位に至り謝恩の礼を行った。楽が起こって八拜、楽が止む。翌日、皇帝と皇后が賀を受け宴会を催すのは前の儀のとおりである。
- 天順八年(1464年)、親王が皇帝の前で慶賀し、次に皇太后のもとへ、次に皇后の前に進んで八拜する儀を増し定めた。
- 嘉靖十三年(1534年)、皇后方氏を冊するにあたり、禮臣の作った儀注には内殿への謁告はあったが太廟・世廟へ謁告する礼が無かった。帝が議して加えるよう命じ、禮臣は次の儀を上った。三日前から斎し、担当官庁の陳設は時祫の儀に準ずる。当日、皇帝は輅に、皇后と妃は翟車に乗って揃って太廟に至る。命ぜられた官が七廟の神主を奉じて神座に升らせ、皇帝が髙皇帝の神主を、皇后が髙皇后の神主を奉じて出して神座に升らせる。迎神・上香・奠帛・祼獻と楽の始終はみな儀のとおり。次に世廟に進んで礼を行うのも同じである。
- 隆慶元年(1567年)、詔を頒布した翌日に命婦が皇后に拝謁する礼を定めた。
- 妃を冊する儀は、洪武三年(1370年)に孫氏を貴妃に冊したときに定まった。皇帝は殿に出御せず、承制官が「妃某氏を特に某妃に封ずる。命婦らに節を持たせて礼を行わせよ」と宣する。冊を授けるだけで寶は無い。ほかは中宮の儀と同じである。
- 永樂七年(1409年)、冊妃の礼を定め、皇帝は皮弁服で華蓋殿に出御して制を伝えることとした。
- 宣宗が孫貴妃を立てるに至ってはじめて寶を授け、憲宗が萬貴妃を封じてはじめて「皇」と称した(「皇貴妃」の「貴妃」を脱するか)。洪武以来の旧制ではない。
- 嘉靖十一年(1532年)、帝が九嬪を冊した。禮官の上った儀注は次のとおり。前日に担当官庁が儀仗を朔望の儀のとおり陳設する。当日、皇帝は衮冕を着けて太廟・世廟に告げ、皮弁服に着替えて華盖殿に出御する。百官は公服で入って礼を行う。正副使は朝服で制を承け、節と冊を捧げて九嬪の宮に至る。九嬪は宮門の外に迎え、従って拜位に至る。女官が冊を読み上げ、九嬪が冊を受けて前後に八拜し、節を送って宮門を出させ、使者は復命する。九嬪は続いて服を整え、皇后に率いられて奉先殿に謁告し、皇帝・皇后の前に進んで謝恩する。すべて冊妃の礼と同じだが、圭は次玉を用い、榖文の銀冊は皇妃のものより五分の一だけ小さくする。
- 二十年(1541年)、徳妃張氏を冊した。妃がまさに部屋入りしようという折で、帝はちょうど養生中だったため、制を伝えず内殿への謁告も行わなかった。ほかは旧例どおりである。
冊皇太子及皇太子妃儀
- 漢代からはじめて皇太子と称し、明帝のときにはじめて臨軒して冊拜する儀ができた。唐では年長の者には臨軒して冊授し、幼い者には使を遣わして内裏で冊した。宋は臨軒だけ、元は内冊だけを用い、長幼を問わなかった。明は興ってから制を定めた。
- 皇太子を冊するには、担当官庁の陳設は冊后の儀のとおりとし、皇太子の拜位を丹陛の上に設ける。中嚴の合図で皇帝は衮冕で謹身殿に出御し、皇太子は冕服で奉天門の外に控える。外辦の合図で皇帝が奉天殿に升る。引禮が皇太子を導いて奉天東門から入り、楽が起こって東の階から升り丹陛の位に至ると楽が止む。百官がそれぞれ丹墀の位に就く。楽が起こって皇太子が再拜し、楽が止む。承制官が殿の中門から出て門外に立ち「有制」と言う。皇太子が跪くと「長子某を冊して皇太子と為す」と宣する。皇太子は俯伏して起ち、楽が起こって再拜、楽が止む。
- 引禮が皇太子を殿の東門から入らせ、楽が起こり、内贊が御座の前に導くと楽が止む。内贊が跪くよう、冊を宣するよう贊し、宣し終わると笏を挿すよう、冊を授けるよう贊する。皇太子は笏を挿して跪いて冊を受け、内使に渡す。寶を授けるのも冊と同じ。笏を出すよう贊し、皇太子は笏を出して俯伏して起ち、殿の東門から出る。執事官が節・冊・寶を捧げて従って出る。皇太子が元の位置に戻り、楽が起こって四拜、楽が止む。東の階を降り、楽が起こって奉天門に至ると楽が止む。
- 儀仗と鼓樂が冊寶を文華殿に迎える。持節官が節を持って復命する。禮部官が詔書を奉じて午門に赴き読み上げ、百官が詔を迎えて中書省に至り、天下に頒行する。侍儀が礼の終わりを奏し、御駕は還宮する。
