明史卷四十六 志第二十二 地理七
雲南(総説)
- 雲南は禹貢の梁州の徼外にあたる。元は雲南等處行中書省を置いた(治所は中慶路)。
- 洪武十五年(1382年)二月癸丑、雲南を平定して雲南都指揮使司を置き、乙卯には雲南等處承宣布政使司を置いた(雲南府と同じ地に治所を置く)。
- 当初の管轄は府五十八・州七十五・縣五十五・蠻部六。のちの管轄は府十九・禦夷府二・州四十・禦夷州三・縣三十・宣慰司八・宣撫司四・安撫司五・長官司三十三・禦夷長官司二。
- 四至は、北は永寧まで(四川との境)、東は富州まで(廣西との境)、西は干崖まで(西番との境)、南は木邦まで(交阯との境)。南京を距たること七千二百里、京師を距たること一万六百四十五里。
- 戸口は、洪武二十六年の編戸五万九千五百七十六・口二十五万九千二百七十。𢎞治四年に戸一万五千九百五十・口十二万五千九百五十五。萬厯六年に戸十三万五千五百六十・口百四十七万六千六百九十二。
雲南府
- 元の中慶路。洪武十五年正月に雲南府と改めた。州四・縣九を管轄する。
- 昆明(附郭)――洪武二十六年、岷王府が陝西の岷州からここへ移された。永樂二十二年に岷王府を湖廣の武岡州へ移し、跡地に滕王府を建てたが、宣徳元年に除かれた。東に金馬山があり、西南の碧雞山と向かい合い、どちらにも關がある。山の下がすなわち滇池で、池は城の南にあって周囲五百里。その西南が海口で、武定府に至って北へ金沙江に注ぐ。また東に盤龍江があって西へ滇池に注ぐ。東に赤水・鵬清水江の二巡檢司。
- 富民(府の西北)――東に螳蜋川があり、源は滇池、下流は金沙江に入る。東南に安寧河。
- 宜良(府の東やや南)――東に大池江(一名を大河、また巴盤江ともいう)。西に湯池巡檢司。
- 羅次(府の西北)――もと安寧州の所属だったが、𢎞治十三年八月に府の直属へ改めた。西に星宿河があり、武定府から流れ入る。また沙摩溪があり、これが安寧河である。南に鋉象關巡檢司。
- 晉寧州――西に大堡河があり、下流は滇池に入る。北へ府まで百里。縣二を管轄する。
- 歸化――東北に交七浦があり、滇池の下流にあたる。
- 呈貢――州の北。西に滇池、北に落龍河があって南流して滇池に入る。
- 安寧州――西に呀嵕山があり、煎鹽水が出るので鹽課提舉司を設けて鹽井四を管轄させた。天啟三年に琅井へ移して設けたため、この司は廃止された。また南に螳蜋川、西に安寧河。ほかに禄脿・貼琉の二巡檢司。東へ府まで八百里。縣一を管轄する。
- 禄豐――州の西。西に南平山があり、山上に關。東に大溪があり、これが安寧河。西に星宿河があり、その東に老稚關巡檢司。また西に蘭谷關。
- 昆陽州――東南に渠濫川があり、東北へ滇池に入る。北へ府まで百五十里。縣二を管轄する。
- 三泊――州の西北。西に三泊溪があって滇池に流れ入る。
- 易門――州の西南。易門守禦千戸所は洪武二十四年の設置で、もとの縣治がここにあった。萬厯三年にふたたび縣治をここへ戻した。また南に黎崖山があり、変わった馬を産するので一名を馬頭山という。西に九渡河があり、禄豐縣の大溪の下流で、元江府の境に入る。
- 嵩明州――洪武十五年三月に嵩盟と改称し、成化十八年にもとの名に復した。東北に羅錦山、東に禿高山、西北に東葛勒山、東南に烏納山があり、牧漾水がここから出て西南へ滇池に入る。また東南に嘉利澤があり、楊林澤ともいう。また西に卲甸河があり、九十九の泉を集めて昆明に至り盤龍江となる。西に邵甸縣があり、洪武十五年三月に州の所属となったがまもなく廃された。東南に楊林縣があったが成化十七年十月に廃された。また東に楊林守禦千戸所があり、洪武二十五年の設置。また西に兔兒關巡檢司。西南へ府まで百二十里。
曲靖府
- 元の曲靖路。洪武十五年三月に府とし、二十七年四月に軍民府へ昇格させた。州四・縣二を管轄する。西へ布政司まで二百九十里。
- 南寧(附郭)――東南に石堡山があり、山の西に元の越州の治所があったが洪武二十八年正月に廃された。北に白石江があり、城南の瀟湘江と合流し、さらに東南で左小江と合わさる。これを南盤江ともいう。下流は雲南・澂江・廣西の三府の境をめぐり、羅平州に至って貴州の境に入る。東北に白水關巡檢司。
- 亦佐(府の東)――元は羅雄州の所属で、永樂初に府の直属へ改めた。西南に塊澤江。
- 霑益州――東南に堆湧山、北に北盤江があり、その上流はすなわち貴州畢節衛の可渡河で、州の境内へ流れ入り、また東南へ貴州安南衛に入る。その西南にはまた南盤江があり、南寧縣の東山河である。南に交水縣、東南に羅山縣、東北に石梁縣があり、元ではみな州の所属だったが洪武十五年にいずれも廃された。南に平夷衛があり、もとは平夷千戸所で、洪武二十一年十一月に置かれ、二十三年四月に衛へ改められ、のち廃されたが、永樂元年にふたたび衛を置いた。この衛は貴州から西へ入る要衝にあたる。東に巒岡、西に定南嶺、北に豫順關・宣威關。州の東南にはまた越州衛があり、洪武二十三年七月の設置で、二十四年十二月に陸凉州へ移り、二十八年に州とともに廃され、永樂元年九月に復置された。また州の南に松韶舖・阿幢橋の二巡檢司。また南に炎方城、西南に松株城があり、いずれも天啟五年の築造。西南へ府まで二百十三里。
- 陸凉州――東に邱雄山があり、その下に中涎澤があって、南盤江が集まる所である。西北に木容山があって關がある。また西に部封山。また西に芳華縣、南に河納縣があり、元ではみな州の所属だったが永樂初にいずれも廃された。西南に陸凉衛があり、洪武二十三年三月に古魯昌の地に置かれた。西南に喬甸があり、萬厯二年に営を立てて戍兵を置き、四十八年にはさらに法古甸・龍峝などの営を設けてその地を協同で守らせた。北へ府まで百二十里。
- 馬龍州――東南に木容箐山があり、洪武二十四年十二月にこの山に寧越堡を置いた。山の下に木容溪があり、下流はすなわち瀟湘江。また西に揚磨山があり、一名を關索嶺といい、上に關がある。西南に通泉縣があり、元は州の所属で永樂初に廃された。北に馬隆守禦千戸所があり、もとは馬隆衛で、洪武二十三年七月に置かれ、二十八年十月に所へ改められた。南に魯婆伽嶺巡檢司。また馬龍縣があり、元は州の所属で洪武十五年に廃された。西南に分水嶺關、東に三义口關。東へ府まで七十里。
- 羅平州――元の羅雄州。萬厯十五年四月に改名した。北に祿布山、東南に盤江があり、下流は貴州の慕役長官司の境に入る。南に定雄守禦千戸所があり、萬厯十四年九月の設置。西北へ府まで二百七十里。
尋甸府
- 元の仁徳路。洪武十六年十月辛未に仁徳軍民府へ昇格させ、丁丑に尋甸軍民府と改め、成化十二年に尋甸府と改めた。
- 旧治は東にあり、いまの治所は鳯梧山の下で、嘉靖七年十月に移った。西南に落隴雄山、また畦山、西に果馬山があり、その泉の流れが龍巨江となって下流は滇池に入る。また西南に三稜山があり、その上に九十九泉があって盤龍江の水源である。また東に阿交合溪。また北に為美縣、西に歸厚縣があり、元は府の所属で洪武十五年三月もそのままとされたが、まもなく廃された。東南に木密關があり、一名を易龍堡といい、洪武二十三年四月にここへ木密關守禦千戸所を置いた。
- 西南へ布政司まで二百六十里。
臨安府
- 元の臨安路。洪武十五年正月に府とした。州六・縣四・長官司九を管轄する。北へ布政司まで四百二十里。
- 建水州(附郭)――元のとき府は州の北にあったが、洪武年間に府の治所をここへ移した。西南に寳山、西北の右手に火燄山、東に石巖山があり、瀘江の水が石屏州から流れてここを経て、伏流して巖洞の中に入り、東へ出て樂蒙河となる。また東北に曲江があって東へ盤江に入り、曲江巡檢司がある。また西に禮社江があり、源は趙州に発してここを流れる。また寧遠州があり、萬厯十四年に建水州を割いて置かれ、四十八年に廃された。東南に納更山土巡檢司。
- 石屏州――元は石坪といった。洪武十五年三月に石平と改め、のちいまの名に改めた。南に鍾秀山、東に采玉山があって玉に似た石を産する。曲江があり、また異龍湖があって周囲百五十里、その中に大・小・中の三島があり、大島と中島の上にはどちらも城がある。その水を引いて瀘江とする。西に寳秀關巡檢司。東へ府まで七十里。
- 阿迷州――元の阿寧萬戸。洪武十五年三月に州を置いた。東南に買吾山があり、萬厯初に雷公山と改名した。また南に盤江、東に樂蒙河があって流れ入る。また東に火井があり、東山口土巡檢司がある。また部舊村巡檢司があったがのち廃された。また阿迷守禦城があり、萬厯二年の築造。西へ府まで百二十里。
- 寧州――東南に登樓山、東に水角甸山があって蘆甘石を産する。また東に婆兮江があり、源は澂江府の撫仙湖で下流は盤江に入る。また西南に沅江があって合流する。また東に西沙縣があり、元は州の所属でのち省かれ、洪武十五年三月に復置してやはり州に属させたが、まもなくまた省かれた。西北に甸直巡檢司。西南へ府まで百八十里。
- 通海――府の西北。元は寧州の所属で、洪武十五年三月に府の所属へ改めた。南に秀山、北に通海湖。東に守禦通海前前右右の二千戸所があり、もとは元の臨安路の治所。洪武初に府の治所を建水州へ移し、十五年にここへ守禦千戸所を置いた。
- 河西――府の西北。東に曲江、また西に祿卑江があって新興州から流れ入り曲江に合わさる。また東北に縁溪河があり、その下流がすなわち通海湖。また北に曲陀關巡檢司があったがのち廃された。
- 嶍峨――府の西北。元は寧州の所属で、洪武十五年二月に府の所属へ改めた。東に曲江が新興州から流れ入る。また南に合流江、西北に丁癸江があってともに合流する。また西南に伽羅關、西に興衣鄉の二巡檢司。
- 蒙自――府の東南。西に目則山、東に雲龍山、また羨裒山がある。また東南に黎花江があり、これが禮社江で、東南へ交阯の清水江に注ぐ。黎花舊市柵があり、宣徳五年五月にここへ臨安衛右千戸所を置いた。また西南に西溪が二つあって銀鉱を産する。また南に蓮花灘があり、瀾滄江の下流で交阯の洮江の上流にあたる。西南に箐口關巡檢司。また大窩關・楊栁河關。東南に廃された果寨があり、また賀謎寨があって、いずれも交阯へ通じる道にあたる。
