明史卷四十四 志第二十 地理五

湖廣 総説

  • 湖廣は禹貢の荆・揚・梁・豫の四州にあたる地域である。元はここに湖廣等處行中書省を置いた(治所は武昌路)。さらに湖南道宣慰司を分置してこれに属させた(治所は天臨路)。また襄陽など三路は河南江北等處行中書省に属させ、荆湖北道宣慰司を分置してあわせて属させた(治所は中興路)。
  • 太祖の甲辰年(1364年)二月、陳理を平定して湖廣等處行中書省を置いた。洪武三年(1370年)十二月に武昌都衛を置き(行中書省と同じ治所)、八年(1375年)十月に都衛を改めて湖廣都指揮使司とし、九年(1376年)六月に行中書省を改めて承宣布政使司とした。
  • 管轄は府十五・直隸州二・属州十七・縣百八・宣慰司二・宣撫司四・安撫司五・長官司二十一・蠻夷長官司五(里数はおよそ三千四百八十)。
  • 四至は、北は均州まで(河南・陝西と境を接する)、南は九疑まで(廣東・廣西と境を接する)、東は蘄州まで(江南・江西と境を接する)、西は施州まで(四川・貴州と境を接する)。南京から一千七百一十五里、京師から五千一百七十里。
  • 戸口は、洪武二十六年(1393年)の編戸が七十七萬五千八百五十一戸・口四百七十萬二千六百六十、𢎞治四年(1491年)が五十萬四千八百七十戸・口三百七十八萬一千七百一十四、萬厯六年(1578年)が五十四萬一千三百一十戸・口四百三十九萬八千七百八十五。

湖廣 武昌府

  • 武昌府。元の武昌路で湖廣行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)二月に府とした。州一・縣九を管轄する。
  • 江夏(附郭)。洪武三年(1370年)四月、城内に楚王府を建てた。黄龍山があり、その東に黄鵠山、その下が長江に臨む黄鵠磯。また南に金水(一名を塗水)があり、西へ流れて金口で長江に入る。金口鎮巡檢司がある。また北に滸黄洲、西南に鮎魚口鎮の二巡檢司がある。
  • 武昌(府の東)。西に樊山(一名を西山)があり、銀・銅・鐵および紫石英を産する。南に神人山、その下が白鹿磯。西に西塞山があり大治縣と境を接する。北は長江に臨み、蘆洲(一に羅洲という)がある。また西南に樊港(一名を樊溪、また表溪)があり、縣南の湖沢あわせて九十九を集めて北へ長江に入る。そこを樊口という。また東に南湖(一名を五文湖)があって長江に通じる。東に金于磯鎮、また赤土磯鎮、西南に白湖鎮の三巡檢司、南に金牛鎮、西に三江口鎮の二巡檢司があったが、のちに廃された。
  • 嘉魚(府の西南)。西に赤壁山があり江夏縣と境を接する。北岸は烏林に対する。西北は長江に臨み、陸水が流れ込んでこれを陸口、あるいは蒲圻口という。東北に簰洲鎮、西南に石頭口鎮の二巡檢司がある。
  • 蒲圻(府の西南)。西に蒲首山、南に蒲圻河(すなわち陸水)、また西に蒲圻湖、西南に新店等の湖があり、下流は嘉魚縣の石頭口に至って長江に注ぐ。西南に羊樓巡檢司がある。
  • 咸寧(府の東南)。陳友諒のとき治所を河北へ移したが、洪武中に旧城へ戻し、それが現在の治所である。西に淦水(淦水の別名)がある。
  • 崇陽(府の南)。西に岩頭山、西南に龍泉山、東北に壺頭山があり、その下に壺頭港(また崇陽港という)があって諸川を集め、西で陸水(また雋水という)と合わさる。
  • 通城(府の西南)。南に錫山があり、もと銀・錫を産した。北に陸水があり巴陵縣から流れ込む。
  • 興國州。元の興國路で湖廣行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)二月に府とし、洪武九年(1376年)四月に州に降し、州治の永興縣を廃してここに併合したうえで来属させた。北に銀山、西に黄姑山があり、いずれももと銀を産した。南に太平山があって九宫山に接する。東に大坡山があり茶を産する。東北は長江。東に湖があり、また富水ともいい、北へ流れて長江に注ぐ。富池鎮巡檢司がある。また東北に黄顙口鎮巡檢司がある。府から西北へ三百八十里。縣二を管轄する。
  • 大冶(州の西北)。北に鐵山、また白雉山があって銅鉱を出す。東に圍爐山があって鐵を出す。西南に銅綠山があり、もと銅を産した。北は長江で、道士洑巡檢司がある。
  • 通山(州の西やや南)。東南に九宫山があり寶石河が発する。下流は富水に合わさる。東に黄泥壠巡檢司がある。

湖廣 漢陽府

  • 漢陽府。元は湖廣行省に属した。洪武九年(1376年)四月に州へ降して武昌府に属させ、十三年(1380年)五月に再び府として湖廣布政司に属させ、まもなく河南へ移し、二十四年(1391年)六月に湖廣へ戻した。縣二を管轄する。布政司からは西北へ、川を隔ててわずか七里。
  • 漢陽(附郭)。洪武四年(1371年)四月に廃し、十三年(1380年)五月に再置した。大別山が城の東北にあり、一名を翼際山、また魯山という。漢水が漢川縣から流れ込み、もとは山の南を経て襄河口で長江に入っていたが、成化の初め、縣西の郭師口の上流で決壊して東へ流路を移し、山の北から長江に注ぐようになった。これが今の漢口である。漢口巡檢司がある。長江は巴陵縣の西北で洞庭の水を受けて府境に流れ込み、ここで漢水と合わさる。また西南に沔水(漢水の支流)があり、やはり漢水に合して長江に入る。また沌水(長江の支流)が沔陽州から流れ込み、また長江に入る。これを沔口といい、沌口巡檢司がある。また弇水が長江の南岸にあり、沔口で長江に入る。北に灄水(これも漢水の支流)があり、淪水が合流し、下流は長江に注ぐ。西に太白湖があり、長江以北の諸水の多くがここに集まる。西に蔡店鎮、西南に新灘鎮の二巡檢司がある。また西南に百人磯鎮巡檢司があり、のちに東江□(底本欠字)へ移された。
  • 漢川(府の西やや北)。元は漢陽路に属した。洪武九年(1376年)四月に武昌府へ属させ、十三年(1380年)五月に還属させた。南に小別山(一名を甑山)、また陽臺山がある。西南に漢水、東に溳水があって雲夢縣から来て南で漢水に入る。そこを溳口という。北に劉家塥巡檢司がある。