- 皇太子は内殿に進み、皇后が座に升るのを待って朝謝の礼を行う。四拜して「小子某、このたび冊命を受け、謹んで母后殿下に参上して御礼申し上げます」と述べ、また四拜する。
- 親王・世子・郡王が文華殿の階上に控える。皇太子が座に升ると、親王以下は東から升って拜位に就き四拜する。最年長の王が「小弟某、このたび長兄皇太子が冊寶を受けられましたこと、喜びに堪えず、謹んで弟たちを率いて殿下に参上してお祝い申し上げます」と賀を述べ、終わってみな四拜する。皇太子が起って順に退出する。諸王は中宮に進んで四拜し、最年長の王が言葉を述べ、賀が終わってみな四拜して出る。
- この日、皇太子は武英殿に進んで叔父・伯父たちに会い、家人の礼で四拜する。叔父たちは西を向いて坐したまま受ける。兄たちには家人の礼で二拜し、兄たちは西を向いて立ったまま受ける。
- 翌日、百官が表箋を進めて慶賀し、内外の命婦が中宮を慶賀するのは常のとおり。そして日を択んで太子が太廟に謁す。
- 洪武二十八年(1395年)、皇太子と親王にはともに金冊を授け、寶は用いないこととした。
- 永樂二年(1404年)に定めた次第では、三日前から斎戒し、官を遣わして天地・宗廟に祭告する。冊寶を受け終わるとまず太廟に進んで謁告し、のちに奉天殿に至って謝恩し、それから中宮に入って謝す。
- 二十二年十一月(1424年)、東宮を冊したが、梓宮がまだ殯にあったため楽は設けるだけで奏さず、奉先殿で礼を行い、終わって几筵に進んで謁告した。
- 宣徳二年十一月(1427年)、皇子が生まれ、群臣が表を奉って太子を立てるよう請うた。三年二月(1428年)に礼を行ったが、太子がなお幼かったため、正副使に文華殿で冊寶を授けさせた。
- 成化十一年(1475年)、皇太子冊立の礼が成り、文武官を五等に分けて綵縀を賜うのに差を付けた。
- 嘉靖十八年二月(1539年)、東宮を冊した。帝は南郊に赴いて上帝に告げ、太廟に赴いて皇祖に告げ、北郊および列聖の宗廟以下にはみな官を遣わした。このとき太子はまだ二歳で、保姆が抱いて文華殿の門で冊寶を迎え、皇帝の前に進んで謝恩した。皇后と貴妃が太子に代わって八拜し、皇后の前では貴妃が代わって八拜し、貴妃の前では保姆が代わって四拜した。ほかは常のとおりである。
- 皇太子妃の受冊は皇太子と同日である。制を伝え、節と冊が内殿に至ろうとすると、妃は東の階を降りて迎え、案に置く。拜位に就くよう贊し、跪くよう贊して妃が跪く。冊を宣するよう贊すると、女官が跪いて冊を取り、立って読み上げる。終わって冊を受けるよう、笏(圭)を挿すよう贊し、女官が冊を妃に渡す。妃は圭を挿して冊を受け、終わって女官に渡し、女官は跪いて受けて捧げ立つ。圭を出すよう贊し、起って四拜する。礼が終わると内官が節を持って出、妃は殿の外まで送り、正副使が節を持って復命する。
- この日、妃は礼服を着けて奉先殿に進み謁告の礼を行う。続いて宮門に至り、皇帝・皇后が座に升るのを待って入り、謝恩して八拜の礼を行う。さらに各宮の皇妃の前に進んで四拜の礼を行う。還宮して皇太子の前に進み、これも四拜。礼が終わって座に升ると、王妃・公主・郡主および外命婦が丹墀で拜賀すること儀のとおりである。
冊親王及王妃儀(冊公主儀附)
- 本文の項目名は「冊新王及王妃儀」と作る(篇首の目次は「冊親王及王妃儀」。「親」の誤りか)。
- 漢では親王を廟で冊し、唐では臨軒して冊命する礼が極めて詳しく整っていた。宋にも冊命の文はあるが、いずれも表を奉って辞退し、ただ官誥を迎えて邸に還るだけだった。元もまた制を下して命ずるのみで冊礼を行わなかった。
- 明の洪武三年(1370年)に定めた制では、親王を冊命するにはあらかじめ宗廟に告げ、担当官庁の陳設は東宮を冊する儀に準ずる。当日、皇帝が奉天殿に出御し、皇太子と親王が奉天東門から入り、楽が起こって東の階から升る。皇太子は殿の東門から入り、内贊が御前の侍立位に導く。親王は丹陛の拜位に至って楽が止む。拜を贊し、楽が起こって再拜、楽が止む。承制官が儀のとおり制を承ける。諸王がみな跪くと「皇子某を封じて某王と為し、某を某王と為す」と宣する。宣し終わると諸王は俯伏して起ち、拜を贊し、楽が起こって再拜、楽が止む。