- 新平――府の西北。萬厯十九年の設置。東南に魯奎山、東に平甸河。司の南に南峝巡檢司。
- 新化州――もとは馬龍他郎甸長官司で、洪武十七年四月に置かれて布政司の直属となり、𢎞治八年に新化州と改められ、萬厯十九年にこの府の所属となった。北に徹崇山、西に馬籠山があり、蠻族の首長が砦を構えた所で、元はここに馬籠部千戸を置いて元江路に属させ、洪武十五年に廃した。また北に法龍山があり、これも蠻族の首長が砦を構えた所。また東南に馬籠江があり、これが禮社江で摩沙勒江ともいい、摩沙勒巡檢司がある。東北に阿怒甸。東南へ府まで五百三十里。
- 寧遠州――元の至治三年二月に置かれ、雲南行省の直隷。洪武十五年にこの府の所属となり、宣徳元年に安南長官司とともに(廃された)。
- 納樓茶甸長官司――府の西南。もとは納樓千戸所で、洪武十五年の設置、和況府に属した。十七年四月に改めて置かれた。北に羚羊洞があって銀鉱を産する。また禄豐江があり、これが禮社江の下流。また東に倘甸。
- 教化三部長官司――府の東南。元の强現三部で、洪武年間に改めて置かれた。西南に魯部河があり、源は禮社江で、下流は蒙自縣の黎花江に合わさる。
- 王弄山長官司――府の東南。元の王弄山大小二部で、洪武年間に改めて置かれた。
- 虧容甸長官司――府の西南。元の鐵容甸で元江路に属した。洪武年間に改めて置かれ、この府の所属となった。西に虧容江があり、源は沅江府の東で、車人寨を経て寧遠州の境へ出る。
- 溪處甸長官司――府の西南。元の溪處甸軍民副萬戸で元江路に属した。洪武年間に改めて置かれ、この府の所属となった。
- 思佗甸長官司――府の西南。元の和泥路で、洪武十五年三月に府とし、納樓千戸所と伴溪・七溪・阿撒の三蠻部を管轄したが、十七年に廃され、のち改めて置かれた。
- 左能寨長官司――府の西南。もとは思佗甸寨で、洪武年間に改めて置かれた。
- 落恐甸長官司――府の西南。元の伴溪落恐部軍民萬戸で、洪武年間に改めて置かれた。
- 安南長官司――府の東南。元の捨資千戸で、のち安南道防送軍千戸と改められた。洪武十五年三月にやはり捨資千戸所とし、まもなく長官司へ改めて置いた。正徳六年に蒙自縣へ併合されたが、天啟二年に復置された。
澂江府
- 元の澂江路。洪武十五年三月に府とした。州二・縣三を管轄する。西北へ布政司まで八十里。
- 河陽(附郭)――旧治は西にあり、洪武年間に繡毬山の上へ移り、𢎞治年間にまた縣の東の金蓮山へ移り、正徳十三年にまた縣の東の𤾉溥山の麓へ移り、嘉靖二十年にまた金蓮山の南へ移り、隆慶四年にまた舞鳯山の下へ移った。これがいまの治所である。北に羅藏山、南に撫仙湖があり、一名を羅伽湖といい、下流は東で盤江に合わさる。また東に鐵池河があり、源は陸凉州、ここへ流れて撫仙湖に合わさり、さらに流れを引いて鐵赤河となって盤江に入る。
- 江川――府の西南。南に旧城があったが崇禎七年に水で崩れ、旧江川驛へ移った。これがいまの治所である。また南に星雲湖があり、東南へ撫仙湖に入る。北に關索嶺巡檢司。
- 陽宗――府の東北。北に明湖があり、一名を陽宗湖といい、源は羅藏山で盤江に流れ入る。
- 新興州――東北に羅麽山があり、一名を石崖山という。西北に大棋山、また蒙習山があって晉寧州と境を接する。また大溪があり、下流は嶍峨縣に至って曲江に入る。羅麽溪があり、源は羅麽山で大溪に入る。また北に普舍縣、南に研和縣があり、元ではともに州の所属、洪武十五年三月もそのままとしたが、まもなく廃された。また北に鐵爐關巡檢司。東へ府まで二百里。
- 路南州――西南に竹子山、東に劄龍山があって石から銅を精錬できる。西に巴盤江があり、源は陸凉州。また鐵赤河が合流する。東南に邑市縣があり、元は州の所属で𢎞治三年九月に廃された。東北に革泥巡檢司。西へ府まで百三十里。
廣西府
- 元の廣西路。洪武十五年三月に府とした。西に阿盧山、西北に巴盤江、また西に南盤江、また南に矣邦池があり、一名を龍甸海といい、彌勒州の境にまたがって南へ盤江に入る。州三を管轄する。西北へ布政司まで三百十里。
- 師宗州――西に龜山があり、萬厯四十八年にここに督捕城を築いた。東に英武山、西に盤江、また西北に巴盤江が合流し、東北へ羅平州の境に入る。西南へ府まで八十里。
- 彌勒州――南に卜龍山、西に阿欲山、東南に盤江山があって南盤江がその下を流れる。また東に八甸溪があり、南で南盤江に合わさる。また西に十八寨山があり、嘉靖元年二月にここへ十八寨守禦千戸所を置いて雲南都司の直属とした。また南に揑招巡檢司。東北へ府まで九十里。
- 維摩州――元の天徳四年二月の設置。東北に小維摩山、東南に大維摩山、また阿母山がある。また東北に寶寧溪があり、下流は廣南府の境を経て西洋江に合わさる。西に三鄉城があり、萬厯二十二年に□(底本欠字)。西北へ府まで二百二十里。
廣南府
- 元の廣南西路宣撫司。洪武十五年十一月に改めて廣南府を置いた。西北に牌頭山があり、土地の者がその上に砦を築いた。南に西洋江があり、東南へ廣西の田州府に至って左江に入る。州一を管轄する。西北へ布政司まで七百九十里。
- 富州――元の至元十三年の設置で廣南西路に属した。洪武十五年に府の所属へ改めた。東南に者鷂山、東北に西寧山、また東に楠木溪があり、州の南で南汪溪と合わさり、十五里伏流して東で西洋江へ出る。西南に安寧州、東北に羅佐州があり、どちらも元の至元十三年に置かれて廣南西路に属し、洪武十五年もそのままとしたが、のちともに廃された。西へ府まで二百里。
元江軍民府
- 元の元江路。洪武十五年三月に府とし、永樂初に軍民府へ昇格させた。州二を管轄する。東北へ布政司まで七百九十里。
- 奉化州(附郭)――もとは因□(底本欠字)羅必甸長官司で、洪武十八年四月の設置。嘉靖年間に州へ改めた。東に羅槃山があり、また玉臺山ともいう。また路通山。東南に元江があり、禮社江ともいい、東南へ納樓茶甸長官司の境に入る。西南に瀾滄江があって車里宣慰司と境を分ける。また西に步日部があり、洪武年間に廃された。また東に禾摩村巡檢司。
- 恭順州――もとは他郎寨長官司で、嘉靖年間に州へ改めた。
楚雄府
- 元の威楚開南路。洪武十五年三月に楚雄府と改めた。州二・縣五を管轄する。東へ布政司まで六百里。
- 楚雄(附郭)――元では威楚といい、洪武十五年二月に改名した。西に薇溪山、また龍川江があって城の北の青峰の下を流れ、峨□(底本欠字)江といい、下流は武定府に入って金沙江に合わさる。西に波羅澗があり、その麓に滷水が出るので元はここに鹽課司を設けたが、明では廃した。西北に吕合巡檢司。
- 廣通――府の東。元は南安州の所属で洪武十五年もそのままとし、のち府の所属に改めた。東北に盤龍山があり、九盤山ともいう。西に羅苴甸山、東に鹽倉山があって昔は鹽を産した。また卧象山、東南に卧獅山があってともに銀鉱を産する。また東北に阿陋雄山があり、阿陋井・猴井があってともに鹽を産する。また東に捨資河があり、武定府から流れ入って下流は元江に入る。また北に大河があり、西北へ定遠縣の龍川江に入る。東に捨資巡檢司、東北に沙矣舊、西に回蹬關の二土巡檢司。
- 定遠――府の西北。西に赤石山、東に龍川江。また黒鹽井があって提舉をここに設けた。また琅井提舉司はもと安寧州に置かれていたが天啟三年にここへ移った。黑井・琅井の二巡檢司。また西南に羅平關、南に會基關の二巡檢司。
- 定邊――府の西。元の至元十二年の設置で鎮南州に属し、洪武年間に所属を改めた。北に累盤山があり、上に自普關。また無量山。南に定邊河、また陽江が蒙化府から流れて合わさる。
- □(底本欠字)嘉――府の南。元の設置。西に黒初山、東北に卜門河があって卜門山の下を流れる。また東北で馬龍江に合わさって新化州に流れ入る。また西に上江河があって南安州の境に接する。
- 南安州――東に健林蒼山、また西南に表羅山があって銀を産する。北に捨資河。西へ府まで五十里(原文は「西此距府五十里」で「此」は「北」の誤りか)。
- 鎮南州――東北に石吠山、東に五樓山、西南に馬龍江があってその上流が定邊河、また東南へ□(底本欠字)嘉縣の境に入る。また西に平夷川があり、龍川江の上流。また沙橋巡檢司。また鎮南關・英武關・阿雄關の三土巡檢司。東南へ府まで五十里。
姚安軍民府
- 元の姚安路。洪武十五年三月に府とし、二十七年四月に軍民府へ昇格させた。州一・縣一を管轄する。東南へ布政司まで七百里。
- 姚州(附郭)――元は大理路の所属で、洪武十五年三月にこの府の所属となった。東に東山があり、一名を飽烟蘿山という。東北に金沙江、南に青蛉河があり、源は三菓山で、下流は大姚河に合わさる。北に守禦姚安千戸所があり、洪武二十八年の設置。東に箭塲、西に普昌、南に三窠、西南に普溯の四巡檢司。
- 大姚――府の北。元は姚州の所属で洪武十五年三月もそのままとし、のち府の所属に改めた。西北に赤石崖、北に大姚河があり、源は書案山。西北に龍蛟江があり、源は䥫索箐で、一名を苴泡江といい金を産する。どちらも東北へ流れて金沙江に入る。南に白鹽井提舉司があり、鹽井九を管轄する。また白鹽井巡檢司。東に姚安中屯十戸所があり、洪武二十八年の設置。
武定府
- 元の武定路。洪武十五年三月に府とし、まもなく軍民府へ昇格させた。隆慶三年閏六月に治所を獅子山へ移し、萬厯年間に軍民の称を止めた。州二・縣一を管轄する。東南へ布政司まで百五十里。
- 和曲州(附郭)――旧城は南にあり、元は州の治所がここにあった。隆慶三年十二月に州を移して府の附郭とし、吏目に兵を率いて守らせた。西北に三臺山、北に金沙江があり、源は吐蕃の共龍川の犂牛石で、下流は麗江・鶴慶の二府を経て本府の北界に至り、東へ流れて黎溪州に入り、さらに東へ四川の會川衛の境に入る。金沙江土巡檢司がある。また烏龍河があって金沙江に流れ入る。また西北に西溪河があり、楚雄府の龍川江の下流。また只舊・草起の二鹽井。東に南甸縣があり、元の路の治所で、洪武十五年三月に州の所属へ改め、成化二十年にやはり府の所属とし、正徳元年七月に省かれた。西北に乾海子、また羅摩洱、また南に小甸關の三巡檢司。西北に龍街關土巡檢司。