湖廣 黄州府

  • 黄州府。元の黄州路で河南江北行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府として湖廣行省に属させ、九年(1376年)に湖廣布政司に属させ、まもなく河南に改属させ、四十二年六月に湖廣へ戻した(洪武二十四年の誤りか)。州一・縣八を管轄する。布政司から西南へ百八十里。
  • 黄岡(附郭)。南に旧城があり、洪武の初めに今の治所へ移した。南は長江に臨み、西北岸に赤鼻磯があるが、嘉魚の赤壁とは別である。西に三江口があり、上流で水が三派に分かれ、ここで合流する。中に新生洲があり、また峥嶸洲がある。東に巴水、西に舉水があってともに長江に入る。長江のほとり、西に陽邏鎮、北に□風鎮、西北に中和鎮の三巡檢司がある。また鹿城關・大活關があり、東北に陰山關がある。
  • 麻城(府の北)。東に龜峰山があって舉水が発し、黄岡縣へ流れ込む。東南に長河、南に縣前河があって流れ込み、下流は長江に注ぐ。西に雙城鎮・鵝籠鎮、東北に虎頭關の三巡檢司がある。また西北の木陵山上に木陵關、東北の陰山上に陰山關、北に黄土關があり、木陵・虎頭・白沙・大城とあわせて五關という。また西に岐亭鎮があり、嘉靖五年(1526年)に城を築いた。
  • 黄陂(府の西)。東南は長江に臨み、武湖が西から来て長江に入る。そこを武口、また沙武口、沙洑口という。西に灄水があり漢陽から流れ込んで長江に入る。そこを灄口という。北に大城潭鎮巡檢司がある。また北に白沙關があり、麻城五關の一つである。
  • 黄安(府の西北)。嘉靖四十二年(1563年)、麻城縣の姜家岐に置き、黄岡・黄陵二縣の地を割いて加えた。東に三角山があって蘄水・羅田・蘄州の境に接する。また東流河があり、下流は□風口から長江に入る。西に西河、また雙河があり、合流して灄口から漢水に入る。北に雙山關巡檢司、西北に金扃關(また金山關という)があり、河南羅山縣と境を接する。
  • 蘄水(府の東やや南)。元は蘄州路に属した。洪武九年(1376年)四月に蘄州へ属させ、十一年(1378年)十月に府に改属させた。西南は長江に臨む。南に浠水があり、英山縣に発して縣境を経て西南で長江に入る。東に蘭□があり東南へ流れて浠水に入る。北に巴水があり、縣の板石山に発して黄岡縣境へ流れ込む。蘭溪鎮・巴河鎮の二巡檢司がある。
  • 羅田(府の東北)。元は蘄州路に属した。洪武九年(1376年)四月に蘄州へ属させ、十一年(1378年)十月に府に改属させた。東南に浠水、西北に平湖水、南に官渡河(また縣前河という)があり平湖水が流れ込む。下流は黄岡縣の巴河と合して長江に入る。東北に多雲鎮巡檢司がある。また栗子關、上岐嶺・中岐嶺・下岐嶺などの關があり、西北に平湖關がある。
  • 蘄州。元の蘄州路で河南江北行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府とし、九年(1376年)四月に州へ降し、州治の蘄春縣を廃してここに併合したうえで来属させた。正統十年(1445年)、荆王府が江西建昌からここへ移った。東北に百家冶山があって蘄竹を産する。南は長江に臨む。東北に□水があり大浮山に発して州の北を経て赤東湖となり、西南へ流れて蘄水縣境に接し長江に注ぐ。西に茅山鎮、北に大同鎮の二巡檢司がある。府から西へ二百十里。縣二を管轄する。
  • 廣濟(州の東北)。南は長江に臨み、江中に中洲がある。崇禎の末にここへ治所を移したが、まもなく旧に復した。また武山湖・□口湖があっていずれも長江に通じる。南に武家穴鎮、西南に馬口鎮の二巡檢司がある。
  • 黄梅(州の東北)。東南に礦山があり、もと鐵を産した。南は長江。江のほとりに太子洑がある。南に縣前河があり小池口から長江に入る。西南に新開口鎮巡檢司があるが、しばしば長江に崩されて内陸へ移った。また南に靖江觜鎮巡檢司がある。

湖廣 承天府

  • 承天府。元の安陸府で荆湖北道宣慰司に属した。太祖の乙巳年(1365年)に湖廣行省へ属させ、洪武九年(1376年)四月に州へ降して湖廣布政司の直隸とし、二十四年(1391年)六月に河南へ改属させたが、まもなく戻した。𢎞治四年(1491年)、興王府が徳安府からここへ移った。嘉靖十年(1531年)に州を昇格させて承天府とし、十八年(1539年)に興都留守司をここに建てた。州二・縣五を管轄する。布政司から東南へ五百七十里。
  • 鍾祥(附郭)。洪武二十四年(1391年)に□王府を建て、永樂十二年(1414年)に除いた。十二年に梁王府を建て、正統六年(1441年)に除いた。元では長壽縣といい、元末に廃された。洪武三年(1370年)に再置し、九年(1376年)四月に州へ併合し、嘉靖十年(1531年)八月に再置して名を改めた。東に樠木山(一名を青泥山)、北に松林山があって興獻王の陵寢がある。嘉靖十年(1531年)に純徳山の名を賜り、顯陵縣をここに置いた。明末に縣は廃された。西は漢水に臨む。北に直河があって隨州から流れ込み、滶水が合流する。また豐樂水、東に臼水があり、いずれも漢水に注ぐ。
  • 京山(府の東)。縣河があり、下流は景陵縣で漢江に入る。また東北に撞流があって隨州から流れ込み、漢川縣で漢江に入る。あるいはこれを寓水という。
  • 潛江(府の東南)。元は中興路に属した。洪武十年(1377年)八月に来属した。北に漢水、西北に潛水(漢水の分流)があって縣の東南を経て漢水に入る。また東南に深江、南に思江があり、みな漢水の支流である。西南に沱水(長江の分流)があって縣南を経る。重湖が環をなして巡り、東で漢水に集まる。
  • 荆門州。元は長林縣を治所とし荆湖北道宣慰司に属した。洪武九年(1376年)四月に縣に改めて長林縣を併合し荆州府に属させ、十三年(1380年)五月に再び州として引き続き荆州府に属させ、嘉靖十年(1531年)八月に来属させた。東南に章山(すなわち内方山)があり、漢水がその東を経る。これをまた沔水という。西に權水、東南に直江(一名を直河)、また陽水(一名を建水)があってみな流れ込む。南に荆門守禦千戸所、北に宜陽守禦千戸所がある。東南に建陽鎮・新城鎮、西北に仙居口、北に樂仙橋の四巡檢司がある。府から東北へ九十里。縣一を管轄する。
  • 當陽(州の西)。元は荆門州に属した。洪武九年(1376年)に荆州府へ改属させ、十年(1377年)五月に荆門縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再置して引き続き州に属させた。東南に方城があり、洪武の初めにここへ治所を移し、十三年に□(底本欠字)旧に復した。南に玉泉山があって玉泉水が発する。北に沮水があり房陵縣に発して縣の東南を経、榕渡で章水と合わさり、下流は枝江縣で長江に入る。北に漳河口巡檢司がある。
  • 沔陽州。元の沔陽府で荆湖北道宣慰司に属した。洪武九年(1376年)四月に州へ降し、州治の玉沙縣を廃して併合し、湖廣布政司の直隸とし、まもなく河南の直隸とし、二十四年(1391年)六月に湖廣の直隸に戻し、嘉靖十年(1531年)十二月に来属させた。東南に黄蓬山があり、その下が黄蓬湖。南に長江、北に漢水がある。東に太白湖があって州西の十四の湖の水がすべてここに集まり、漢陽縣の沌口から長江に入る。また南に長夏河(長江の支流。また夏水という)、西北に襄水(漢水の支流)があり、州の東北の豬口で合流して東へ沔水に入る。東に沙鎮、西南に茅鎮の二巡檢司がある。府から西北へ三百二十五里。縣一を管轄する。
  • 景陵(州の西北)。南に沔水、西南に楊水があって北へ沔水に注ぐ。そこを楊口、また中夏口、楊林口という。また中水が楊水に合流し、そこを中口という。東に乾鎮巡檢司がある。