- 引禮が王を殿の東門の外から入らせ、楽が起こり、内贊が御座前の拜位に導くと楽が止む。王が跪くと冊を授けるよう贊し、捧冊官が冊を讀冊官に渡し、読み終えて丞相に渡し、丞相が王に渡す。王は圭を挿して受け、内使に渡す。寶を授けるのも同じ。終わると王は圭を出し、俯伏して起ち、引禮が導いて出て元の位置に戻る。順に諸王を殿内に導き入れて冊寶を授けるのも同じ手順。内使が冊を受けて案に置き終わると拜を贊し、楽が起こって諸王がみな四拜、楽が止む。内使が亭を担いで先に進み、親王は東の階を降り、楽が起こって奉天東門を出ると楽が止む。
- 禮部尚書が詔書に宝を捺すよう請い、午門に赴いて読み上げる。礼が終わると皇帝は還宮し、皇太子が退出する。
- 王が幼い場合は官を遣わして冊寶を届けて授ける。丞相が制を承けて王のもとに至り、東北に立って西南を向いて宣制する。最も幼い者には抱きかかえての礼を行う。
- この日、親王が王后に朝謝するのは、太子が東宮の受冊で朝謝するのと同じ。親王どうしは各自で賀を交わし、年少の者が年長の者のもとへ進んで四拜の礼を行う。百官が親王のもとへ進んで賀するのも四拜の礼。丞相が殿上に至って跪き、文武官は庭中に立つ。丞相が「某官某ら、このたび親王殿下が冊寶を受けられ封建の礼が成りましたこと、喜びに堪えません」と述べる。賀が終わると丞相と百官はまた四拜する。
- 翌日、皇太子が冕服で奉天殿に朝賀する。太子は「長子某、このたび弟の某らが封を受け国を建てましたこと、謹んで父皇陛下に参上してお祝い申し上げます」と述べる。中宮への賀では「謹んで母后殿下に参上してお祝い申し上げます」と述べる。百官が表箋を進めて皇帝および中宮・東宮に賀するのは東宮受冊の儀と同じ。内外の命婦が中宮に賀す言葉は「妾某氏ら、このたび親王が封を受け国を建てられましたこと、恭しく皇后陛下に参上してお祝い申し上げます」。この日、百官と命婦にそれぞれ宴を賜う。日を択んで諸王が太廟に謁す。
- 当時、晉王・秦王・燕王・楚王・吳王の五王はみな成人していたが、齊王・潭王・趙王・魯王の四王はまだ幼かったため、両様の制を兼ね備えた。靖江王は親王として封じられたため秦王・晉王の儀に準じた。
- 二十八年(1395年)に定めた制では、親王の嫡長子は十歳で金の冊寶を授けられて王世子に立てられ、次の嫡子および庶子はみな郡王に封ぜられる。王世子は必ず嫡長子とする。王が三十歳になって正妃に嫡子が無い場合、その子は郡王に止める。王と正妃が五十歳になって嫡子が無ければ、はじめて庶長子を王世子に立てる。襲封には朝廷が人を遣わして冊命の礼を行う。
- 成化の末、興王・岐王・益王・衡王・雍王の五王を封じたとき、帝は自ら奉先殿に告げ、使を遣わしてそれぞれの王府で冊し、臨軒の礼を廃した。襲封すべき諸王はみな年末に官を遣わして冊封した。嘉靖年間に孟春に改め、令として定めた。
- 王妃を冊するのは太子妃を冊する儀と同じである。
- 公主を冊する儀は次のとおり。洪武九年七月(1376年)、使に命じて公主を冊した。冊案を乾清宮の御座の東南に設ける。冊は銀の字に金鍍金を施したものを用いる。皇帝・皇后が御座に升り、使を遣わして冊を捧げさせ制を伝えること儀のとおり。使者が華蓋殿に至り、公主が拜して受ける。その儀はおおむね太子妃を冊するのと同じである。
- 皇帝の姑を大長公主、姉妹を長公主、皇女を公主、親王の女を郡主、郡王の女を縣主、その孫女を郡君、曽孫女を縣君、玄孫女を鄉君という。郡主以下は誥封を受けるだけで冊命はしない。
皇帝加元服儀
- 古くは冠礼は必ず廟で行い、天子は四たび冠を加えた。魏以後、正殿で冠するようになり、また天子は至尊であるとして礼は一加のみとなり、歴代これを踏襲した。
- 明の洪武二年(1369年)に定めた制では、まず太史院に日を占わせ、工部が冕服を製し、翰林院が祝文を撰し、禮部が儀注を用意する。中書省が制を承けて某官に太師を、某官に太尉を摂らせる。日が定まると官を遣わして天地・宗廟に告げる。
- 前日、内使監令が御冠席を奉天殿の中央に据え、その南に冕服の案・香案・寶案を置く。侍儀司が太師・太尉の起居位を文樓の南に西向きに、拜位を丹墀の内道に、侍立位を殿上の御席の四方に、盥洗位を丹陛の西に設ける。百官と諸執事の位次は大朝儀のとおり。