- 元謀――府の西北。西北に住雄山、また竹沙雄山。北に金沙江、西に西溪河が流れ入る。
- 祿勸州――北に法塊山、また哇匿歪山、東北に幸邱山、また烏蒙山があり一名を絳雲山という。北に金沙江があって四川の東川府と境を分ける。また東に普渡河があり、螳蜋川の下流で掌鳩河の水と合わさり、さらに金沙江に入る。北に易籠縣があり、元は州の所属で洪武十七年に省かれた。東に石舊縣があり、元は州の所属で天啟元年十月に省かれた。また北に普渡河巡檢司、南に撒墨巡檢司があったがのち廃された。西へ府まで二十里。
景東府
- 元の至順二年二月の設置。洪武十五年閏二月はそのままとし、三月に州へ降して楚雄府に属させ、十七年正月にふたたび府へ昇格させた。
- 西に景董山があり、洪武年間にその上へ景東衛城を築き、また山頂に小城を築いてこれを月城と呼んだ。北に蒙落山があり、一名を無量山という。西南に瀾滄江があり、源は金齒で、府の西南二百余里を流れ、南へ車里に注いで九龍江となり、下流は交阯に入る。東南に大河があり、定邊河の下流で、また東へ鎮南州に入って馬龍江となる。また南に土井があって鹽を産する。北に開南州があり、元は威楚開南路の所属、洪武十五年三月に楚雄府の所属となり、まもなく省かれた。また三汊河、西北に保甸の二土巡檢司。また北に安定關、南に母瓜關、東南に景蘭關、西南に蘭津橋があり鉄の鎖で造られている。
- 東北へ布政司まで千百八十里。
鎮沅府
- もとは鎮沅州。洪武三十五年十二月の設置で、永樂四年四月に府へ昇格させた。
- 西に波弄山があり、山の上下に鹽井が六つある。南に杉木江があり、源は者樂甸で、下流は□(底本欠字)遠州の谷寶江に合わさる。
- 長官司一を管轄する。北へ布政司まで千五十里。
- 祿谷寨長官司――府の東北。永樂十年四月に禄平寨をもって置いた。北に馬容山、南に南浪江があり、西南へ流れて杉木江に合わさる。
大理府
- 元の大理路。洪武十五年三月に府とした。州四・縣三・長官司一を管轄する。東南へ布政司まで八百九十里。
- 太和(附郭)――西に㸃蒼山、東に西洱河があり、一名を洱海といい、浪穹縣から流れ入って天橋の下を経て、東で㸃蒼山の十八の川と合わさってここに集まる。中に三島・四洲・九曲がある。西に様備江があり、一名を漾鼻水といい、劍川州から流れ入って㸃蒼山の裏を経て西洱河に合わさり、また西南へ流れて瀾滄江に入る。南に太和土巡檢司。また北に龍首關があり、上關ともいう。南に龍尾關があり、下關ともいう。
- 趙州――洪武十五年三月に趙喜州と改名し、まもなくもとに復した。南に九龍頂山、また定西嶺があって大江の源がそこから出る。一名を波羅江といい、西北へ西洱河に入る。また西南に様備江があって南のかた蒙化府の境に入る。東南に白厓□(底本欠字)江があり、源は定西嶺で、下流は禮社江となる。旧白厓城があり、嘉靖四十三年に修築して彩雲城と改名した。また東に乾海子、南に迷度市の二巡檢司。また定西嶺上巡檢司。西北へ府まで三十里。縣一を管轄する。
- 雲南――州の東。元の雲南州で、洪武十五年三月に縣へ改めて府に属させ、十七年に州の所属へ改めた。西北に寶泉山があり一泡江がある。東北に周官㱔子海、西に品甸があり、洪武十九年四月にここへ洱海衛を置いた。また東北に□(底本欠字)塲、また楚甸、南に安南坡の三巡檢司。
- 鄧川州――北に鍾山、また普陀江があり、一名を蒲萄江、また彌苴佉江といい、南へ西洱河に入る。また東に豪豬洞があり、一名を銀坑という。また青索鼻土巡檢司。南へ府まで七十里。縣一を管轄する。
- 浪穹――州の東。東北に佛光山があり、山の中腹に洞窟があって一万人を収容できる。山の後ろは険しく狭く、一女關という。また蓮花山、蒙次和山があってどちらも険峻。西南に鳯羽山、北に罷谷山があって洱水がそこから出る。西に様備江。西にはまた寧湖があり、明河ともいい、すなわち普陀江の上流。また五鹽井提舉司があり、洪武十六年の設置で萬厯四十二年に廃された。西南に鳯羽縣があり、洪武十五年三月に置かれて鄧川州に属し、まもなく省かれた。鳯羽鄉巡檢司がある。また東南に普陀崆巡檢司があったがのち廃された。西に上江嘴、西南に下江嘴の二土巡檢司。
- 賓川州――𢎞治六年四月に趙州および太和・雲南の二縣の地を割いて置いた。西に鷄足山があり、一名を九曲巖という。東北に金沙江があって東へ姚安府の境に入る。西に金龍湫があって西洱河に流れ入る。また東に大羅衛があり、鍾英山の下にあって𢎞治六年四月に州と同時に置かれた。また東北に赤石崖、西南に賓居の二巡檢司。西に神摩洞、また南に蔓神寨、北に白羊市の二巡檢司があったがのち廃された。また北に金沙江土巡檢司。西へ府まで百里。
- 雲龍州――元の雲龍甸軍民府で至元末の設置。洪武十七年に州へ改めてこの府の所属とし、正統年間には蒙化府の所属となり、のちまたこの府の所属に戻った。西に三峰山、東に瀾滄江。また西北に諾鄧などの鹽井、東南に大井などの鹽井があり、昔はどちらも五井提舉司の管轄だったが、のち州の所属に改まった。東に雲龍甸巡檢司があったがのち廃された。東北に順盪井、また上五井、東に師井、北に箭捍塲の四巡檢司。また東に十二關土巡檢司。以前はいずれも浪穹縣の所属だったが、のち所属を改めた。東南へ府まで六十里。
- 十二關長官司――府の東。元の十二關防送千戸所で、洪武年間に改めて置かれた。嘉靖元年五月に一泡江の西へ移った。
鶴慶軍民府
- 元の鶴慶路。洪武十五年三月に府とし、三十年十一月に軍民府へ昇格させた。
- 南に方丈山、また半子山があって鉱石を産する。東に金沙江、東南に漾共江があり、すなわち鶴川で、その下流は金沙江に入る。木按州、また副州があり、元ではともに府の所属だったが洪武十五年にいずれも廃された。東北に宣化關、西南に觀音山、また清水江の三巡檢司。
- 州二を管轄する。東南へ布政司まで千百六十里。
- 劍川州――元の劍川縣。洪武十五年三月もそのままとし、十七年正月に州へ昇格させた。西南に石寶山、南に劍川湖があり、俗に海子と呼び、様備江の下流にあたる。また西南に彌沙井鹽課司、また彌沙井巡檢司。東へ府まで九十里。
- 順州――元は麗江路の所属。洪武十五年三月に北勝府の所属となり、まもなくこの府の所属となった。西に金沙江、東に浴海浦があって北勝州と境を分ける。西へ府まで百二十里。
麗江軍民府
- 元の麗江路。洪武十五年三月に府とし、三十年十一月に軍民府へ昇格させた。州四を管轄する。東南へ布政司まで千二百四十里。
- 通安州(附郭)――西北に玉龍山があり、一名を雪嶺という。また金沙江があり、古名を麗水といい、源は吐蕃の境の犂牛石で、そこでは犂水という。「犂」がなまって「麗」となった。巨津・寳山の二州を流れ、武定府に至って北へ流れ四川の大江に入る。西に石門關巡檢司。
- 寳山州――西南に阿那山、南に金沙江。西へ府まで二百四十里。
- 蘭州――元は麗江路の所属。洪武十五年三月に麗江府の所属となり、まもなく鶴慶府の所属となり、のちまたこの府の所属に戻った。北に福源山、西北に瀾滄江があり、源は吐蕃の嵯和歌甸で、境内に流れ入って南へ雲龍州の境に入る。東北へ府まで三百六十里。
- 巨津州――南に華馬山、北に金沙江があって州の境に流れ入り、鉄の橋がその上に架かる。西北に臨江縣があり、元は州の所属、洪武十五年三月もそのままとしたが𢎞治以後に廃された。また東北に雪山關。東南へ府まで三百里。
永寧府
- 元は麗江路の所属の永寧州路。洪武十五年三月に北勝府の所属となり、十七年に鶴慶府の所属、二十九年に瀾滄衛の所属へ改まり、永樂四年四月に府へ昇格した。
- 金沙江が西にあり、東に瀘沽湖があって周囲三百里、中に三島がある。また東南に魯窟海子があり、干木山の下にあって下流は四川の鹽井衛の打冲河に入る。また北に勒汲河があり、吐蕃から流れ入ってこれも東へ打冲河に入る。また南に維易江があり、蒗蕖州から流れ入って瀘沽湖に注ぐ。
- 長官司四を管轄する。東南へ布政司まで千四百五十里。
- 剌次和長官司――府の東北。
- 革甸長官司――府の西北。
- 香羅甸長官司――府の西。
- 瓦魯之長官司――府の北。以上の四司はいずれも永樂四年四月の設置。
北勝州
- 元の北勝府で麗江路の所属。洪武十五年三月に布政司の所属となり、まもなく州へ降されて鶴慶府に属し、二十九年に瀾滄衛の所属へ改まり、正統七年九月に布政司の直隷となり、𢎞治九年に治所を瀾滄衛城へ移した。
- 瀾滄衛はもと州の南にあり、本来は瀾滄衛軍民指揮使司で、洪武二十八年九月に置かれて都司に属した。𢎞治九年に州を移して同じ地に治所を置き、まもなく軍民司を止めて単に衛とした。西南に瀾滄山、南に九龍山、西に金沙江があって州の治所を取り巻いて流れ、麗江ともいう。また南に陳海、また呈湖、東南に浪峨海があり、下流はいずれも金沙江に入る。東に羅易江があり、下流は永寧府の境に入る。北に蒗蕖州があり、元は麗江路の所属、洪武十五年三月に北勝府の所属となり、まもなく鶴慶軍民府の所属、二十九年に瀾滄衛の所属へ改まり、天啟年間に廃された。東に寧番土巡檢司。
- 南へ布政司まで千二十五里。
永昌軍民府
- 元の永昌府で大理路の所属。洪武十五年三月に布政司の所属となり、十八年二月にあわせて金齒衛を置いて都司に属させ、二十三年十二月に府を省いて衛を金齒軍民指揮使司へ昇格させた。嘉靖元年十月に軍民司を止めて単に衛とし、あらためて永昌軍民府を置いた。州一・縣二・安撫司四・長官司三を管轄する。東へ布政司まで千二百里。
- 保山(附郭)――もとは金齒千戸所で洪武年間の設置。永樂元年九月にはまた永昌府守禦千戸所を置き、どちらも金齒軍民司に属した。嘉靖三年三月に二所を改めて保山縣とした。東に哀牢山があり、本名は安樂で、夷語で哀牢という。西に九隆山、また東北に羅岷山があって瀾滄江がその麓を流れる。また南に潞江があり、旧名は怒江、一名を喳里江といい、潞江司から流れ入る。また北に清水河があり、縣の東南の峽口山の下を経て伏流し東へ出て瀾滄江に入る。また潞江州があり、宣徳八年六月に置かれて布政司の直隷、正統二年五月に廃された。また東北に沙木和、西北に清水關の二巡檢司。また北に甸頭、南に水眼の二土巡檢司。