湖廣 徳安府

  • 徳安府。元は荆湖北道宣慰司に属した。洪武元年(1368年)十月に湖廣行省へ属させ、九年(1376年)四月に州へ降して黄州府に属させ、十一月に武昌府へ属させ、十三年(1380年)五月に再び府として湖廣布政司に属させ、二十四年(1391年)六月に河南へ改属させたが、まもなく戻した。州一・縣五を管轄する。布政司から東南へ四百里。
  • 安陸(附郭)。成化二十三年(1487年)に興王府を建て、𢎞治四年(1491年)に安陸州へ移した。八年(1495年)に岐王府を建て、十四年(1501年)に除いた。正徳元年(1506年)、壽王府が四川保寧府からここへ移り、嘉靖二十四年(1545年)に除いた。四十年(1561年)に景王府を建て、十四年から除いた(年次に錯簡があるか)。洪武の初めに縣を廃し、十三年(1380年)五月に再置した。東に章山(すなわち豫章山)がある。溳水が城の西にあり、俗に府河、また石漳河という(底本は「裕稱」に作る。「俗稱」の誤りか)。また西に漳水が入り、そこを漳口という。南に高履鎮巡檢司があり、のちに隨州の合河店へ移った。
  • 雲夢(府の東南)。西南に溳水、東に興安鎮巡檢司があったがのちに廃された。
  • 應城(府の西南)。洪武九年(1376年)四月に黄州府へ属させ、十年(1377年)五月に雲夢縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再置した。西北に西河があり、下流は漢水に入る。また峙山鎮巡檢司も西北にある。
  • 孝感(府の東南)。洪武九年(1376年)四月に黄州府へ属させ、十年(1377年)五月に徳安州へ併合し、十三年(1380年)五月に再置した。北に澴水があり、下流は漢水に入る。南に淪河があって溳河から分流し、漢陽で灄水と合して長江に入る。北に小河溪、東南に馬溪河の二巡檢司がある。
  • 隨州。洪武二年(1369年)正月に州治の隨縣を廃して併合し、九年(1376年)四月に縣へ降して黄州府に属させ、十年(1377年)五月に應山縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再び州へ昇格させた。西に大溪山があって溳水が発し、下流は漢川縣で漢水に入る。また西に大洪山があって漳水が発する。西北に溠水があり栲栳山に発し、㵐水が流れ込む。また南に浪水があり大猿山に発する。下流はいずれも溳水に注ぐ。また西北に合河店、東北に出山鎮の二巡檢司がある。府から東南へ百八十里。縣一を管轄する。
  • 應山(州の東)。洪武の初めに廃し、十三年(1380年)五月に再置した。西に鷄頭山があって澴水が発する。西南に溳水、東に白泉河があり、澴水と合して孝感縣境に入る。西北に杏遮關巡檢司があり、すなわち平靖關で義陽三關の一つ。また西南に平里市巡檢司がある。また東北に武陽關(一名を武勝關、また禮山關)があり、これも義陽三關の一つ。

湖廣 岳州府

  • 岳州府。元の岳州路で湖廣行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府とし、洪武九年(1376年)四月に州へ降して布政司の直隸とし、十四年(1381年)正月に再び府とした。州一・縣七を管轄する。布政司から東北へ五百里。
  • 巴陵(附郭)。洪武九年(1376年)四月に廃し、十四年(1381年)に再置した。西南に巴邱山、また君山が洞庭湖の中にある。長江は西北にある。洞庭湖は上流で湘・灃の二水を受け、西南から来て合わさる。これを三江口という。湖の南に青草湖、西に赤沙湖があり、あわせて三湖という。沅・漸・元・辰・叙・酉・灃・澬・湘の九水がみなここに集まるので、九江ともいう。東南に㴩湖(また翁湖という)、南に鹿角巡檢司がある。
  • 臨湘(府の東北)。東南に龍窖山があり臨湘・通城・當陽・蒲圻の四縣の境にまたがる。西南に城陵□、また道人磯があっていずれも長江に臨む。城陵磯巡檢司がある。また南に土門鎮、東北に鴨欄磯の二巡檢司がある。
  • 華容(府の西北)。東に東山、また石門山がある。北は長江。また華容河が長江から分流して南へ洞庭湖に達する。南に灃水があって東へ流れ洞庭湖に入る。西南に赤沙湖があって洞庭湖に接する。南に明山・古樓の巡檢司がある。また東北に黄家穴巡檢司があったがのちに塔市へ移った。北に北河渡巡檢司があったがのちに廃された。
  • 平江(府の東南)。元の平江州で、洪武三年(1370年)に縣へ降した。北に永寧山、東北に幕阜山、東に汨水があって西南へ流れ、昌水が北へ流れて入る。東北に長壽巡檢司がある。
  • 灃州。元の灃州路で湖廣行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府とし、九年(1376年)四月に州へ降し、州治の灃陽縣を廃して併合して常徳府に属させ、三十年(1397年)三月に来属させた。元の元貞の末に治所を新城へ移し、洪武五年(1372年)に旧治へ復した。東に關山、西南に大浮山があって石門・武陵・桃源の三縣にまたがる。南に澧水(一名を蘭江、また繡水)があり、その東に澹水、北に涔水があっていずれも流れ込む。東に嘉山鎮巡檢司がある。府から東へ二百七十里。縣三を管轄する。
  • 安鄉(州の東南)。西に澧水(一名を長河)、北に涔水がある。
  • 石門(州の西南)。澧水があり、西北に渫水(また添平河という)があって添平所から南へ流れ込む。
  • 慈利(州の西やや南)。元の慈利州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。西南に天門山、□榔洞があり□(底本欠字)と境を分ける。また西に崇山、また厯山があって澧水が発し、下流は華容縣で洞庭湖に入る。また西に漊水があり四川巫山縣に発し、東へ流れて諸溪澗の水を合わせ、縣の西で澧水に集まる。これをまた後江という。西南に氷定衛(永定衛の誤りか)があり、洪武中に置かれ、二十三年(1390年)八月に永順宣慰司の芋岸埤へ移した。西北に龍伏關、東南に後平關・黒崇關があり、あわせて永定三關という。所属に大庸守禦千戸所があり、もと大庸衛で衛の西にあった。洪武九年(1376年)四月に置き、三十一年(1398年)に所へ改めた。また茅岡長官司が衛の東北にあり、正統中に氷定衛(永定衛の誤りか)が置いた。北に九溪衛があり、洪武二十三年(1390年)六月に置いた。九淵・野牛・三江口・閘口の四關がある。所属に守禦添平千戸所(衛の北。洪武二年〈1369年〉置)、守禦安福千戸所(衛の西北。洪武二十三年〈1390年〉九月置)、守禦麻寮千戸所(衛の北。洪武四年〈1371年〉置)、柔槙安撫司(もと桑植荒溪等處宣慰司。衛の西北。太祖の丙午年〈1366年〉二月に置き、のち廃し、永樂四年〈1406年〉十一月に改置)がある。