- 当日質明、鼓が三たび鳴って百官が入る。皇帝は空頂幘・雙童髻・雙玉導・絳紗袍で輿に乗って出る。侍衛の警蹕と奏楽は儀のとおり。皇帝が座に升り、鞭を鳴らして時を報じ終わると、通班が各役の着任を贊する。太師・太尉がまず入って拜位に就き、百官もみな入る。拜を贊し、楽が起こって四拜、楽が止む。
- 引禮がまず太師を盥洗位に導き、笏を挿して手を洗い拭き終えて笏を出し、西の階から升る。内贊が御席の西に迎え導いて東向きに立たせる。引禮が次に太尉を導いて手を洗わせ、太師の南に立たせる。
- 侍儀が加元服を請うことを奏す。太尉は皇帝の前に進んでやや右に跪き、笏を挿して空頂幘を脱し内使に渡して箱に納めさせ、櫛を進め纚を着ける。終わって笏を出し起って西に退く。太師が前に進んで北を向いて立つ。内使監令が冕を取って左に立つ。太師が「令月吉日、はじめて元服を加える。長寿と吉祥をもって大いなる福を得られますように」と祝する。内使監令が冕を捧げて跪いて渡し、太師は笏を挿して跪いて受け、冕を被せ、簪を挿し、冠の纓を結び終えて笏を出し起ち、西に戻って立つ。
- 御用監令が皇帝に衮服を着るよう請い、皇帝は起って衮服を着る。侍儀が御座に就くよう請う。内贊が醴を進めるよう贊し、楽が起こる。太師が御前に進んで北を向いて立ち、光禄卿が酒を奉じて太師に渡す。太師は笏を挿して酒を受け「甘き醴は厚く、供え物は芳しい。天の恵みを承け、長寿を忘れることがありませんように」と祝する。祝し終えて跪いて内使に渡し、内使が跪いて酒を受けて捧げ進める。皇帝は受けて少し祭り、酒を口にする。終わって空の盞を内使に渡すと楽が止む。内使は盞を受けて降り太師に渡し、太師は盞を受けて起ち光禄卿に渡し、光禄卿は盞を受けて退く。太師は笏を出して退き、元の位置に戻る。
- 内贊が太師・太尉を導いて殿の西門から出し、楽が起こって西の階を降り、引禮が丹墀の拜位に導くと楽が止む。拜を贊し、楽が起こって太師・太尉と文武官がみな四拜、楽が止む。三たび舞踏して山呼し、俯伏して起ち、楽が起こってまた四拜、楽が止む。礼が終わって皇帝が起ち、鞭を鳴らし、楽が起こる中を入宮すると楽が止む。百官が退出する。
- 皇帝は通天冠・絳紗袍に着替えて太后に拜謁すること正旦の儀のとおり。日を択んで太廟に謁すのは時祭と同じ。翌日、百官が公服で称賀し、謹身殿で宴を賜う。
- 萬厯三年正月(1575年)、帝が日を択んで髪を伸ばす儀を行うにあたり禮部に儀を用意するよう命じた。大學士張居正らが言うには、礼は冠婚を重んずるが、皇上はさきに東宮にあったとき既に冠礼を定め、三加して尊称を称え爵を執って酳の礼を行っており、大きな礼は既に済んでいるのだから細部は省いてよく、部の臣に議を作らせるまでもない。ただ先立って奉天殿・𢎞孝殿・神霄殿に赴いて長髪のことを告げ、終わって両宮の皇太后に参って五拜三叩頭の礼を行い、続いて乾清宮に出御して賀を受ければよい、と。帝はこれを認め、令として定めた。
皇太子皇子冠禮
- 礼に「冠は阼で行って世を継ぐことを示し、客位で醮し、三たび加えて次第に尊くし、成人となることを加える。冠して字を付けるのが成人の道である。天子の元子といえどもなお士と同じ」とある。その礼は歴代用いられてきた。
- 明では皇太子の加元服は周の文王・成王の冠礼の年齢を参用し、早ければ十二歳、遅ければ十五歳とした。
- 嘉靖二十四年(1545年)、穆宗は東宮にあってまだ十歳だったが冠礼を行おうとした。大學士嚴嵩・尚書費宷ははじめ難色を示したが、のちに帝の意向に迎合して行うべきだとし、煩雑な儀式を少し省いてただ礼が成るようにするだけにと請うた。帝は冠には礼を具えるべきだとして、二十八年(1549年)に至ってはじめてこれを行った。
- その儀は洪武元年(1368年)に定められた。前もって太史監が日を占い、工部が衮冕以下の諸服を用意し、翰林院が祝文を撰し、中書省が制を承けて某官を賔、某官を贊とする。日が定まると官を遣わして天地・宗廟に告げる。