- 永平――府の東北。元は永昌府の所属、洪武二十四年に金齒軍民司の所属、嘉靖元年にやはり府の所属となった。西南に博南山があり、一名を金浪巔山といい、俗になまって丁當丁山という。上に關がある。また花橋山があって鉄鉱を産する。また東北に横嶺山があって驛路が通る。東に銀龍江があり、下流は瀾滄江に入る。また東北に勝備江があり、下流は蒙化府の様備江に入る。また西南に花橋河があり、源は博南山で銀龍江に流れ入る。その上に花橋關があり、玉龍關ともいう。また東北に上甸・定夷關の巡檢司。東に打牛坪土巡檢司。
- 騰越州――元の騰衝府で大理路の所属。洪武十五年三月に布政司の所属となり、まもなく廃された。永樂元年九月に騰衝守禦千戸所を置いて金齒軍民司に属させ、宣徳六年八月に都司の直隷とし、正統十年三月に所を騰衝軍民指揮使司へ昇格させた。嘉靖三年十月に騰越州を置いて府に属させ、十年十二月に司を止めて騰衝衛とした。東に球牟山、東南に羅生山、南に羅佐衝山があってその上に鎮夷關があり巡檢司がある。また東北に髙黎其山があり、一名を崑崙岡という。西北に明光山があって銀鉱・銅鉱を産する。西に大盈江があり、大車湖ともいい、徼外から流れ入って下流は比蘇蠻の境に至り金沙江に注ぐ。また東北に龍川江があり、源は徼外の蛾昌蠻の地の七藏甸で、下流は大盈江に合わさる。その上に藤橋があり、龍川江關巡檢司がある。また西南に壘水河があり、大盈江の支流。また騰衝土州があり、宣徳五年六月に置かれて金齒軍民司に属し、のち布政司の直隷となり、正統三年五月にやはり金齒軍民司の所属となり、まもなく廃された。また西に古勇關。東北へ府まで二百七十五里。
- 潞江安撫司――元の柔遠路。洪武十五年三月に府とし、のち廃されて麓川平緬司の所属となった。永樂元年正月に分けて潞江長官司を置き都司の直隷とし、十六年六月に安撫司へ昇格させた。宣徳元年六月に布政司の所属へ改め、正統三年六月に金齒軍民司の所属、嘉靖元年十月に府の所属となった。北に潞江があり、一名を怒江といい、源は吐蕃の雍望甸で、南流してここを経て折れて東南へ府の境に入る。東岸に潞江關、北岸に細甸。また西に鎮姚守禦千戸所があり、萬厯十三年の設置で老姚關の鳯山の麓を治所とする。また西に全勝關。東北へ府まで三百五十里。
- 鎮道安撫司
- 楊塘安撫司――この二司の地はもと西番の所属で麗江府と境を接する。いずれも永樂四年正月に置かれて金齒軍民司に属し、嘉靖元年に府の所属となった。
- 瓦甸安撫司――もとは瓦甸長官司で宣徳二年に置かれて金齒軍民司に属し、九年二月に都司の直隷、正統三年五月にやはり金齒軍民司の所属となり、五年十一月に安撫司へ昇格し、嘉靖元年に府の所属となった。
- 鳯溪長官司――府の東。洪武二十三年十一月に置かれて金齒軍民司に属し、嘉靖元年に府の所属へ改まった。
- 施甸長官司――府の南。元の石甸長官司で、洪武十七年五月に改名して府に属し、二十三年に金齒軍民司の所属、嘉靖元年にやはり府の所属となった。西に坪市河があり、下流は怒江に入る。東南に猛淋寨があり、萬厯十三年にここへ鎮安守禦千戸所を置いた。南に金齒巡檢司があって浦關を治所とする。また南に石甸巡檢司。
- 茶山長官司――永樂五年に孟養の地を割いて置き、金齒軍民司に属させ、嘉靖元年に府の所属となった。東に髙黎共山。
蒙化府
- 元の蒙化州で大理路の所属。洪武十五年三月もそのままとし、正統十三年六月に府へ昇格させた。
- 北に龍宇圖山、また甸頭山があり一名を天耳山という。南に甸尾山、西に陽江があり、源は甸頭の澗で、下流は定邊縣に至って定邊河に入る。また西に様備江があり、一名を神莊江といい、永平縣と境を分け、南のかた順寧府の境内に入って黒惠江となる。西南に瀾滄江。甸頭・甸尾・様備・瀾滄江の四巡檢司。また西南に備溪江土巡檢司。また東に迷渡市があり嘉靖初の築造。
- 東へ布政司まで八百六十里。
順寧府
- 元の泰定四年十一月の設置。洪武十五年三月庚戌はそのままとし、己未に州へ降して大理府に属させ、十七年正月にふたたび府へ昇格させた。
- 西北に樂平山、南に把邊山があってその中に把邊關がある。東北に瀾滄江、また黒惠江があり、これが様備江で、また墨會江ともいう。南流して府の東の泮山の下に至り瀾滄江に合わさる。また城の東に順寧河があり、源は甸頭村の山あいで、雲州の孟祐河へ流れ入る。南に寳通州、また慶甸縣があり、元ではともに府と同時に置かれ、洪武十五年に省かれた。また西南に矣堵寨があり、萬厯三十年にここへ右甸守禦土千戸所を置いた。北に錫鉛寨、また牛街、また猛麻、また錫蠟寨・董甕寨・蟒水寨・亦壁嶺の七巡檢司。
- 州一を管轄する。東へ布政司まで千五百五十里。
- 雲州――もとは大侯長官司で、永樂元年正月に麓川平緬の地を割いて置き都司の直隷とした。宣徳三年五月に大侯禦夷州へ昇格させて布政司の直隷とし、萬厯二十五年に改名してこの府の所属となった。旧治は南にあり、萬厯三十年にいまの治所へ移った。南に瀾滄江、東に孟祐河が流れ入る。臘丁鄉巡檢司があったがのち廃された。西へ府まで百五十里。長官司一を管轄する。
- 孟緬長官司――州の西南。宣徳五年六月に景東府の孟緬・孟梳の地をもって置き景東府に属させ、のち布政司の直隷となり、萬厯二十五年にこの州の所属となった。大猛麻、また猛撒の二土巡檢司があり、猛緬とあわせて三猛と称する。
車里軍民宣慰使司
- 元の車里路で泰定二年七月の設置、すなわち大徹里である。洪武十五年閏二月に軍民府とし、十九年十一月に軍民宣慰使司へ改めた。永樂年間に廃され、宣徳六年に復置された。
- 東北に瀾滄江があり、九龍江と合流して交阯に達し富良江となって海に入る。また沙木江。東に小徹里部があり、永樂十九年正月に車里靖安宣慰使司を置いたが、宣徳九年十月に車里へ併合された。また元の耿凍路があり、至正七年正月の設置。また耿當・孟弄の二州もやはり元末の設置で、洪武十五年にいずれも車里へ併合された。
- 西北へ布政司まで三十四程。
緬甸軍民宣慰使司
- もとは緬中宣慰司で、洪武二十七年六月に置かれ、まもなく廃された。永樂元年十月に復置して改名した。
- 北に大金沙江があり、その上流はすなわち大盈江で、源は青石山、孟養の境内から司の北の江頭城の下を流れ、下流は南海に注ぐ。東に阿瓦河があり、孟養から境内に流れ入って下流は大金沙江に入る。また北に江頭城・太公城・馬來城・安正國城・蒲甘緬王城があり、これを緬中の五城という。元の後至元四年十二月に蒲甘緬王城へ邦牙宣慰司を置いたが、至正二年六月に廃された。至元二十六年には太公城へ太公路を置き、洪武十五年三月に府としたが、のち廃された。
- 長官司一を管轄する。東北へ布政司まで三十八程。
- 東倘長官司――宣徳八年九月の設置。
木邦軍民宣慰使司
- 元の木邦路で至順元年三月の設置。洪武十五年三月に府とし、のち廃され、三十五年十二月に復置し、永樂二年六月に軍民宣慰使司へ改めた。
- 北に慕義山、西に喳里江があり、これが潞江で、芒市から境内に流れ入り、また西南へ緬甸の境に入る。また北に蒙憐路・蒙來路があり、どちらも元の設置で、洪武十五年三月にともに府となり、のちともに廃された。また西北に孟炎甸があり、天馬關がある。
- 東北へ布政司まで三十五程。
八百大甸軍民宣慰使司
- 元の八百等處宣慰使司。洪武二十四年六月に改めて置いた。
- 東北に南格剌山があり、その下の河が車里と境を分ける。八百者乃軍民宣慰使司があり、永樂二年四月に八百大甸の地を割いて置かれ、のち廃された。また蒙慶宣慰司があり、元の泰定四年閏月に置かれ、至正二年四月に罷められ、洪武十五年三月にふたたび府を置いたが、のち廃された。また孟絹路があり、元の元統元年の設置で八百宣慰司に属し、洪武十五年三月に府となり、のち廃された。また木按・孟傑の二路があり、ともに元の設置で、洪武十五年三月にともに府となり、のちともに廃された。
- 北へ布政司まで三十八程。
孟養軍民宣慰使司
- 元の雲遠路。洪武十五年三月に府とし、十七年に孟養府と改め、のち廃された。三十五年十二月に復置し、永樂二年六月に軍民宣慰使司へ改めた。正統十三年に廃され、萬厯十三年に改めて長官司を置いた。
- 東に鬼窟山、また茫崖山、また大金沙江があり、その上流はすなわち大盈江で、南へ流れて緬甸に入る。また南に密堵城、速送城があり、また南に戛撒寨、西に猛倫、西南に孟拱・戛里・猛别・盞西の諸々の砦がある。
- 東北へ布政司まで三十七程。
老撾軍民宣慰使司
- 永樂二年四月の設置。東南に三關があって安南と境を接する。
- 西北へ布政司まで六十八程。
南甸宣撫司
- 元の至元二十六年に南甸路を置いた。洪武十五年三月に府とし、のち廃されて騰衝守禦千戸所の所属となった。永樂十二年正月に州を置いて布政司の直隷とし、正統三年五月に金齒軍民指揮使司の所属へ改め、九年六月に宣撫司へ昇格させてやはり布政司の直隷とした。
- 東に丙弄山、また蠻千山、南に沙木籠山があってその上に沙木籠關がある。西に大盈江、東北に小梁河があり、西南へ南牙山の下を経て南牙江といい、干崖の境内に入る。また東南に孟乃河があり、これが騰越州の龍川江。また南に黄連坡關、東北に小隴川關。
- 東北へ布政司まで二十二程。
干崖宣撫司
- 元の鎮西路。洪武十五年三月に府とし、のち廃されて麓川平緬司の所属となった。永樂元年正月に分けて干崖長官司を置き都司の直隷とし、のち金齒軍民指揮使司の所属となり、宣徳五年六月にまた都司の所属、正統三年五月にまた金齒軍民指揮使司の所属となり、九年六月に宣撫司へ昇格して布政司の直隷となった。
- 東に雲籠山、西に大盈江、また南に檳榔江が吐蕃の境から流れて合わさる。東に安樂河があり、小梁溪の下流で、雲籠山の下を経て雲籠江といい、司の治所の北を経て折れて西で檳榔江に合わさる。また西北に南賧があり、元の設置で洪武年間に廃された。また西に雷弄・盞達などの部がある。
- 東北へ布政司まで二十三程。
隴川宣撫司
- もとは麓川平緬軍民宣慰使司で、正統六年に廃され、九年九月に改めて置き隴把を治所とした。