湖廣 荆州府

  • 荆州府。元の中興路で荆湖北道に属した。太祖の甲辰年(1364年)九月に荆州府と改めて湖廣行省に属させ、呉元年(1367年)十月に湖廣分省をここに置いたがまもなく罷めた。九年(1376年)に湖廣布政司へ属させ、まもなく河南へ改属させ、二十四年(1391年)に戻した。州二・縣十一を管轄する。布政司から東へ千二百一十里。
  • 江陵(附郭)。洪武十一年(1378年)正月に湘王府を建て、建文元年(1399年)四月に除いた。永樂元年(1403年)、遼王府が遼東廣寧からここへ移り、隆慶二年(1568年)十月に除いた。萬厯二十九年(1601年)十月に惠王府を建てた。南は長江に臨む。東南に夏水があり沔陽州で沔水に合わさるので、沔水にも夏水の名がある。また陽水があって東北の景陵縣で沔水に入る。また東北に三海があり、沮水と漳水の合流するところ。北に柞澞、東に靈溪(また零水という)があり、南へ長江に入る。そこを零口という。東北に龍灣市、東南に沙頭市、南に郝穴口、西南に虎渡口の四巡檢司がある。
  • 公安(府の東南)。東北に旧城があり、今の治所は崇禎元年(1628年)に移したもの。北は長江に臨む。西北に油河があって流れ込み、これを油口という。油口巡檢司がある。東北に夏水がある。
  • 石首(府の東南)。元末は楚望山の北を治所とし、洪武中に繡林山の左へ移した。もと宋のときの旧治である。北は長江に臨み、江中に石首山がある。また東に焦山、その下に洞庭湖へ通じる港がある。調弦口巡檢司がある。
  • 監利(府の東やや南)。南は長江に臨む。東南に魯伏江(また夏水という)があり長江から分流して下り、沔陽州で沔水に入る。また西に涌水があって南へ長江に入る。そこを涌口という。また東に瓦子灣、西に窰所、南に白螺磯、北に毛家口、また分塩所の五巡檢司がある。
  • 松滋(府の西南)。西南に巴山、北は長江に臨む。南に紅崖子巡檢司、また西坪塞巡檢司があったがのちに廃された。
  • 枝江(府の西)。洪武十年(1377年)五月に松滋縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再置した。北は長江に臨み、江中に百里洲があって江水がここで分かれるので枝江という。北に沮水があって南へ長江に入る。そこを沮口という。
  • 夷陵州。元の峽州路で荆湖北道宣慰司に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府とし、九月に州へ降して湖廣行省の直隸とし、九年(1376年)四月に州名を夷陵と改め、州治の夷陵縣を廃して併合し来属させた。長江は南にある。西北に關があって下牢關といい、江をはさんで険をなす。また西陵・明月・黄牛の三峽があり、峽中に使君・虎頭・狼尾・鹿角などの灘があって、いずれも江流のもっとも険しいところである。西北に赤谿があり東で長江に合わさる。南に南津口巡檢司、また東に金竹坪巡檢司があったがのちに廃された。また西に西津關、東北に白虎關がある。府から東へ三百四十里。縣三を管轄する。
  • 長陽(州の西南)。東南に清江、西に旧關堡、西南に蹇家□、南に漁洋關の三巡檢司がある。南に古捍關、西に梅子八關がある。
  • 宜都(州の東南)。西北に荆門山があって長江に臨み、その対岸が虎牙山である。また西に清江があって東へ流れ長江に合わさる。清江口巡檢司がある。また西北に古江關、東北に普通鎮の二巡檢司がある。
  • 遠安(州の東北)。旧治は亭子山の下にあったが、成化四年(1468年)に東荘坪へ移し、崇禎十三年(1640年)にまた鳳凰山の麓へ移した。それが今の治所である。東北に沮水がある。
  • 歸州。元は秭歸縣を治所とし湖廣行省の直隸であった。洪武九年(1376年)四月に州を廃して秭歸縣へ併合し夷陵州に属させ、十年(1377年)二月に縣名を長寧と改め、十三年(1380年)五月に再び縣を歸州へ改めた。旧治は江北にあり、のちに白沙南浦を治所とし、洪武の初めに丹陽へ移し、四年(1371年)に長寧すなわち江南の楚王臺の下へ移した。嘉靖四十年(1561年)に江北の旧治へ戻した。東に馬肝・白狗・空舲などの峽があり、長江は州の北にあって峽中を経て夷陵の境に入る。その西に叱灘・蓮花灘・新灘があっていずれも江に臨む。西北に牛口巡檢司があったがのちに巴東縣の利洲へ移った。東南に南邏口巡檢司があったがのちに新灘へ移った。府から東へ五百二十里。縣二を管轄する。
  • 興山(州の西北)。洪武九年(1376年)に夷陵州へ改属させ、のち還属させた。正統九年(1444年)三月に州へ併合し、𢎞治三年(1490年)五月に再置した。南に香溪(また縣前河という)があって南へ流れ長江に入る。東北に高雞塞巡檢司、また東に桑林坪巡檢司があったがのちに廃された。また北に猫兒關があって鄖・襄に達する。
  • 巴東(州の西)。元は歸州に属した。洪武九年(1376年)に夷陵州へ改属させ、隆慶四年(1570年)に還属させた。北は長江に臨み、四川巫山縣から流れ込む。東は門扇を経、東は奔破石へ至り、これを巴東三夾という。下流は黄梅縣で南直宿松縣の境に入る。また南に清江(一名を夷水)があり四州建始縣(四川の誤りか)から流れ込み、下流は長江に入る。また北に塩井、西南に連天關巡檢司、南に野山關巡檢司があり、もと石砫を治所としたが隆慶四年(1570年)に名を改めた。

湖廣 襄陽府

  • 襄陽府。元の裏陽路(襄陽路の誤りか)で河南江北行省に属した。大祖(太祖の誤りか)の甲辰年(1364年)に府として湖廣行省に属させ、九年(1376年)に湖廣布政司へ属させ、二十四年(1391年)六月に河南へ改属させたが、まもなく湖廣へ戻した。州一・縣六を管轄する。布政司から東南へ六百八十里。
  • 襄陽(附郭)。正統元年(1436年)、襄王府が長沙からここへ移った。南に虎頭山、また峴山、東南に鹿門山、西に隆中山がある。漢水が城の北にあり、また襄江という。白河が城の東北にあって唐河と合し、南へ漢水に入る。そこを白河口、また三州口という。また西北に青泥河、南に浮河、西南に檀溪があって下流はみな漢水に入る。北に樊城があり、樊城關巡檢司があったが、のちに縣の東北の栁樹頭へ移った。また東北に雙溝口巡檢司、また西に油坊灘巡檢司があり、嘉靖十九年(1540年)に縣の西北の北寨山廟鎮へ移した。
  • 宜城(府の東南)。東に漢水、西に蠻水(また夷水という)があり房縣に発して縣境に至って漢水に入る。その支流を長渠という。また沶水が漢中から流れ込んで蠻水に合わさる。そこを沶口という。また疎水が縣の東北にあり南漳縣から漢水へ流れ込む。そこを疎口という。
  • 南漳(府の西南)。西北に荆山、南に蠻水、また沮水、また漳河があって當陽縣へ流れ込み沮水に合わさる。東に方家堰、西南に金廂平の二巡檢司がある。また西に七里頭巡檢司があり、のちに保康縣の常平堡へ移った。
  • 棗陽(府の東北)。洪武十年(1377年)五月に宜城縣へ併合し、のちに再置した。東南に白水、南に濜水があって合流し、西へ沔水に注ぐ。これが縣内の白水である。また西南に流河があって襄陽の白河へ流れ込む。東北に鹿頭店巡檢司がある。
  • 榖城(府の西やや北)。東北に漢水、また均水が流れ込む。そこを均口という。また筑水が縣治の東南を経て漢水に注ぐ。そこを筑口という。西に石花街巡檢司がある。
  • 光化(府の西北)。洪武十年(1377年)に穀城縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再置した。旧治は西にあったが、隆慶の末に阜城衛へ改建した。それが今の治所である。東に馬窟山、北に漢水、東に白河(すなわち清水)があり河南新野縣から流れ込み、泌河が合流する。西北に左旗營巡檢司があり、萬厯中に縣の旧城へ移した。
  • 均州。洪武二年(1369年)七月に州治の武當縣を廃して併合した。南に武當山があり、永樂中に尊んで太嶽太和山とした。山には二十七峰・三十六巖・二十四澗がある。北に漢江(一名を滄浪水)、東北に均水があって河南浙川縣から流れ込む。また東南に黑虎廟巡檢司がある。府から東南へ三百九十里。