- 前日、御座と香案を奉天殿に据え、皇太子の控え所を殿の東房に、賔・贊の控え所を午門外に設ける。質明、執事官が罍洗を東の階に設け、皇太子の冠席を殿上の東南に西向きに、醴席を西の階の上に南向きに設ける。帷幄を東序の内に張り、褥席を帷の中に設け、さらに帷を席の外に張る。御用監が服を帷の内に並べ、襟を東に北を上手とする。衮服九章・逺逰冠・絳紗袍・折上巾・緇纚・犀簪を服の南に、櫛をさらにその南に置く。司尊が醴を側尊に満たし勺と羃を添えて醴席の南に据え、玷を尊の東に置いて爵二つを備える。進饌者が饌を盛って尊の北に据える。諸執事者はそれぞれの持ち場に立つ。
- 鼓が三たび鳴って文武官が入る。皇帝は通天冠・絳紗袍で常のとおり座に升る。賔・贊が位に就き、楽が起こって四拜、楽が止む。侍儀司が跪いて制を承け、東の階を降りて賔の前に進み「有敕」と称する。賔・贊および在位の官がみな跪くと「皇太子の冠礼である。卿らに礼を行わせる」と宣する。みな俯伏して起ち、四拜する。文武官は班に従ってみな殿内の位に就き、賔・贊・執事官は東の階下の位に進む。
- 東宮官と太常博士が殿前の東房に進んで皇太子を導き、冠席に入らせる。内侍二人が両脇に侍し、東宮官が後ろに従う。楽が起こって席に就き西南を向くと楽が止む。
- 賔・贊が順に罍洗に進み、楽が起こって笏を挿して手を洗い拭き、笏を出すと楽が止む。西の階から升る。執事者が折上巾を捧げて進め、賔は一段降りてこれを受け、右手で頂を、左手で前を持って太子の席の前に進み、北を向いて祝する。祝し終えて跪いて冠を着けると楽が起こる。賔は起って席の南に北を向いて立つ。贊冠者が席前に進んで北を向いて跪き、冠を正して起ち、賔の後ろに立つ。内侍が跪いて服を進め、皇太子が起って着ける。終わると楽が止む。賔が皇太子に揖して坐らせる。
- 賔・贊が降りて罍洗に進み、終わって贊が前に進んで跪き、折上巾を脱して箱に納め、起って内侍に渡す。執事者が逺遊冠を捧げて進め、賔は二段降りてこれを受ける。楽が起こって前と同じく冠を進める。贊が前に進んで北を向いて跪き、簪を挿して紘を結ぶ。内侍が跪いて服を進めると楽が止む。賔が皇太子に揖して坐らせる。
- また罍洗に進み、贊が冠を脱す。執事者が衮冕を捧げて進め、賔は三段降りてこれを受ける。楽が起こって冠を進め紘を結び、内侍が跪いて服を進めるのは前と同じ。終わると楽が止む。
- 太常博士が皇太子を導いて東の階を降り、楽が起こって西の階から升り、醴席に就いて南を向いて坐すと楽が止む。賔が罍洗に進んで手を洗い拭く。贊冠者が爵を取って洗い拭き、司尊のもとに進んで醴を酌んで賔に渡す。賔は爵を受け跪いて皇太子に進め、祝する。祝し終えて皇太子は圭を挿して跪いて受け、楽が起こる。飲み終えて爵を置き、圭を執る。進饌者が饌を前に供え、皇太子は圭を挿して食べ、終わって圭を執って起つと楽が止む。爵と饌を下げる。
- 博士が皇太子を導いて西の階を降り、殿の東房に至って朝服に着替え、丹墀の拜位に進んで北を向く。東宮の官属もそれぞれ拜位に戻る。賔・贊が皇太子の位のやや東に進んで西を向く。賔が少し進み出て字を付ける辞を「敕を奉じて某と字す」と述べる。皇太子は再拜して跪いて敕を聴き、また再拜して起つ。御前に跪いて「臣は不敏ではありますが、謹んでお受けせぬわけには参りません」と奏し、終わって元の位置に戻る。侍立の官もみな殿を降りて元の位置に戻り、四拜する。礼が終わって皇帝が起つ。
- 内給事が皇太子を導いて内殿に入り、皇后に拝謁すること正旦の儀のとおり。翌日、廟に謁すこと時享の礼のとおり。その翌日、百官が朝服で奉天殿に参って称賀し、退いて公服に着替えて東宮に参って称賀し、宴を賜る。
- 成化十四年(1478年)に続けて定めた皇太子冠礼は次のとおり。前日に幕次を設け、当日、文華殿の東序に節案・香案・冠席・醴席・盥洗・司尊所などを儀のとおり設ける。内侍が帷幄を張り、袍服・皮弁服・衮服・圭・帯・舃・翼善冠・皮弁・九旒冕を並べる。質明、皇帝が奉天殿に出御して制を伝え、官を遣わして節を持たせる。皇太子は文華殿の門外に迎え、捧げ入れて案に置いて退く。禮部官が皇太子を香案の前に導き、楽が起こって四拜、楽が止む。
- 初加の冠礼。内侍が翼善冠を捧げ、賔が「吉月良辰、いま元服を加える。つとめて敬みを承け、永く大いなる福を得よ」と祝する。楽が起こり、賔が跪いて冠を進めて起つと楽が止む。禮部官が着替えを申し上げ、皇太子は幄に入って𫀆服に着替えて出、申し上げて坐に戻る。