- 元の平緬路は隴把の東北にあった。洪武十五年閏三月に平緬宣慰使司を置き、三月にはまた路を府へ改めたが、まもなく府は廃された。十七年八月丙子に司を平緬軍民宣慰使司へ昇格させ、甲午に麓川平緬軍民宣慰使司と改め、麓川路をこれに併合した。元の麓川路は隴把の南にあり、洪武十五年三月に府としたがまもなく廃され、十七年八月に麓川平緬軍民宣慰司の治所となった。正統年間に司が廃されてからは平麓城といい、孟卯城ともいう。萬厯十二年にここへ宣撫同知を置いた。また西南に通西軍民總管府があり、元の至元二十六年の設置、洪武十五年三月に府となり、のち廃された。また東南に遮放城があり、萬厯十二年にここへ宣撫副使を置いた。北に馬鞍山、西北に大金沙江、また麓川江があり、これが龍川江で、南甸から流れ入って茫市と境を分け、西南へ大金沙江に入る。
- 東北へ布政司まで六十六程。
孟定禦夷府
- 元の孟定路で至元三十一年四月の設置。洪武十五年三月に府とした。
- 東北に無量山、また喳哩江があって麓川江と合わさる。東南に謀粘路があり元の泰定三年七月の設置、また木連路があり元の至正二十六年の設置で、洪武十五年三月にどちらもそのままとしたが、のちともに廃された。
- 安撫司一を管轄する。東北へ布政司まで十八程。
- 耿馬安撫司――萬厯十三年に孟定の地を割いて置いた。西に三尖山、南に喳哩山があって孟定と境を分ける。北へ府まで百里。
孟艮禦夷府
- 永樂三年七月の設置で都司の直隷、のち布政司の直隷となった。
- 東に木朶路、また孟隆路があり、ともに元の泰定三年九月の設置。東北に孟愛等甸軍民府があり、元の至元二十六年の設置で、洪武十五年三月にいずれも府となり、のちともに廃された。
- 北へ布政司まで三十八程。
威遠禦夷州
- 元の威遠州で威楚路の所属、のち威遠蠻棚府と改められた。洪武十五年三月にやはり威遠州として楚雄府に属させ、十七年に府へ昇格させ、のち廃された。三十五年十二月に州を復置して布政司の直隷とした。
- 北に蒙樂山があって景東府の境に接する。西北に威遠江があり、一名を谷寶江といい、下流は瀾滄江に合わさる。
- 東北へ布政司まで十九程。
灣甸禦夷州
- もとは灣甸長官司で、永樂元年正月に麓川平緬の地を割いて置き都司の直隷とし、三年四月に州へ昇格させて布政司の直隷とした。
- 西北に髙黎共山、北に姚關があって順寧府と境を接する。
- 東北へ布政司まで二十程。
鎮康禦夷州
- 元の鎮康路。洪武十五年三月に府とし、十七年に州へ降し、のち廃してその地を灣甸州の所属とした。永樂七年七月に復置して布政司の直隷とした。
- 西に喳哩江があって潞江安撫司の境に接する。南に昔剌寨、西南に控尾寨。
- 東北へ布政司まで二十三程。
孟密宣撫司
- もとは孟密安撫司で、成化二十年六月に木邦の地を割いて置き、萬厯十三年に宣撫司へ昇格させた。
- 東北に南牙山があって南甸と境を分ける。西南に摩勒江、また大金沙江があり、どちらも緬甸と境を分ける。また寶井がある。北に猛乃・猛哈、東北に孟廣などの部がある。
- 東北へ布政司まで三十三程。
蠻莫安撫司
- 萬厯十三年に孟密の地を割いて置いた。東北に等練山、西南に那莫江があって下流は大金沙江に入る。また西に孟木寨。
- 東北へ布政司まで三十一程。
者樂甸長官司
- 永樂元年正月に麓川平緬の地を割いて置き都司の直隷とし、のち布政司の直隷へ改めた。
- 南に瀾滄江、また東に景來河があり、景東府から流れ入って下流は龍江に入る。
- 東北へ布政司まで千百七十里。
鈕兀禦夷長官司
- 宣徳八年十月に和泥の鈕兀・五隆の二寨をもって置いた。北へ布政司まで十六程。
芒市禦夷長官司
- 元の芒施路。洪武十五年三月に府とし、のち廃された。正統八年四月に改めて置いて金齒軍民指揮司に属させ、のち布政司の直隷となった。
- 西南に永昌幹山、また孟契山、また大盈江があって西南へ青石山の下を経る。また西に麓川江が来て合わさる。
- 東北へ布政司まで二十三程。
孟璉長官司
- もとは麓川平緬司の地で、のち孟定府の地となった。永樂四年四月に置かれ都司の直隷。
- 東南に木來府があり、元の設置で洪武十五年三月もそのままとし、のち廃された。
- 東北へ布政司まで二十三程。
西南極辺の諸司
- 大古剌軍民宣慰使司――孟養の西南にあり、擺古ともいう。南海に臨み暹羅と隣り合う。
- 底馬撒軍民宣慰使司――太古剌の東南にある(大古剌の誤りか)。
- 小古剌長官司
- 茶山長官司
- 底板長官司
- 孟倫長官司
- 八家塔長官司――以上はみな西南の極辺にある。
- 右はいずれも永樂四年六月の設置。
- 剌和莊長官司――永樂四年十月の設置で都司の直隷。
- 促瓦長官司
- 散金長官司――この二司はもとどちらも麓川平緬司の地。永樂六年四月の設置。
- 麻里長官司――永樂六年七月に孟養の地を割いて置き都司の直隷とした。
- 八寨長官司――永樂十二年九月の設置で都司の直隷。
- 底兀剌宣慰使司――永樂二十二年三月の設置。その地はもと大古剌に占拠されていたが、上諭によって返還させたため司を置いた。
廣邑州
- もとは金齒軍民司の廣邑寨で、宣徳五年五月に州へ昇格させ、八年十一月に布政司の直隷とし、正統元年三月に順寧府の右甸へ移した。
貴州(総説)
- 貴州は禹貢の荆・梁の二州の徼外にあたる。元では湖廣・四川・雲南の三行中書省の地であった。洪武十五年正月に貴州都指揮使司を置いた(治所は貴州宣慰司)。その民政の官庁はなおも湖廣・四川・雲南の三布政司に属した。永樂十一年に貴州等處承宣布政使司を置いた(都指揮司と同じ地に治所を置く)。
- 当初の管轄は府八・州一・縣一・宣慰司一・長官司三十九。のちの管轄は府十・州九・縣十四・宣慰司一・長官司七十六。
- 四至は、北は銅仁まで(湖廣・四川との境)、南は鎮寧まで(廣西・雲南との境)、東は黎平まで(湖廣・廣西との境)、西は普安まで(雲南・四川との境)。南京を距たること四千二百五十里、京師を距たること七千六百七十里。
- 戸口は、𢎞治四年の編戸四万三千三百六十七・口二十五万八千六百九十三。萬厯六年に戸四万三千四百五・口二十九万九百七十二。
貴陽軍民府
- もとは程番府で、成化十二年七月に貴州宣慰司の地を分けて置き、程番長官司を治所とした。隆慶二年六月に布政司の城へ移して宣慰司と同じ地に治所を置き、三年三月に府名を貴陽と改め、萬厯二十九年四月に軍民府へ昇格させた。州三・縣二・長官司十六を管轄する。
- 新貴(附郭)――もとは貴竹長官司で、洪武五年正月に置かれ宣慰司に属した。萬厯十四年二月に改めて縣を置きこの府の所属とした。西に獅子山、西北に木閣箐山があり水西の境内にある。北に貴人峰、また西に白龍洞。北に烏江があり、源は水西で四川の遵義府と境を分け、北へ流れて四川の彭水縣に至り涪陵江に入る。西北に陸廣河があり下流は烏江に入る。陸廣河巡檢司がある。また西に宅溪、また西北に蔡家關があり一名を響水關という。また濶水關。
- 貴定(附郭)――萬厯三十六年に新貴縣および定番州の地を割いて置いた。東に銅鼓山、石門山があり、南に髙連山、南門河がある。また東に龍洞河があり、下流はいずれも陸廣河に入る。
- 開州――崇禎四年十一月に副宣慰の洪邊の旧地をもって置いた。西南へ府まで百二十里。
- 廣順州――もとは金筑長官司で、洪武五年三月に置かれ四川行省に属し、十年正月に安撫司へ改め、十九年十二月に廣西の所属、二十七年にやはり四川の所属、二十九年に貴州衛の所属となり、正統三年八月に貴州布政司の直隷となった。成化十二年七月に程番府の所属、隆慶二年六月に貴陽府の所属となり、萬厯四十年に州を置いた。東南に天臺山、北に天生橋。南へ府まで百十里。
- 定番州――元の程番武勝軍安撫司。洪武五年に罷められた。成化十二年七月に程番府を置き、金筑安撫司・上馬橋・大龍番・小龍番・程番・方番・韋番・卧龍番・洪番・小程番・盧番・羅番・金石番・盧山・木瓜・大華・麻响の十六長官司を管轄させた。隆慶二年六月に府を布政司の城へ移し、萬厯十四年三月に州を置いた。府まで八十五里。長官司十六を管轄する。
- 程番長官司――附郭。洪武五年三月に置かれ貴州衛に属し、正統三年八月に貴州宣慰司の所属、成化十二年七月に程番府の所属、萬厯十四年三月に州の所属となった。北に青巖、南に都泥江があり、源は州の西北の山中で、そこでは濛潭という。司の南を経て、州の境の水はみなここに流れ合わさり、廣西の南丹州の境に入る。以下の十二司の所属もこれに準ずる。
- 小程番長官司――州の西北。元の小程番安撫司で、洪武六年正月に改めて置いた。
- 上馬橋長官司――州の西北。洪武十五年六月の設置。
- 盧番長官司――州の北。元の盧番静海□(底本欠字)安撫司で、洪武六年正月に改めて置き、元の盧番蠻夷軍民長官司をこれに併合した。
- 韋番長官司――州の南。元の韋番蠻夷長官司で、洪武十五年六月に改めて置いた。
- 方番長官司――州の南。元の方番河中府安撫司で、洪武五年に改めて置いた。
- 洪番長官司――州の西。元の洪番永盛軍安撫司で、洪武六年正月に改めて置いた。
- 卧龍番長官司――州の南。元の卧龍番南寧州安撫司で、洪武五年に改めて置いた。
- 小龍番長官司――州の東南。元の小龍番静蠻軍安撫司で、洪武六年正月に改めて置いた。
- 大龍番長官司――州の東南。元の大龍番應天府安撫司で、洪武五年に改めて置いた。
- 金石番長官司――州の東。元の金石番太平軍安撫司で、洪武五年に改めて置いた。
- 羅番長官司――州の南。元の羅番大龍遏蠻軍安撫司で、洪武五年に改めて置いた。
- 盧山長官司――州の南。元の盧山等處蠻夷軍安撫司で、洪武六年正月に改めて置いた。
- 木瓜長官司――元の木瓜等處蠻夷軍民長官司で、洪武五年に改めて置き貴州衛に属させた。正統三年八月に金筑安撫司の所属、成化十二年七月に程番府の所属、萬厯十四年三月に州の所属となった。以下の二司もこれに準ずる。
- 麻响長官司――洪武七年六月の設置。
- 大華長官司――洪武七年六月の設置。
貴州宣慰使司