湖廣 鄖陽府

  • 鄖陽府。成化十二年(1476年)十二月に置いた。縣七を管轄する。また湖廣行都指揮使司をここに置いた(衛所はいずれも実土を持たない)。布政司から東南へ千二百里。
  • 鄖(附郭)。元は均州に属した。成化十二年(1476年)に鄖陽府を置いてここを治所とした。漢水が南にある。東南に龍門山があって龍門河が発し、下流は漢水に入る。西北に青桐關、東北に雷峰埡鎮の二巡檢司がある。
  • 房(府の南やや西)。元の房州で襄陽路に属した。洪武十年(1377年)五月に州治の房陵縣を廃して併合し、また州を縣へ降して引き続き襄陽府に属させ、成化十二年(1476年)十二月に来属させた。西南に景山(一名を雁山)があって江水が発し、遠安縣境へ流れ込む。また南に粉水(また彭水という)、また筑水があっていずれも穀城縣へ流れ込んで漢水に注ぐ。南に板橋山巡檢司があり、のちに縣の東南の博磨坪へ移った。
  • 竹山(府の西南)。元は房州に属した。洪武十年(1377年)五月に房縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再置して襄陽府に属させ、成化十二年(1476年)十二月に来属させた。東に方城山、西に筑山があって筑水が発し房縣境へ流れ込む。また上庸山があって上庸水が発し、南で孔陽水と合し、下流は漢水に入る。また南に堵水があり陝西平利縣境に発して東へ漢水に入る。西北に黄茅關・吉陽關の二巡檢司がある。
  • 竹谿(府の西南)。もと竹山縣の尹店巡檢司で、成化十二年(1476年)十二月に改めて縣を置き、巡檢司を縣の東の縣河鎮へ移し、ほどなくまた白土關へ移した。南に竹谿河がある。
  • 上津(府の西北)。洪武の初めに置いて襄陽府に属させ、十年(1377年)五月に鄖陽へ併合し、十三年(1380年)五月に再置して引き続き襄陽府に属させ、成化十二年(1476年)十二月に来属させた。西に十八盤山、また吉水があって西南へ流れて漢水に入る。俗にこれを夾河という。南に江口鎮巡檢司がある。
  • 鄖西(府の西北)。成化十二年(1476年)十二月、鄖縣の南門保に置いた。南に漢江があって陝西白河縣から流れ込み、下流は漢陽縣で長江に入る。
  • 保康(府の東南)。𢎞治十年(1497年)十一月、房縣の潭頭坪に置いた。その北に粉水、東南に常坪堡があり、嘉靖十九年(1540年)に南漳縣の七里頭巡檢司をここへ移した。

湖廣 長沙府

  • 長沙府。元の天臨路で湖南道宣慰司に属した。太祖の甲辰年(1364年)に潭州府とし、洪武五年(1372年)六月に長沙と改名した。州一・縣十一を管轄する。布政司から東北へ八百八十里。
  • 長沙(附郭。治所は西北)。洪武三年(1370年)四月に潭王府を建て、二十三年(1390年)に除いた。永樂元年(1403年)、谷王府が北直宣府からここへ移り、十五年(1417年)に除いた。二十二年(1424年)に襄王府を建て、正統元年(1436年)に襄陽へ移した。天順元年(1457年)三月に吉王府を建てた。縣の旧治は城外にあり、洪武の初めに城中へ移し、十八年(1385年)にまた北門外へ移し、萬厯二十四年(1596年)に朝宗門内へ移した。西に湘水があり廣西典安縣(興安縣の誤りか)に発して境内へ流れ込み、瀟水・烝水と合して北へ流れ府城を巡り、東北へ出て湘陰縣に至り、青草湖に達して洞庭湖に注ぐ。行程二千五百條里(「餘里」の誤りか)。北に瀏陽水があって西へ湘水に入る。そこを瀏口という。また麻溪が湘水に流れ込み、そこを麻溪口という。また西北に喬口巡檢司があり、喬江と澬江の合流するところ。
  • 善化(附郭。治所は東南)。旧治は城外にあり、洪武四年(1371年)に城中へ移し、十年(1377年)五月に長沙縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再置して南門外を治所とし、成化十八年(1482年)にやはり城中へ移した。西南に嶽麓山があり、湘江がその東麓を巡る。また靳江が湘江へ流れ込む。西に橘州が湘江の中にある。南に暮雲市巡檢司がある。
  • 湘陰(府の北)。元の湘陰州で、洪武の初めに縣へ降した。北に黄陵山、西に湘水があって北へ青草湖に達する。そこを湘口という。湖は縣の北にあって洞庭に連なり、また重湖という。南に哀江、また北に汨羅江があり、汨水が平江縣から流れ込んで分流して羅水となり、屈潭で合して西へ湘水に注ぐ。そこを汨羅口という。西北に營田巡檢司がある。
  • 湘潭(府の西南)。元の湘潭州で、洪武三年(1370年)三月に縣へ降した。東に昭山、その下に昭潭。西に湘水、西南に涓水があって流れ込む。南に下灄市巡檢司がある。
  • 瀏陽(府の東)。元の瀏陽州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。北に道吾山、東北に大光山、また大圍山があって瀏水が発し、縣の南を経て長沙縣境に入る。これを瀏陽水という。東南に渠城界・梅子圍の二巡檢司がある。また翟家寨巡檢司があったがのちに廃された。
  • 醴陵(府の東南)。元の醴陵州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。南に渌水(また漉水という)があって西北へ湘水に注ぐ。渌口巡檢司がある。
  • 寧鄉(府の西)。西に大溈山、北に澬江があって綏寧縣に発しここを経て沅江縣境に入り洞庭に注ぐ。
  • 益陽(府の西北)。元の益陽州で、洪武の初めに縣へ降した。西南に澬江(また益水という)、東に喬江(澬江の分流)があり、下流はまた澬江に合わさる。
  • 湘鄉(府の西南)。元の湘鄉州で、太祖の甲辰年(1364年)に縣へ降した。西に龍山があって漣水が発し、縣の東南を経て下流は湘水に入る。また西に湄水、南に豐溪水があっていずれも漣水に入る。西南に武漳市巡檢司、また永豐市・虞磨市の二巡檢司があったがのちに廃された。
  • 攸(府の南やや東)。元の攸州で、洪武三年(1370年)三月に縣へ降した。南に司空山、東に攸水があって江西安福縣から流れ込む。東南に洣水が合流し、下流は衡山縣で湘水に入る。南に鳳嶺巡檢司があったがのちに廃された。
  • 安化(府の西)。東に浮泥山、大峯山、西北に辰山、西に澬江、また南に善溪があって武陵縣から澬江へ流れ注ぐ。
  • 茶陵州。元は湖南道の直隸。太祖の甲辰年(1364年)に縣へ降し、成化十八年(1482年)十月に再び州とした。西に雲陽山、西北に洣水があって□縣から流れ込む。また東南に茶水があり江西永新縣の景陽山に発して西へ流れて合流し、北へ攸縣の攸水に入る。東に視渡口巡檢司がある。府から北へ四百五十里。

湖廣 常徳府

  • 常徳府。元の常徳路で湖廣行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府とした。縣四を管轄する。布政司から東北へ一千零五十里。
  • 武陵(附郭)。𢎞治四年(1491年)八月に榮王府を建てた。東南に善徳山、南に沅水、また朗水が流れ込む。そこを朗口という。また東北に漸水(すなわち鼎水)があって九溪衛から流れ込む。
  • 桃源(府の西)。元の桃源州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。西に壺頭山があって武陵・沅陵の境に接する。南に源水、朗溪、西南に泥溪があっていずれも流れ込む。また西南に高都巡檢司、また南に白馬巡檢司があり、もと蘇溪といって縣の東後春村を治所としたが、ほどなく移して名を改め、のちに廃された。
  • 龍陽(府の東やや南)。元の龍陽州で、洪武三年(1370年)三月に縣へ降した。旧治は東にあり、今の治所は景泰元年(1450年)十二月に移したもの。東に軍山、北に沅水、東北に鼎水があって流れ込む。そこを鼎口といい、鼎港口巡檢司がある。また東南に赤沙湖(一名を蠡口)、西北に小江口巡檢司がある。
  • 沅江(府の東南)。元は龍陽州に属した。洪武三年(1370年)三月に来属し、十年(1377年)五月に龍陽縣へ併合し、十三年(1380年)五月に再置した。西南に沅水、また□水・澧水が並び流れて縣境に入り、縣の東北で洞庭湖に入る。