- 再加の冠礼。内侍が皮弁を捧げ、賓が「冠礼を重ねて挙げ、もって善き徳を成す。威儀を敬み慎むは、民の手本である」と祝する。冠を終えて帷に入り皮弁服と舄に着替えて出、申し上げて坐に戻る。
- 三加の冠礼。内侍が冕旒を捧げ、賔が「章服がことごとく加わり、慎みと敬みが備わった。永く皇統を千萬年に固くせよ」と祝する。冠を終えて幄に入り衮服に着替えて出、申し上げて坐に戻る。
- 醮礼。皇太子が醴席に進み、楽が起こって坐に就くと楽が止む。光祿寺官が醴の案を挙げ、楽が起こって醴を酌むよう贊して賔に渡す。賔が爵を執って席の前に進むと楽が止む。賔が「旨酒は大いに香り、供え物はいよいよ芳しい。天の福を受け、萬世に栄えよ」と祝する。賔が跪いて爵を進め、皇太子は圭を挿して爵を受け堂に置く。教坊司が楽を奏し「喜千春の曲」を演ずる。次に進酒を申し上げ、皇太子が爵を挙げて飲み終え、爵を案に置くと楽が止む。光禄寺官が饌を進め、楽が起こって案に至ると楽が止む。食べ終わって圭を出し、案を下げる。賔・贊が元の位置に戻る。
- 鳴贊が敕戒を受けるよう贊する。皇太子が階を降り、楽が起こって拜位に至ると楽が止む。宣敕戒官が皇太子の前のやや東に進んで西を向いて立ち「有制」と言う。皇太子が跪くと「君と親に孝を尽くし、兄弟に友愛をもって接し、賢者を親しみ民を愛し、仁に居り義に従い、怠らず驕らず、萬世を栄えさせよ」と敕戒を宣する。楽が起こって四拜、楽が止む。持節官が節を捧げて出、楽が起こる。皇太子は節を殿門の外まで送り、還って東を向く。内侍が導いて還宮すると楽が止む。賓・贊らの官が節を持って復命する。ほかは旧儀のとおり。
- この日、皇太子は皇太后・皇帝・皇后の前に参って謝し、いずれも五拜三叩頭の礼を行い、楽を用いる。翌日、皇帝と皇太子が群臣の賀を受けること儀のとおり。
- 皇子の冠礼では、初加に網巾を進め、祝詞は「これぞ吉日、冠して成人となる。よく孝と友愛を篤くし、福禄が並び至れ」。再加に翼善冠を進め、祝詞は「冠礼をここに挙げるのは、まことに徳の成ったゆえである。威儀を敬み慎むは、民の則である」。三加に衮冕を進め、祝詞は「冠は三加に至り、命服がここに輝く。神を敬い上に仕え、永く藩国を固くせよ」。醴を酌む祝は「旨酒と嘉き供え物、かぐわしく芳しい。この大いなる福を受け、百世に栄えよ」。敕戒の詞は「君と親に孝を尽くし(底本は「孝子君親」に作る。「孝事」の誤りか)、兄弟に友愛をもって接し、賢者を親しみ民を愛し、おおむね礼義に従い、驕り高ぶることなく、永く富貴を保て」。陳設・執事および制を伝えること、謁して謝することはみな皇太子の儀と同じである。
- 当初、皇子の冠の翌日には百官が称賀を終えてから王府に参って礼を行った。成化二十三年(1487年)、皇子の冠の翌日にそれぞれ奉天門の東廡に参って順に着座し、百官が常服で四拜することとした。
- 萬厯二十九年(1601年)、禮部尚書馮琦が言うには、旧制では皇太子の冠に冠席・醴席を文華殿の内に設けたが、いま文華殿は皇上が臨御し官を遣わす場となっているので、皇太子の冠礼・醴席は殿の東序に移すべきである。また親王の冠は旧く席を皇極門の東廡に設けたが、皇太子が席を殿の東序に移すなら親王は殿の西序に移すべきである、と。これに従った。
- 永樂九年十一月(1411年)、皇太子の嫡長子を皇太孫とし、華蓋殿で冠礼を行った。その儀は皇太子と同じである。
品官冠禮
- 古くは男子は二十歳で冠し、大夫は五十歳を過ぎてから爵を得たので、大夫の冠礼というものは無かった。唐の制では三加とし、一品の子は衮冕、九品の子は爵弁に至るまで、みな士礼に倣って加増したものである。
- 明の洪武元年(1368年)に定めた制では、初加は緇布冠、再加は進賢冠、三加は爵弁とする。
- その儀は次のとおり。前もって日を択び、主人が家廟に告げ、賔を占って決める。二日前に賔と贊冠者に通知する。その翌日、控え所を大門の外の右手に南向きに設ける。