- 元が順元路軍民安撫司を改めて置いたもので、湖廣行省に属した。洪武五年正月に四川行省の所属、九年六月に四川布政司の所属、永樂十一年二月に貴州の所属となった。
- 沙溪・的澄河の二巡檢司、また黄沙渡・龍谷の二土巡檢司がある。
- 長官司七を管轄する。
- 水東長官司――宣慰司の北。元の水東寨長官司で、洪武五年に改めて置かれ、のち廃された。永樂元年六月に置かれて都司に属し、のちこの司の所属となった。
- 中曹蠻夷長官司――宣慰司の東南。元の中曹百納等處長官司で管番民總管に属した。洪武五年に改めて置かれこの司の所属となった。
- 龍里長官司――宣慰司の東。元の龍里等寨長官司で管番民總管に属した。洪武五年に改めて置かれこの司の所属となった。
- 白納長官司――宣慰司の東南。元の茶山白納等處長官司で、洪武五年に中曹司へ併合され、永樂四年五月に置かれてこの司の所属となった。
- 底寨長官司――宣慰司の北。元の㡳寨等處長官司で、洪武五年に改めて置かれた。
- 乖西蠻夷長官司――宣慰司の東北。元の乖西軍民府で管番民總管に属した。洪武五年に改めて置かれ、のち廃された。永樂元年六月に復置して都司に属させ、のちこの司の所属となった。
- 養龍坑長官司――宣慰司の北。元の養龍坑宿徵等處長官司で、洪武五年に改めて置かれた。
安順軍民府
- 元の安順州で普定路の所属。洪武十五年三月に普定府の所属、十八年に雲南布政司の直隷、二十五年八月に四川の普定衛の所属となり、正統三年八月に貴州布政司の直隷となった。成化年間に州の治所を普定衛城へ移し、萬厯三十年九月に安順軍民府へ昇格させた。
- 普定衛はもと州の西北にあり、洪武十五年正月に置かれて四川都司に属し、三月に軍民指揮使司へ昇格し、正統三年に貴州都司の所属へ改まった。成化年間に州が衛の東南から移って同じ地に治所を置いた。西北に舊坡山があり、二つの峰が向かい合ってその中に石關がある。東に巖孔山、北に歡喜嶺、また思臘河があって水西の境に接する。西南に北盤江があり雲南の霑益州から流れ入る。東南に九溪河。また東に元の普定路があり雲南行省に属した。洪武十五年三月に府として雲南布政司に属させ、まもなく軍民府に併せて四川布政司の所属へ改め、十八年七月に廃した。
- 州三・長官司六を管轄する。東へ布政司まで百五十里。
- 寧谷寨長官司――府の西南。洪武十九年に置かれ安順州に属し、二十五年八月に普定衛の所属、正統三年八月にやはりこの府の所属となった。以下これに準ずる。東南に乾海子。
- 西堡長官司――府の西北。設置と所属の変遷は右に同じ。北に浪伏山があり、元はその山の下に習安州を置いて普定路に属させ、洪武十五年三月に普定府の所属となり、のち廃された。また北に白石巖、東南に楚油洞山、北に谷龍河があって下流は烏江に合わさる。
- 鎮寧州――元の至正十一年四月に火烘の夷の地をもって置き普定路に属させた。洪武十五年三月に普定府の所属、二十五年八月に普定衛の所属となり、のち衛城に仮の治所を置いた。正統三年八月に貴州布政司の直隷となり、嘉靖十一年六月に州の治所を安莊衛城へ移し、萬厯三十年九月に府の所属となった。安莊衛はもと州の西にあり、洪武二十三年五月に置かれて貴州都司に属した。萬厯三十五年九月に州が衛の東から移って同じ地に治所を置いた。南に白水河、また烏泥江があり、これが都泥江で、源は山あいにあり、東南へ流れて金筑安撫司の境に入る。東へ府まで五十五里。長官司二を管轄する。
- 十二營長官司――州の北。洪武十九年に置かれ安順州に属し、二十五年八月に普定衛の所属、正統三年八月にこの州の所属となった。以下これに準ずる。東北に天生橋、また公具河、北に阿破河。
- 康佐長官司――州の東。設置と所属の変遷は右に同じ。
- 永寧州――元が打罕の夷の地をもって置き普定路に属させた。洪武十五年三月に普定府の所属、二十五年八月に普定衛の所属となり、のち衛城に仮の治所を置いた。正統三年八月に貴州布政司の直隷となり、嘉靖十一年三月に州の治所を關索嶺守禦千戸所の城へ移し、萬厯三十年九月に府の所属となった。關索所はもと州の西南にあり、洪武二十五年に置かれて安莊衛に属した。萬厯三十年九月に州が所の東北から移って同じ地に治所を置いた。西北に紅崖山、西に北盤江が普安州から流れ入る。盤江河巡檢司がある。東北へ府まで百二十里。長官司二を管轄する。
- 慕役長官司――州の西。洪武十九年に置かれ安順州に属し、二十五年八月に普定衛の所属、正統三年八月にこの州の所属となった。以下これに準ずる。北に安□(底本欠字)箐山、西北に象鼻嶺、東に北盤江があって永寧州と境を分け、東南へ流れ、南盤江が雲南の羅平州から来て合わさり、また南のかた廣西の泗城州の境に入る。
- 頂營長官司――州の北。洪武四年の設置。所属の変遷は右に同じ。東に關索嶺、西に盤江。
- 普安州――もとは貢寧安撫司で、建文年間に置かれ普安軍民府に属した。永樂元年正月に普安安撫司へ改めて四川布政司に属させ、十三年十二月に州へ改めて貴州布政司の直隷とした。萬厯十四年二月に治所を普安衛城へ移し、三十年九月に府の所属となった。普安衛はもと州の南にあり、洪武十五年正月に置かれて雲南都司に属し、のち貴州都司の所属へ改まり、二十二年三月に軍民指揮使司へ昇格した。萬厯十四年二月に州が衛の北から移って同じ地に治所を置いた。東に八部山があり、元の普安路の治所がその山の下にあって雲南行省に属した。洪武十五年三月に府として雲南布政司に属させ、まもなく軍民府へ昇格させ、二十七年四月に四川の所属へ改め、永樂以後に廃された。東北に格孤山、また西北に番納牟山があり一名を雲南坡という。また東南に得都山があり一名を自崖といい、雄黄・水銀を産する。また東に盤江、東南に者卜河があって下流は盤江に入る。東に芭蕉關、西に分水嶺關、東南に安籠箐關。また西南に樂民守禦千戸所、西に平夷守禦千戸所があり、いずれも洪武二十二年の設置。また東南に安南守禦千戸所、また安籠守禦千戸所があり、いずれも洪武二十三年の設置で、みな普安衛に属した。正統十年四月に安南所を羅渭江へ移した。東北へ府まで三百三十五里。
都匀府
- もとは都匀安撫司で、洪武十九年十二月の設置。二十三年十月に都匀衛へ改めて貴州都司に属させ、二十九年四月に軍民指揮使司へ昇格させて四川布政司に属させた。永樂十七年にやはり貴州都司の所属となり、𢎞治七年五月に衛城へ都匀府を置いた。
- 西に龍山、南に獨山鎮巡檢司、北に平定關、西に威鎮關があり、いずれも洪武二十四年の設置。
- 州二・縣一・長官司八を管轄する。西北へ布政司まで二百六十里。
- 都匀長官司――府の南。元の上都匀等處軍民長官司で、洪武十六年に改名した。南に都匀河があり、馬尾河ともいう。
- 邦水長官司――府の西。元の中都雲板水等處軍民長官司で管番民總管に属した。洪武十六年に改名した。邦水河が東南にあり、本名を扳河といい、すなわち都匀河の上流。
- 平浪長官司――府の西。洪武十六年の設置。西南に凱陽山があり、その上に㓕苗鎮がある。すなわち旧の凱口囤である。東南に麥冲河。
- 平洲六洞長官司――府の西南。洪武十六年の設置。西南に六洞山、南に平洲河があってその中に砂洲がある。
- 麻哈州――もとは麻哈長官司で、洪武十六年に置かれ平越衛に属した。𢎞治七年五月に州へ昇格させてこの府の所属とした。南に麻哈江があり、すなわち邦水河の上流。南へ府まで六十里。長官司二を管轄する。
- 樂平長官司――州の西北。洪武二十四年五月に置かれ雲南に属し、のち平越衛の所属、𢎞治七年五月にこの州の所属となった。東北に馬場山、南に樂平溪。
- 平定長官司――州の西北。洪武二十二年に置かれ平越衛に属し、三十年に清平衛の所属、𢎞治七年五月にこの州の所属となった。東に山江河。
- 獨山州――もとは九名九姓獨山州長官司で、洪武十六年に置かれ都匀衛に属した。𢎞治七年五月に獨山州へ昇格させて府に属させた。南に獨山があり、獨山江があって都匀河の下流にあたり、南へ廣西の天河縣の境に入って龍江となる。北へ府まで百五十里。縣一・長官司二を管轄する。
- 清平――府の北。もとは清平長官司で、洪武二十二年に置かれ平越衛に属し、三十年に清平衛の所属、𢎞治七年五月に縣へ改めて麻哈州に属させ、のちこの州の所属となった。東に香爐山があり、嘉靖十二年四月に清平衛の中左所をここへ移した。北に雲溪洞、南に木級坡、また東に山江河があり源は香爐山、舟溪江が流れて合わさる。これも都匀河の上流。また南に雞場關、北に羅冲關があり、いずれも洪武二十五年の設置。また東北に黎樹などの寨。
- 合江洲陳蒙爛土長官司――州の東。洪武十六年に置かれ都匀衛に属し、𢎞治七年五月に州の所属となった。東南に梅花洞。
- 豐寧長官司――州の西南。洪武二十三年に置かれ都匀衛に属し、𢎞治七年五月に州の所属となった。西南に行郎山。
平越軍民府
- 元の平月長官司。洪武十四年に平越守禦千戸所を置き、十五年閏二月に平越衛へ改め、十七年二月に軍民指揮使司へ昇格させて長官司五を管轄させ、四川布政司に属させたが、まもなく貴州都司の所属となった。萬厯二十九年四月に衛城へ平越軍民府を置き、播州の地をこれに加えて貴州布政司に属させた。
- 東に峨黎山、また七盤坡、東南に麻哈江があってその上流は黄平州の兩岔江。南に馬場江、また羊場河があり、ともに東へ麻哈江に入る。南に武勝關、西南に通津關、東南に羊場關。
- 衛二・州一・縣三・長官司二を管轄する。西へ布政司まで百八十里。
- 清平衛――洪武二十三年六月に置かれ貴州都司に属し、萬厯二十九年にこの府の所属となった。衛の治所は清平縣の北一里。西南へ府まで六十里。
- 興隆衛――洪武二十二年六月に置かれ貴州都司に属し、萬厯二十九年にこの府の所属となった。北に龍岩山があり、龍洞山ともいう。また截洞があってきわめて深く険しい。東に飛雲岩。西南へ府まで百二十里。
- 黄平州――もとは黄平安撫司で、洪武七年十一月に置かれ播州宣慰司に属した。萬厯二十九年四月に州へ改めてこの府の所属とした。東に七里谷、西南に兩岔江があり、二つの源が合流するのでこの名がある。また東に冷水河、西北に黄平守禦千戸所があり、洪武十一年正月に置かれ、十五年正月に衛へ改め、閏二月にやはり千戸所とした。南へ府まで三十里。