湖廣 衡州府

  • 衡州府。元の衡州路で湖南道宣慰司に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府とした。州一・縣九を管轄する。布政司から東北へ一千三百里。
  • 衡陽(附郭)。𢎞治十二年(1499年)、雍王府が四川保寧府からここへ移り、正徳二年(1507年)に除いた。萬厯二十九年(1601年)十月に柱王府を建てた。南に回雁峰、北に峋嶁峰。衡山の峰七十二のうち縣内にあるものが七つで、この二峰がもっとも著名である。東に湘水、また烝水が西南から流れ込む。そこを蒸口という。また東北に耒水が湘水に注ぎ、そこを耒口という。また東に□湖、また東に新城縣があり、元末に置かれ洪武十年(1377年)五月に廃して新城市とし、江東巡檢司がここを治所とした。西南に松樎市巡檢司がある。
  • 衡山(府の東北)。元は天臨路に属したが、洪武の間に改属した。西に衡山があり、七十二峯・十洞・十五巖・三十八泉・二十五溪・九池・九潭・九井がある。峰のもっとも大きなものを祝融・紫葢・雲密・石廩・天柱といい、なかでも祝融がもっとも高い。東に湘江、東南に茶陵江(すなわち沫水)があり、攸縣から攸水を合わせて境内へ流れ込み湘水に注ぐ。そこを茶陵口という。東に革市、東南に雷家埠の二巡檢司がある。
  • 耒陽(府の東南)。元の耒陽州で湖南道の直隸。洪武三年(1370年)三月に縣へ降した。耒水が北にある。東に候計山があって肥水が発し、西南で東水に入る。また西南に羅渡巡檢司がある。
  • 常寧(府の南)。元の常寧州で湖南道の直隸。洪武三年(1370年)三月に縣へ降した。西北に湘水、東に春陵水があって合わさる。
  • 安仁(府の東やや北)。西に楊梅峰、南に小江水があって郱州(郴州の誤りか)から流れ込み、西北へ流れて衡山縣で沫水に合わさる。南に安平、北に潭湖の二巡檢司がある。
  • □(府の東)。洣水が縣の東にあり洣泉に発する。西に雲秋水があって合流する。
  • 桂陽州。元の柱陽路(桂陽路の誤りか)で平陽縣を治所とし湖南道宣慰司に属した。洪武元年(1368年)に府とし、九年(1376年)四月に縣へ降して平陽縣を併合し、十三年(1380年)五月に州へ昇格させた。西に大凑山、南に晉嶺山、北に潭流嶺があり、もといずれも銀・鉛・砂鉱を産した。西に藍山、西北に春陵水、また西に巋水があって合流する。北に泗州寨、南に牛橋鎮の二巡檢司がある。府から西北へ三百里。縣三を管轄する。
  • 臨武(州の南)。西北に舜峰山、西に西山があって武水が発し、章縣を経て章水に合わさる。東北に兩路口巡檢司、また東に赤土巡檢司があったがのちに廃された。
  • 藍山(州の西南)。旧治は縣の北にあり、洪武元年(1368年)にここへ移して郴州に属させ、二年(1369年)に来属させた。南に黄檗山、東南に華陰山、西南に九疑山があり、山に杞林峰があって巋水(一名を舜水)が発し、北へ流れて春陵水に合わさる。また西に守禦寧溪千戸所があり、洪武二十九年(1396年)三月に置いた。東に毛俊鎮、北に乾溪鎮、西北に大橋鎮の三巡檢司がある。また西に小山堡・張家陂の二巡檢司があったがのちに廃された。
  • 嘉禾(州の西南)。崇禎十二年(1639年)、桂揚州(桂陽州の誤りか)の倉禾堡に置き、臨武縣の地を割いて加えた。東南に巋水があって藍山縣から流れ込み、北へ石門山を経てさらに東北へ州境に入る。

湖廣 永州府

  • 永州府。元の永州路で湖南道宣慰司に属した。洪武元年(1368年)に府とした。州一・縣七を管轄する。布政司から東北へ千八百二十里。
  • 零陵(附郭)。北に湘水が城の西を経、瀟水が南から来て合わさる。そこを湘水といい湘口關がある。また南に永水があって縣の西南の永山に発し、北へ流れて湘水に入る。北に黄楊堡巡檢司があり、木商溪市で隆慶元年(1567年)に治所を移して名を改めた。
  • 祁陽(府の東北)。旧治は縣の西にあり、景泰元年(1450年)十二月に今の治所へ移した。北に祁山があってその上に黄羆鎮がある。西北に四望山、西に湘水、また城の北に祁水があって卲陽縣に発し東北へ流れ込む。南に浯溪があって下流もまた湘水に入る。また東に歸陽市、東南に白水市、西北に水隆・太平市の三巡檢司がある。また東北に湘江市巡檢司があったがのちに縣の東北の排山へ移った。
  • 東安(府の西北)。八十四渡山が縣の東にある。また東南に湘水があって廣西全州から流れ込む。また盧洪江があって縣の北の九龍巖に発し、城の東を経て下流は湘水に入る。盧洪市巡檢司がある。また結陂市巡檢司があったがのちに廃された。
  • 道州。元の道州路で湖南宣慰司に属した。洪武元年(1368年)に府とし、九年(1376年)四月にまた州へ降し、州治の營道縣を廃して併合し来属させた。西に營山があって營水が発し、泥江で江華縣の沲水と合わさる。東に瀟江があって青口で沲水に合わさる。また西に濓溪があって州の西の安定山下に発し、東北で宜水と合わさる。そこを龍灘といい、下流はいずれも湘水に入る。府から北へ百五十里。縣四を管轄する。
  • 寧遠(州の東やや北)。南に九疑山があって衡・永・郴・道の間に横たわる。山に朱明峰があって瀟水が発する。また南に舜源水があって北へ流れ、江華縣の沲・瀟の二水と合して三江口をなす。南に九疑・魯觀の巡檢司があり、九疑・魯觀の二峒口にある。
  • 江華(州の南)。東南に旧城があり、今の治所はもと寧速衛右千戸所(寧遠衛の誤りか)で、洪武二十八年(1395年)に置き、天順六年(1462年)に縣を移して同じ治所とした。西に白芒嶺、すなわち萌渚嶺で五嶺の第四の嶺である。東に沲水があって九疑山の石城・娥皇の二峰に発し、下流は潚水に合わさる。また東南に砅水があって九疑山の女英峰に発し沲水に合わさる。また東に守禦錦田千戸所があり洪武二十九年(1396年)に置いた。また錦田巡檢司がある。また西南に綿岡巡檢司、また濤墟市巡檢司があったがのちに寧□縣の九疑・魯觀へ移った。
  • 永明(州の西やや南)。北に永明嶺、すなわち都龎嶺で五嶺の第三の嶺である。南に遨水があって廣西富川縣から流れ込み、下流は瀟水に注ぐ。東南に枇杷守禦千戸所、西南に桃川守禦千戸所があり、いずれも武武二十九年(洪武二十九年〈1396年〉の誤りか)に置いた。また桃川市巡檢司、また西南に白面墟巡檢司がある。
  • 新田(州の東北)。崇禎十三年(1640年)、寧遠縣の新田堡に置いた。西北に春陵山があって寧遠縣と境を接し、春寧水(春陵水の誤りか)が発して下流は常寧縣で湘水に合わさる。東南に白面寨巡檢司がある。