- 当日早朝、洗を阼階の東南に設け、東西は東霤に合わせる(六品以下は東榮に合わせる)。南北は堂の奥行きに従う。罍水は洗の東に置き、勺と羃を添える。篚は洗の西南に並べ、巾一つを篚に入れて羃を掛ける。席を東房の西の窓下に設け、服を席に並べて襟を東に北を上手とする。莞筵四枚に藻席四枚を重ねて南に置く。側尊の甒に入れた醴は服の北に置き勺と羃を添える。坫を尊の北に設ける(四品以下は篚を設けて坫は用いない)。饌を坫の北に並べる。洗を東房の北寄りに設け、罍は洗の西、篚は洗の東北に並べ、巾を入れる。
- 質明、賔と贊が門外に至り、掌次者が控え所に導く。賔と贊は公服、諸行事者はそれぞれの服を着て位に就く。冠はそれぞれ一つずつを人が持って西の階の西に東を向き北を上手として控える。主人の席を阼階の上に西向きに、賔の席を西の階に東向きに、冠者の席を主人の東に北向きに設ける。主人は公服で阼階の下に立って冠者に向かい合う。諸親は公服で罍洗の東南に西を向き北を上手として立つ。目上の者は別室にいる。儐者は公服で門内の道の東に北を向いて立つ。冠者は雙童髻・空頂幘・雙玉導・綵摺・錦紳・烏の衣履で房の中に南を向いて立つ(六品以下は導に玉を用いない)。主人側の贊冠者は公服で房内の戸の東に西を向いて立つ。
- 賔と贊冠者が控え所を出て門の西に東を向き北を上手として立つ。儐者が進んで主人の命を受け、出て門の東に西を向いて立ち「事を承りたい」と言う。賔が「某子に嘉礼があり、某に執事を命じられた」と答える。儐者が入って告げる。主人が大門の外の東に賔を迎えて西向きに再拜し、賔が答拜する。主人が贊冠者に揖し、贊冠者が揖を返す。また賔に揖し、賔が揖を返す。主人が入り、賔と贊が続いて入る。内門を経て階に至り、主人が升るよう請い、賔が三たび辞退してのちに升る。主人は阼階から席の東に西を向いて立ち、賔は西の階から席の西に東を向いて立つ。
- 賔側の贊冠者が庭に至って洗で手を洗い、西の階から升って東房に入り、主人側の贊冠者の南に西を向いて立つ。主人側の贊冠者が冠者を導いて房の西に南を向いて立たせる。賔の贊冠者が纚・櫛・簪を取って跪いて筵の南端に置き、退いて席の北のやや東に西を向いて立つ。賔が冠者に揖し、冠者が進んで席に升り西を向いて坐す。賔の贊冠者が筵の前に進んで東を向いて跪き、雙童髻を解いて櫛り、終わって纚を着け、起って元の位置に戻る。
- 賔が降りて罍洗に至って手を洗い、終わって西の階に進む。主人は席の後ろに西を向いて立ち、賔は西の階の上に東を向いて立つ。緇布冠を持つ者が升り、賔は一段降りてこれを受け、右手で頂を、左手で前を持って冠者の筵の前に進み東を向いて立つ。祝詞は士礼のものを用いる。祝し終えて跪いて冠を着け、起って元の位置に戻る。賔の贊冠者が筵の前に進んで東を向いて跪き、纓を結んで起ち元の位置に戻る。冠者が起ち、賔が揖して房に入らせる。賔と主人はともに坐す。冠者は青衣・素裳を着けて戸を出て西南を向いて立つ。
- 賔と主人がともに起ち、賔が冠者に揖し、冠者が進んで席に升り西を向いて坐す。賔の贊冠者が跪いて緇布冠を脱し、櫛って纚を着ける。賔が進賢冠を持って進み立ち、初加の礼と同じく祝する。祝し終えて跪いて冠を着け、起って元の位置に戻る。賔の贊冠者が跪いて進賢冠を脱し、櫛って纚を着ける。賔が爵弁を持って進み立ち、再加の礼と同じく祝する。賔と贊拜者が簪を挿し纓を結ぶのは前と同じ。冠者は房に入って爵弁の服を着ける。
- 主人側の贊冠者が纚・櫛と筵を下げて房に納め、あらためて筵を室の中に西南向きに設ける。冠者が房を出て戸の西に南を向いて立つ。賔が醴を受けて冠者の筵の前で北を向いて立ち祝する。祝し終えて冠者が拜して觶を受け、賔は西の階の上に戻って答拜する。執饌者が饌を筵に進める。冠者は左手に觶を執り右手で脯を取って邊と豆の間に祭る。贊者が胏一つを取って冠者に渡す。觶を薦の西に置いて祭る。冠者は觶に向かって坐して醴を祭り、觶を置いて再拜し、賔が答拜する。冠者が觶を執って起ち、賔と主人がともに坐す。冠者は升って自ら跪いて觶を薦の東に置き、起って進み北を向いて跪いて脯を取り、西の階を降りて入って母に会い、進んで脯を席の前に供え、退いて再拜して出る。母が不在なら人に西の階の下で脯を受けさせる。