- 餘慶――州の西。もとは餘慶長官司で、洪武十七年に置かれ播州宣慰司に属した。萬厯二十九年六月に縣へ改めてこの府の所属とした。東に白泥長官司があり、これも洪武十七年に置かれ播州宣慰司に属し、萬厯二十九年四月に餘慶縣へ併合された。南に小烏江があって下流は烏江に入る。東南に白泥河があって下流は思南河に合わさる。また走馬坪寨があり嘉靖三十四年の設置。
- 甕安――州の西北。もとは甕水安撫司で、洪武初の設置。萬厯二十九年四月に縣へ改めてこの府の所属とした。東に草塘安撫司があり洪武十七年六月の設置、また重安長官司があり永樂四年九月の設置で、ともに播州宣慰司に属し、萬厯二十九年四月にともに甕□(底本欠字)縣へ併合された。東南に萬丈山、西に烏江があり、縣の境内の山あいの水はみな流れて合わさる。また黄灘關、東北に飛練堡があり天邦□(底本欠字)がある。西に西坪などの寨。
- 湄潭――州の北。萬厯二十九年四月に播州の湄潭の地をもって置いた。西に容山長官司があり、洪武年間に置かれ播州宣慰司に属し、萬厯二十九年に湄潭縣へ併合された。南に湄潭水、また西に三江水があって下流はいずれも烏江に入る。
- 凱里長官司――府の東北。もとは凱里安撫司で、嘉靖八年二月に播州宣慰司の地を分けて置き清平衛に属させた。萬厯二十九年にこの府の所属となり、三十五年六月に長官司へ改めた。
- 楊義長官司――府の東南。洪武初に置かれ平越衛に属した。萬厯二十九年に府の所属となった。西に杉木箐山、また清水江があり、上流は新添衛から流れ入って城の西を経る。また皮隴江ともいい、北へ乖西・巴香の諸苗の境を経て烏江に入る。
黎平府
- もとは思州宣慰司の地。洪武十八年正月に五開衛を置いて湖廣都司に属させたが、のち廃され、三十五年十一月に復置された。永樂十一年二月に衛城へ黎平府を置いて貴州布政司に属させ、𢎞治十年に府の治所を衛の南へ移した。萬厯二十九年十一月に府を湖廣の所属へ改め、三十一年四月に貴州の所属へ戻した。
- 南に寳帶山、東に摩天嶺、東北に銅鼓巖、西に新化江、また福禄江があり、その上流は古州江で、下流は廣西の懐遠縣の境内に入る。西南に黎平守禦千戸所があり、洪武二十一年九月に置かれ五開衛に属した。
- 縣一・長官司十三を管轄する。西へ布政司まで六百三十里。
- 永從――府の南。もとは元の福祿永從軍民長官司で、洪武年間に改めて福祿永從蠻夷長官司を置いたがのち廃された。永南元年正月に復置して貴州衛に属させ(「永樂元年」の誤りか)、十三年三月にこの府の所属となった。正統六年九月に縣へ改めた。南に福祿江があり彩江が流れて合わさる。また永從溪。
- 潭溪蠻夷長官司――府の東南。元の潭溪長官司で、洪武三年正月に改めて置き湖廣の辰州衛に属させ、三月に湖廣の靖州衛の所属へ改め、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十二年三月にこの府の所属となった。西南に銅關鐵寨山、南に潭溪。
- 八舟蠻夷長官司――府の北。元の八舟軍民長官司で、洪武五年に改めて置かれ、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十二年三月にこの府の所属となった。西南に八舟江があり、源は府城の西で三十里江といい、北へ流れてここを経て東北で新化江となる。
- 洪舟泊里蠻夷長官司――府の東南。元の洪舟泊里軍民長官司で、洪武初に改めて置かれ、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十三年三月にこの府の所属となった。北に洪舟江があり、下流は湖廣の靖州の渠河に合わさる。西南に中潮守禦千戸所があり、洪武二十一年九月に置かれ五開衛に属した。
- 曹滴洞蠻夷長官司――府の西北。元の曹滴等洞軍民長官司で、洪武初に改めて置かれ、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十二年三月にこの府の所属となった。西南に容江があり、源は苗地で北へ流れて福禄江に入る。
- 古州蠻夷長官司――府の西北。元の古州八萬洞軍民長官司で、洪武三年正月に改めて置き湖廣の辰州衛に属させ、三月に湖廣の靖州衛の所属へ改め、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十二年三月にこの府の所属となった。古州衛があり、洪武二十六年に置かれまもなく廃された。東北に古州江。
- 西山陽洞蠻夷長官司――府の西南。洪武初の設置で、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十二年三月にこの府の所属となった。西北に大巖山があって大巖江がそこから出て、東南へ福禄江に入る。
- 新化蠻夷長官司――府の東北。元の新化長官司で、洪武三年正月に改めて置き湖廣の辰州衛に属させ、三月に湖廣の靖州衛の所属へ改め、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十一年二月にここへ新化府を置き、湖耳・亮寨・歐陽・新化・中林驗洞・龍里の六蠻夷長官司と赤溪湳洞長官司を管轄させた。宣徳九年十一月に府が廃され、管轄下の司はみな黎平府の所属となった。西に六疊山、東南に新化江、また西北で清水江に合わさる。また東に新化亮寨守禦千戸所があり洪武二十一年九月の設置、西南に新化屯千戸所があり洪武二十五年の設置で、ともに五開衛に属した。
- 湖耳蠻夷長官司――府の東北。元の湖耳洞長官司で、洪武三年正月に改めて置き湖廣の辰州衛に属させ、三月に湖廣の靖州衛の所属へ改め、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十二年三月に新化府の所属となり、府が廃されてこの府の所属となった。西に銅鼓衛があり、もとは銅鼓守禦千戸所で洪武二十一年九月に置かれ五開衛に属し、三十年に所を衛へ改めて湖廣都司に属させ、その二年後に廃され、三十五年十一月に復置して湖廣都司に属させた。
- 亮寨蠻夷長官司――府の東北。もとは八萬亮寨蠻夷長官司で、洪武三年正月に置かれ湖廣の辰州衛に属し、三月に湖廣の靖州衛の所属となり、のち廃された。永樂元年正月に復置して改名し貴州衛に属させ、十二年三月に新化府の所属となり、府が廃されてこの府の所属となった。
- 歐陽蠻夷長官司――府の東北。元の歐陽寨長官司で、洪武三年正月に改めて置き湖廣の辰州衛に属させ、三月に湖廣の靖州衛の所属へ改め、のち廃された。永樂元年正月に復置して貴州衛に属させ、十二□(底本欠字)三月に新化府の所属となり、府が廃されてこの府の所属となった。
- 中林驗洞蠻夷長官司――府の北。洪武初の設置で、のち廃された。永樂元年正月に復置し、十二年三月に新化府の所属となり、府が廃されてこの府の所属となった。以下の二司もこれに準ずる。
- 赤溪湳洞蠻夷長官司――府の東北。
- 龍里蠻夷長官司――府の北。南に龍里守禦千戸所があり、洪武二十五年に置かれ五開衛に属した。
思南府
- 元の思南宣慰司で湖廣行省の所属。洪武四年に四川の所属へ改め、六年十二月に思南道宣慰使司へ昇格させたがなおも湖廣の所属。永樂十一年二月に府へ改めて貴州布政司に属させた。隆慶四年三月に治所を平溪衛へ移し、まもなくもとに復した。
- 都儒五堡二坑等處巡檢司、また覃韓偏力水土巡檢司、また板橋巡檢司があり、板橋はもと石阡府の所属だったがのちこの府の所属となった。
- 縣三・長官司三を管轄する。西南へ布政司まで六百二十里。
- 安化(附郭)――もとは水特姜長官司で、元は思州安撫司の所属。洪武初に水徳江と改めて思南宣慰司に属させ、永樂十二年三月に府の所属となり、萬厯三十三年に改めて安化縣を置いた。西南に崖門山、南に萬勝山、また烏江があり石阡府から流れ入って城の西の鮎魚峽を経て北へ四川の彭水縣の境に入り涪陵江に合わさる。東南に水徳江があり、烏江の分流。また思印江が流れて合わさり、下流もやはり涪陵江に入る。もと洪安・化濟の二長官司があって思南宣慰司に属したが、洪武二十六年五月に省かれた。東に水勝關、南に武勝關、北に太平關。
- 蠻夷長官司――附郭。洪武十年十月に置かれ思南宣慰司に属し、永樂十二年三月に府の所属となった。
- 婺川――府の北。元は思州安撫司の所属。洪武五年に鎮遠州の所属となり、十七年以後はやはり思州の所属、永樂十二年三月にこの府の所属となった。東に河只水、また羅多水があり、下流はいずれも水徳江に注ぐ。
- 印江――府の東。もとは思印江長官司で、元は思南宣慰司の所属。永樂十二年三月に府の所属となり、𢎞治七年六月に印江縣へ改めた。
- □(底本欠字)河祐溪長官司――府の東北。洪武七年十月に置かれ思南宣慰司に属し、永樂十二年三月に府の所属となった。
- 朗溪蠻夷長官司――府の東。洪武七年十月に置かれ思南宣慰司に属し、永樂十二年三月に烏羅府の所属となり、正統三年五月に府が廃されてこの府の所属となった。厥溪蠻夷長官司があり、これも洪武七年十月の設置で、まもなく廃された。
思州府
- 元の思州宣慰司。永樂十一年二月に府へ改めて貴州布政司に属させた。長官司四を管轄する。西へ布政司まで七百五十里。
- 都坪峩異溪蠻夷長官司――附郭。洪武六年に置かれ、二十五年に省かれ、永樂十二年三月に復置された。南に峩山、西北に江頭山、東に異溪、東北に平溪があってその上に關がある。洪武二十二年三月にここへ平溪衛を置いて湖廣都司に属させ、萬厯二十九年十一月に貴州の所属へ改め、三十一年四月に湖廣の所属へ戻した。また鮎魚關、南に黄土關、また東北に晃州があり、驛路が湖廣の沅州へ出る。
- 都素蠻夷長官司――府の西。永樂十二年三月に置かれ府に属した。
- 施溪長官司――府の北。元の施溪様頭長官司で、洪武五年に改名して湖廣の沅州衛に属し、永樂十二年三月にこの府の所属となった。東に施溪。
- 黄道溪長官司――府の東北。元は思州宣慰司の所属で、永樂十二年三月に府の所属となった。西南に黄道溪。