湖廣 寶慶府

  • 寶慶府。元の寶慶路で湖南道宣慰司に属した。洪武元年(1368年)に府とした。州一・縣四を管轄する。布政司から東北へ千二百五十里。
  • 卲陽(附郭)。南に高霞山、東に蒸水、また北に澬水があり、卲水が東から流れて合わさる。五十三灘があり、また四十八灘があって、いずれも澬水の経るところ。西北に龍囘巡檢司、また北に巨口關、東北に白馬關がある。
  • 新化(府の北)。東に上梅山があり、その下梅山は安化縣の境内にある。東南に澬水、西南に長鄄巡檢司があったがほどなく廃された。また北に蘇溪巡檢司がある。
  • 城步(府の西南)。もと武岡州の城步巡檢司で、𢎞治十七年(1504年)に改めて縣を置き、綏寧縣の地を割いて加え、巡檢司を縣の東北の茅坪舖へ移し、ほどなくまた山口へ移し、のちに廃した。東南に羅漢山、また巫水があって下流は澬水に入る。
  • 武岡州。元の武岡路で湖南道宣慰司に属した。洪武元年(1368年)に府とし、九年(1376年)四月に州へ降し、州治の武岡縣を廃して併合し来属させた。永樂二十二年(1424年)、岷王府が雲南からここへ移った。北に武岡山、南に雲山、また澬水があり、西南に都梁水があって東北へ流れ込む。北に蓼溪隘・峽口鎮、南に石門隘、東に紫陽關の四巡檢司がある。東に石陽關がある。府から東へ二百八十里。縣一を管轄する。
  • 新寧(州の東南)。旧治は縣の東にあり、景泰二年(1451年)に沙洲原へ移した。南に夫夷水があって北へ流れ都梁水に合わさる。東南に靖位、西に新寨の二巡檢司がある。

湖廣 辰州府

  • 辰州府。元の辰州路で湖廣行省に属した。太祖の甲辰年(1364年)に府とした。州一・縣六を管轄する。布政司から東北へ千七百里。
  • 沅陵(附郭)。西北に大酉山・小酉山、東に壺頭山、西南に沅水があり、辰水が東北から流れ込む。また東に百曳・高湧・九溪・清浪などの灘がある。また酉水が西北にあって東南へ沅水に入る。東に大剌、西北に明溪、また會溪、東北に池蓬の四巡檢司がある。また商□巡檢司があったがのちに廃された。
  • 盧溪(府の西やや南)。南に沅水、西に武溪(すなわち潕溪)があって下流は沅水に合わさる。また西に鎮溪軍民千戸所があり洪武三十年(1397年)二月に置いた。また南に溪洞巡檢司、また西に河溪、西南に院場坪の二巡檢司があったがのちに廃された。
  • 長溪(府の西南。辰溪の誤りか)。東南に丑城山、西北に沅水、西に辰水がある。また東に渡口鎮、南に晉市鎮の二巡檢司があったがのちに廃された。
  • 溆浦(府の東南)。東に紅旗洞、西に溆水があって下流は沅水に入る。南に龍潭、東北に鎮寧の二巡檢司がある。
  • 沅州。元の沅州路で湖廣行省の直隸。太祖の甲辰年(1364年)に府とし、九年(1376年)四月に州へ降し、州治の盧陽縣を廃して併合し来属させた。北に明山、南に沅江があってその源は四川遵義縣に出、下流は沅江縣で洞庭湖に入る。西に舞水(すなわち无水)があって沅水に流れ入る。西に晃州巡檢司、また西南に西關渡口巡檢司があったがのちに廃された。府から東北へ二百七十里。縣二を管轄する。
  • 黔陽(州の東南)。東南に羅公山、南に雙石崖(一名を屏風崖)があり、景泰中に寨を築いて守備を置き、安江雙崖城と名づけた。北に沅水、また東に洪江、西に郎江、南に黔江があっていずれも流れ込む。東に安江巡檢司、また西に托口寨、東に洪江寨がある。
  • 麻陽(州の北やや西)。東に包茅山、西に蠟爾山があって保靖司および四川・貴州の境に接する。諸苗蠻が山の下に住むもの、あわせて七十四寨。南に辰水があって貴州銅仁府から流れ込む。西に錦水があって下流は辰州に入る。東北に巖門巡檢司がある。

湖廣 郴州

  • 郴州。元の郴州路で湖南道宣慰司に属した。洪武元年(1368年)に府とし、九年(1376年)四月に州へ降し、州治の郴陽縣を廃して併合し、布政司の直隸とした。南に黄岑山があって宜章縣と境を接し、また騎田嶺といって五嶺の第二の嶺である。その支嶺を□嶺という。また東北に雲秋山があって□縣と境を接し、雲秋水が発する。東に郴水があって黄岑山に発し、桂陽縣の耒水と合して下流は湘水に入る。また西南に柱水があって下流は来水に合わさる。西南に石陂巡檢司がある。縣五を管轄する。布政司から北へ千八百八十里。
  • 永興(州の北やや西)。東南に土富山があってもと銀井があった。西に高亭山、東に郴水、また白豹水が西南から流れ込む。そこを森口という。西に高亭、北に安福の二巡檢司がある。
  • 宜章(州の南)。西南に莽山、東に漏天山、北に章水があり、その支流を小章水という。いずれも源は黄岑山に出る。武水が西から来て合わさり、下流は江西崇義縣境に入る。東に赤石、南に白沙の二巡檢司がある。
  • 興寧(州の東北)。南に耒水、東南に資興水があって合流する。東に州門巡檢司、東南に滌口巡檢司があったが、のちに西南の黄家涃へ移った。
  • 桂陽(州の西南)。南に耒山があって耒水が発し、西北で郴水に合わさる。また東に孤山水があって江西崇義縣へ流れ込み韥水に達する。東に守禦廣安千戸所があり洪武二十九年(1396年)三月に置いたがのちに廃され、宣徳八年(1433年)六月に再置した。東に益将、西に鎮安、南に長安山口、北に濠村の四巡檢司がある。
  • 桂東(州の東)。西北に小桂山があって桂水が発し、南に漚江が来て合わさる。また南に高分嶺巡檢司がある。

湖廣 靖州

  • 靖州。元の靖州路で湖廣行省の直隸。太祖の乙巳年(1365年)七月に靖州軍民安撫司とし、元年に州へ降し、三年に府へ昇格させ、四月にまた州へ降し、州の永平縣を廃して併合し、布政司の直隸とした。南に侍郎山があって廣西融縣と境を分ける。東に渠水があって下流は會同縣の郎江と合して沅水に入る。西に零溪巡檢司がある。縣四を管轄する。布政司から東北へ千八百五十里。
  • 會同(州の東北)。西に沅水、また西南に郎溪があって貴州黎平府から流れ込む。また東に雄溪(一名を洪江)があり、下流はいずれも沅水に入る。南に若水巡檢司がある。
  • 通道(州の南)。洪武十年(1377年)五月に州へ併合し、十三年(1380年)五月に再置した。北に福湖山、西に渠水、西北に播揚河があって貴州黎平府から流れ込んで合わさる。播揚巡檢司がある。また西南に収溪寨巡檢司がある。
  • 綏寧(州の東)。元は武岡路に属した。洪武元年(1368年)に武岡府へ属させ、三年(1370年)に来属させた。東に雙溪、すなわち城步縣の巫水の下流である。東北に青坡巡檢司があったがのちに武陽へ移った。西南に臨口巡檢司がある。
  • 天柱(州の西北)。もと天柱守禦千戸所で、洪武二十五年(1392年)五月に置いた。萬厯二十五年(1597年)に縣へ改め、綏寧・會同の二縣の地を割いて加えた。崇禎十年(1637年)に東の龍塘へ移して龍塘縣と名づけ、のちに東の雷寨へ移し、のちに旧治へ移して旧名に復した。東に沅水、西北に屯鎮汶溪後千戸所があり洪武二十三年(1390年)に置いた。東に鎮遠巡檢司があったがのちに上新市へ移った。また江東巡檢司がある。