- 冠者が入って母に会うとき、賔と主人はともに起つ。賔は降りて西序に向かい合って東を向いて立ち、主人は降りて東序に向かい合って西を向いて立つ。冠者が出て西の階の東に西を向いて立つ。賔が進んで字を付ける辞は士礼と同じ。冠者は再拜して跪き「某は不敏ではありますが、朝夕慎んでお受けいたします」と言う。賔が退出し、主人は内門の外に西を向いて送り、従者にも礼をするよう請う。賔が控え所に就き、主人が入る。
- 賔が出たあと、冠者は東を向いて諸親に会う。諸親が拜し、冠者が答拜する。冠者が西を向いて賔と贊に拜し、賔と贊も答拜する。別室で目上の者たちに会い、筵に就いて西南を向いて立つ。賔が醴を受けて冠者の筵の前に進み北を向いて立ち祝し、終わって冠者も同じようにする。
- 賔と主人が礼服を脱いで醴席に入り一献を終えると、賔と衆賔が出て門の東に西を向いて立つ。主人が出て賔を送り(底本は「擇賔」に作る。「送賔」の誤りか)、賔が揖を返す。主人が先に入り、賔と衆賔が従う。階に至って賔は西の階の上に、主人は東の階の上に、衆賔は西の階の下に立つ。主人が蔽篚を賔に渡す。贊が元の位置に戻り、阼階の上に還って北を向いて拜し送る。賔と贊が西の階を降り、主人が大門の外で賔を送って西向きに再拜して入る。
- 父を亡くした子の場合は、諸父・諸兄が賔に通知し、冠の日に主人が髻を結って賔を迎え、阼階の下で冠する。その儀もまた同じである。
- 翌日、廟に会う。冠者は朝服で南門から入り、中庭の道の西で北を向いて再拜して出る。
庶人冠禮
- 古の冠礼で今に伝わるのは士礼だけで、後世はみなこれを押し広げて用いた。明の洪武元年(1368年)、詔して冠礼を定め、庶人にまで及ぼして細部まで整えた。しかし品官から下はこれをよく行う者が稀で、これを載せるのは礼官が故事を備えておくためにすぎない。
- 男子は十五歳から二十歳までならみな冠してよい。冠するにあたり日を占い、賔を占い、賔に通知するのはみな品官の儀と同じ。
- 当日早朝、幄を張って廳事の東を房とする。みな盛装する。冠を阼階の下の東南に据え、服を房中の西の窓下に並べ、席二枚を南に置き、酒を服の北に置く。次に幞頭・巾・㡌をそれぞれ盤に盛り、三人が捧げて堂下の西の階の西に南を向き東を上手として立つ。主人は阼階の下に立ち、諸親は盥の東に立ち、儐者は門外に立って賔を待つ。冠者は雙紒・袍・勒帛・素履で房に控える。
- 賔が到着すると主人が出迎え、揖して入る。着座が定まると冠者が房から出る。執事者が式の開始を請う。賔の贊者が櫛・總・箆・幧頭を取って案の南端に置く。賔が冠者に揖し、冠者は席に就いて西を向いて坐す。贊者が髪を櫛り、紒を合わせ總を施し幧頭を着ける。
- 賔が降り、主人も降りて阼階の下に立つ。賔が手を洗い、主人が揖譲して西の階から升り元の位置に戻る。執事者が巾を進め、賔は一段降りてこれを受け、冠者の席の前に進んで東を向いて祝する(祝詞は品官と同じ)。祝し終えて跪いて巾を着け、起って元の位置に戻る。冠者が起ち、賔が揖して房に入らせ深衣・大帯に着替えさせ、出て冠席に就かせる。
- 賔が初めと同じく手を洗う。執事者が㡌を進め、それぞれ二段降りてこれを受け、進んで祝し跪いて冠を着ける。終わって起ち元の位置に戻り、冠者に揖して房に入らせ襴衫・要帯に着替えさせ、出て冠席に就かせる。
- 賔が初めと同じく手を洗う。執事者が幞頭を進め、賔は三段降りてこれを受け、進んで祝し跪いて冠を着ける。終わって起ち元の位置に戻り、冠者に揖して房に入らせ公服に着替えさせて出す。
- 執事者が冠席を下げ、醴席を西の階に南向きに設ける。贊者が醴を酌んで房を出て冠者の南に立つ。賔が冠者に揖し、冠者は席に就いて西を向いて立つ。賔が醴を受けて席の前に進み北を向いて祝する。冠者が拜して受け、賔が答拜する。執事者が饌を進め、冠者は席に就いて坐して飲食し、終わって再拜し、賔が答拜する。
- 冠者は席を離れて西の階の東に南を向いて立つ。賔が字を付けるのは品官の詞と同じ。冠者が拜し、賔が答拜する。冠者は父母に拜し、父母はそのために起つ。諸父のうち目上の者に拜し、そして外に出て郷里の先生および父の親友に会う。先生と親友はみな答拜する。
- 賔が退こうとすると主人が賔をもてなしたいと請い、固く請うてようやく入り、酒と饌を設ける。賔が退くとき主人が賔に酬い、贊には幣を贈る。礼が終わると主人は冠者を祠堂に会わせ、再拜して退出する。