鎮遠府
- 元の鎮遠府で思州安撫司の所属。洪武四年に鎮遠州へ降して思南宣慰司に属させ、五年六月に湖廣の直隷とした。永樂十一年二月に州の治所へ鎮遠府を置いて貴州布政司に属させ、正統三年五月に州を省いてこれに併せた。縣二・長官司三を管轄する。西へ布政司まで五百三十里。
- 鎮遠(附郭)――もとは鎮遠溪洞金容金逹蠻夷長官司で、洪武二年二月に置かれ思南宣慰司に属した。永樂十二年三月に州の所属、正統三年五月に府の所属へ改まり、𢎞治七年十月に鎮遠縣へ改めた。北に石崖山、東に中河山があり、二つの水が挟んで流れるのでこの名がある。東北に鐵山、また東に觀音山があり馬場坡がある。東南に巴邦山、西に平冒山、南に鎮陽江があり、一名を鎮南江、また㵲水ともいい、上流で興隆・黄平の諸水を受け、東へ三百里流れて沅江に入る。また東北に鐵溪があり、鐵山から出て下流は鎮陽江に入る。また西に油榨關、焦溪關、梅溪關、また清浪關があって清浪衛がここに治所を置く。また西に偏橋があって偏橋衛がここにある。いずれも洪武二十三年四月の設置。西南に鎮遠衛があり洪武二十二年七月の設置。いずれも湖廣都司に属したが、萬厯二十九年十一月にみな貴州の所属へ改まり、三十一年四月に湖廣の所属へ戻った。
- 施秉――府の西南。もとは施秉蠻夷長官司で、洪武五年に置かれ思南宣慰司に属した。永樂十二年三月に州の所属、正統九年七月に縣へ改まり、天啟元年四月に省かれ、崇禎四年十一月に復置された。南に洪江があり、すなわち鎮陽江。
- 偏橋長官司――府の西。元の偏橋中寨蠻夷軍民長官司で、洪武五年に改めて置かれ思南宣慰司に属し、永樂十二年三月にこの府の所属となった。
- 卭水十五洞蠻夷長官司――府の東。元の卭水縣で、洪武五年に改めて團羅・得民・曉隘・陂帶・卭水の五長官司を置き思州宣慰司に属させ、二十九年に四司を卭水司へ併合して思南宣慰司に属させた。永樂十二年三月に府の所属となった。
- 臻剖六洞横坡等處長官司――府の西。もとは臻剖・六洞・横坡の三長官司で、洪武二十二年に置かれ鎮遠衛に属し、のち一司に併合された。
銅仁府
- もとは思州宣慰司の地。永樂十一年二月に銅仁府を置いた。縣一・長官司五を管轄する。西南へ布政司まで七百七十里。
- 銅仁(附郭)――元の銅人大小等處蠻夷軍民長官司で思州安撫司に属した。洪武初に改めて銅仁長官司を置き思南宣慰司に属させ、永樂十二年三月にここへ府の治所を置き、萬厯二十六年四月に縣へ改めた。南に銅崖山、また新坑山があって硃砂・水銀を産する。西南に銅仁大江、西北に小江があって流れて合わさり、下流は沅州の境に入って沅江に注ぐ。
- 省溪長官司――府の西。元の省溪壩場等處蠻夷長官司で思州安撫司に属した。洪武初に改名して思南宣慰司に属させ、永樂十二年三月にこの府の所属となった。西に迪邏江があり、すなわち省溪で金を産する。
- 提溪長官司――府の西。元の提溪等處軍民長官司で思州安撫司に属した。洪武初に改名して思南宣慰司に属させ、永樂十二年三月にこの府の所属となった。東に印江、西に提溪があって砂金を産する。
- 大萬山長官司――府の南。元の大萬山蘇葛辦等處軍民長官司で思州安撫司に属した。洪武初に改名して思南宣慰司に属させ、永樂十二年三月にこの府の所属となった。
- 烏羅長官司――府の西。元の烏羅龍千等處長官司で思州安撫司に属した。洪武初に改名して思南宣慰司に属させ、永樂十一年二月に烏羅府を置いて朗溪蠻夷長官司と烏羅・荅意・治古・平頭著可の四長官司を管轄させ、ここに治所を置いた。正統三年五月に府が廃されてこの府の所属となった。西に九龍山があって銅仁大江の源となる。また西南に觀音囤があり、烏羅洞ともいう。南に九江、また木耳溪があり、九十九溪ともいい、下流もやはり沅江に入る。
- 平頭著可長官司――府の西北。元の平頭著可通達等處長官司で思州安撫司に属した。洪武七年十月に改めて置かれ思南宣慰司に属し、永樂十二年三月に烏羅府の所属となり、府が廃されてこの府の所属となった。また荅意長官司・治古寨長官司があり、ともに永樂三年七月に置かれ貴州宣慰司に属し、十二年三月に烏羅府の所属へ改まり、正統三年五月にいずれも府とともに廃された。
石阡府
- もとは思州宣慰司の地。永樂十一年二月に石阡府を置いた。縣一・長官司三を管轄する。西南へ布政司まで六百三十里。
- 石阡長官司――附郭。元の石阡等處軍民長官司で思州安撫司に属した。洪武初に改めて置かれ思州宣慰司に属し、永樂十二年三月に石阡府の治所となった。西に崖門山、南に秋滿洞、西に烏江があり四川の遵義府から流れ入って東北へ思南府の境に入る。石阡江があって下流は烏江に入る。
- 龍泉――府の西。もとは龍泉坪長官司で、元は思州安撫司の治所。洪武七年七月に復置されて思州宣慰司に属し、永樂十二年三月にこの府の所属となり、萬厯二十九年四月に縣へ改めた。北に騰雲洞、南に鄧坎などの寨。
- 苗民長官司――府の西南。洪武七年十月に置かれ思州宣慰司に属し、永樂十二年三月にこの府の所属となった。
- 葛彰葛商長官司――府の南。元は思州安撫司の所属。洪武年間に思州宣慰司の所属となり、永樂十二年三月にこの府の所属となった。
龍里衛軍民指揮使司
- 洪武二十三年四月に衛を置き、二十九年四月に軍民指揮使司へ昇格させた。
- 西に蓮花涇、また加牙河があって下流は甕首河に入る。東南に平伐長官司があり、もとは元の平伐等處長官司で、洪武十五年に改めて置かれ貴州衛に属し、二十八年に龍里衛の所属となり、萬厯十四年二月に新貴縣へ併合された。また西に長衝關、東に巃聳關。
- 長官司一を管轄する。西へ布政司まで五十里。
- 大平伐長官司――衛の南。洪武十九年に置かれ貴州衛に属し、二十八年にこの衛の所属となった。東北に谷峽山、東南に甕首河があって下流は清水江に合わさる。
新添衛軍民指揮使司
- 元の新添葛蠻安撫司で、のち廃された。洪武二十二年に新添千戸所を置いて貴州衛に属させ、二十三年二月に新添衛へ改めて貴州都司に属させ、二十九年四月に軍民指揮使司へ昇格させた。長官司五を管轄する。西へ布政司まで百十里。
- 新添長官司――附郭。洪武四年の設置。東に憑虚洞があり、一名を猪母洞という。西北に清水江、西南に甕城河があって甕城河土巡檢司がある。また東に谷忙關。
- 小平伐長官司――衛の西南。洪武十五年六月に置かれ貴州衛に属し、まもなく龍里衛の所属となり、二十九年にこの衛の所属となった。
- 把平寨長官司――衛の南。洪武十五年六月に置かれ貴州衛に属し、まもなく龍里衛の所属となり、二十九年にこの衛の所属となった。
- 丹平長官司――衛の西南。洪武三十年に置かれまもなく省かれ、永樂二年に復置された。
- 丹行長官司――衛の西南。洪武三十年に置かれまもなく省かれ、永樂二年に復置された。
安南衛
- 洪武十五年正月にここへ尾灑衛を置いたがまもなく廃され、二十三年十二月に復置して改名し貴州都司に属させた。
- 南に尾灑山、東に盤江山があって清源洞がある。また北盤江が雲南の霑益州から流れ入り、また南へ安順府の境に入る。東南に者卜河が普安州から流れ入って盤江に注ぐ。西に江西陂があり、初めここに柵を置いて屯守したが、まもなく尾灑へ移って城を築き衛とした。南に烏鳴關があり、これも洪武年間の設置。
- 東北へ布政司まで三百四十里。
威清衛
- 洪武二十三年六月に置かれ貴州都司に属した。北に羊耳山、西に的澄河があり、すなわち陸廣河の上流。西北に鴨池河があり、すなわち烏江。
- 西へ布政司まで六十里。
平壩衛
- 洪武二十三年閏四月に置かれ貴州都司に属した。東南に南仙洞、馬頭山があり、東に東溪。
- 西南へ布政司まで八十里。
畢節衛
- 洪武十七年二月に置かれ貴州都司に属した。東に木稀山があって關がある。また響水河、南に善欲關、西に老鴉關があり、いずれも洪武年間の設置。東北に層臺衛があり、洪武二十一年九月に置かれ二十七年六月に廃された。
- 守禦所一を管轄する。東南へ布政司まで四百五十里。
- 守禦七星關後千戸所――衛の西。洪武二十一年に置かれ烏撒衛に属し、永樂年間にこの衛の所属となった。七星關河があり、可渡河ともいう。源は四川の烏撒府で、すなわち北盤江の上流。七星關はその上にあり、下流は雲南の霑益州の境に入る。
赤水衛
- 洪武二十一年十月の設置。北に雲山があって上に關がある。東に赤水河があり赤水關がある。所四を管轄する。布政司まで六百二十里。
- 摩尼千戸所――衛の北。
- 曰撒千戸所――衛の東南。以上の二所はいずれも洪武二十二年九月の設置。
- 阿落密千戸所――衛の南。
- 前千戸所――衛の南。以上の二所はいずれも洪武二十七年の設置。
普市守禦千戸所
- 洪武二十三年三月に永寧宣撫司の地を割いて置き、貴州都司の直隷とした。東に木案山、西南に水腦洞、また東南に龍泉澗。
- 布政司まで七百二十里。
敷勇衛
- もとは劄佐長官司で、洪武五年に元の落邦札佐等處長官司を改めて置き貴州宣慰司に属させた。崇禎三年に改めて置き貴州都司に属させた。
- 東に陽明洞、西に三湘水、北に烏江があり陸廣河がある。
- 所四を管轄する。南へ布政司まで五十里。
- 於襄守禦千戸所――衛の西。もとは青山長官司で、洪武五年に元の青山遠地等處長官司を改めて置き貴州宣慰司に属させた。崇禎三年に改めて置いた。
- 息烽守禦千戸所――衛の東北。崇禎三年に貴州前衛の絶えた六屯と、割いた底寨司の地とをもって置いた。西に西望山、南に石天洞、北に烏江。
- 濯靈守禦千戸所――衛の北。西に陸廣河があり、北へ流れて烏江に合わさる。
- 修文守禦千戸所――衛の東北。以上の二司はいずれも宣慰司の水西の地で、崇禎三年に同時に置かれた。
鎮西衛
- 崇禎三年に宣慰司の水西の地をもって置いた。北に天柱洞、また鴨池河があり、烏江の別名である。
- 所四を管轄する。西南へ布政司まで六十里。
- 威武守禦千戸所――衛の東。
- 赫聲守禦千戸所――衛の北。鴨池河がある。
- 柔遠守禦千戸所
- 定遠守禦千戸所――衛の(方位は底本に欠く)。以上はいずれも水西の地で、崇禎三年に衛と同時に置かれた。