湖廣 施州衛軍民指揮使司

  • 施州衛軍民指揮使司。元の施州で四川行省䕫州路に属した。洪武の初めに廃し、十四年(1381年)五月に再置して夔州府に属させ、六月にあわせて施州衛軍民指揮使司を置いて四川都司に属させ、十二月に湖廣都司へ属させた。のちに州は廃され衛だけが残った。北に都亭山、東に連珠山があって五峰關がその下にある。東南に東門山、東北に清江があって四川黔江縣から流れ込む。一名を夷水、また黔江という。衛境の諸水はみなここに入り、下流は宜都縣で長江に入る。所一・宣撫司四・安撫司九・長官司十三・蠻夷官司五を管轄する。布政司から東北へ千七百里。
  • 大田軍民千戸所。洪武二十三年(1390年)閏四月、散毛宣撫司の大水田に置いた。東に小關山、西南に萬頃湖があって酉陽と境を接する。また南に深溪關、北に硝場があって硝を産する。衛から東北へ二百二十里。
  • 施南宣撫司。元の施南道宣慰司。洪武四年(1371年)十二月にこれを踏襲し、のちに廃された。十六年(1383年)十二月に再置して施州衛に属させ、二十七年(1394年)ののちにまた廃した。永樂二年(1404年)五月に改めて長官司を置いて大田軍民千戸所に属させ、四年(1406年)三月に宣撫司へ昇格させ、引き続き衛に属させた。東に旧治があり、のちに夾壁龍孔へ移った。それが今の治所である。西に前江があって七藥山に発し、西南へ流れて後江と合し四川彭水縣境に入る。衛から北へ一百里。安撫司五を管轄する。
  • 東鄉五路安撫司。元の東鄉五路軍民府で、洪武四年(1371年)十二月に改めて長官司を置き、さらに安撫司へ昇格させた。長官司三・蠻夷官司二を管轄する。
  • 搖把峒長官司。元の又把峒安撫司で、のち廃され、宣徳三年(1428年)五月に改置した。
  • 上愛茶峒長官司・下愛茶峒長官司。この二長官司はいずれも元の容美洞の地である。至大二年(1309年)に懐徳府を置いて四川南道宣慰司に属させ、至順二年(1331年)正月に宣撫司へ昇格させ、至正中に軍民宣慰司へ昇格させた。太祖の甲辰年(1364年)六月に軍民宣撫司へ改め、のち廃され、宣徳三年(1428年)五月に改置した。
  • 鎮遠蠻夷官司。宣徳三年(1428年)五月に置いた。
  • 隆奉蠻夷官司。元の隆奉宣撫司で、洪武四年(1371年)十二月に長官司へ改め、のち廃され、宣徳三年(1428年)五月に改めて官司を置いた。
  • 忠路安撫司。明玉珍の忠路宣撫司で、洪武四年(1371年)に安撫司へ改め、二十三年(1390年)に廃し、永樂五年(1407年)に再置した。長官司一を管轄する。
  • 劍南長官司。宣徳三年(1428年)五月に置いた。
  • 忠孝安撫司。元が置き、洪武四年(1371年)十二月に改めて長官司を置き、ほどなく旧に復した。二十三年(1390年)に廃し、永樂五年(1407年)に再置した。
  • 金峒安撫司。元が置き、洪武四年(1371年)十二月に長官司へ改め、永樂五年(1407年)に旧に復した。宣徳三年(1428年)五月に蠻夷官司一を管轄させた。隆慶五年(1571年)正月に峒長へ降した。
  • 西坪蠻夷官司。宣徳の初め(宣徳三年〈1428年〉五月)に置いた。
  • 中峒安撫司。嘉靖の初めに置いた。
  • 散毛宣撫司。元の至元三十年(1293年)四月に散毛洞蠻夷官を置き、三十一年(1294年)五月に府へ昇格させて四川行省に属させ、至正六年(1346年)七月に散毛誓厓等處軍民宣慰司へ改め、明玉珍が散毛宣慰使司都元帥へ改めた。洪武七年(1374年)五月に散毛沿邊宣慰司へ改めて四川重慶衛に属させ、二十三年(1390年)に廃し、永樂二年(1404年)五月に散毛長官司を置いて大田軍民千戸所に属させ、四年(1406年)三月に宣撫司へ昇格させて施州衛に属させた。南に白水河(一名を酉溪)があって忠建宣撫司から流れ込み、また東南へ永順司境に入る。衛から東北へ二百五十里。安撫司二を管轄する。
  • 龍潭安撫司。元の龍潭宣撫司で、明玉珍が長官司へ改め、洪武八年(1375年)十二月に龍潭安撫司へ改めて四川重慶衛に属させ、二十三年(1390年)に廃し、永樂四年(1406年)三月に再置して来属させた。南に清江がある。
  • 大旺安撫司。明玉珍の大旺宣撫司で、洪武八年(1375年)十二月にこれを踏襲して四川に属させ、永樂五年(1407年)に改置した。蠻夷官司二を管轄する。
  • 東流蠻夷官司。洪武八年(1375年)十二月に東流安撫司を置いて四川に属させ、のち廃され、宣徳三年(1428年)五月に改置して来属させた。
  • 臈壁峒蠻夷官司。宣徳三年(1428年)五月に置いた。
  • 忠建宣撫司。元の忠建軍民都元帥府で、明玉珍がこれを踏襲した。洪武五年(1372年)正月に長官司へ改め、六年(1373年)に宣撫司へ昇格させ、二十七年(1394年)四月に安撫司へ改め、ほどなく廃した。永樂四年(1406年)に宣撫司として再置し施州衛に属させた。南に白水があって将軍山に発し、西南へ流れて□(底本欠字)東河が容美司から来て合わさる。衛から北へ二百五十里。安撫司二を管轄する。
  • 忠峒安撫司。元の湖南鎮邊宣慰司で、明玉珍が沿邊溪洞宣撫司へ改め、洪武五年(1372年)正月に沿邊溪峒長官司へ改め、のち廃され、永樂四年(1406年)に改置した。西南に西溪がある。
  • 高羅安撫司。元の高羅宣撫司で、明玉珍が安撫司へ改め、洪武六年(1373年)に廃し、永樂四年(1406年)三月に再置した。長官司一を管轄する。
  • 思南長官司。成化ののちに置いた。
  • 容美宣撫司。元の容美等處宣撫司で四川行省に属した。太祖の丙午年(1366年)二月にこれを踏襲し、呉元年(1367年)正月に黄沙靖安麻寮等處軍民宣撫司へ改め、洪武五年(1372年)二月に改めて長宮司(長官司の誤りか)を置き、七年(1374年)十一月に宣慰司へ昇格させ、のち廃され、永樂四年(1406年)に宣撫司として再置し、施州衛に属させた(底本はここで行を改め「施州衛」を行頭に置く)。西南に山河(すなわち澬水の上源)があって東へ九溪衛境に入る。衛から西北へ二百十里。長官司五を管轄する。
  • 盤順長官司。元の元統二年(1334年)正月に盤順府を置き、至正十五年(1355年)四月に軍民安撫司へ昇格させ、洪武五年(1372年)三月に長官司へ改めた。
  • 椒山瑪瑙長官司・五峰石寳長官司・石梁下峒長官司・水盡源通塔平長官司。この四長官司はいずれも洪武七年(1374年)十一月に置き、十四年(1381年)に廃し、永樂五年(1407年)に再置した。
  • 木冊長官司。元の木冊安撫司で、明玉珍が長官司へ改めた。洪武四年(1371年)に廃し、永樂四年(1406年)三月に再置して高羅安撫司に属させ、宣徳九年(1434年)六月に施州衛の直隸とした。
  • 鎮南長官司。元の宣化鎮南五路軍民府で、ほどなく湘南鎮邊毛嶺峒宣慰司へ改め、明玉珍が鎮南宣撫司へ改めた。太祖の丙午年(1366年)二月にこれを踏襲したがほどなく廃し、洪武八年(1375年)二月に再置して施州衛に属させ、二十三年(1390年)にまた廃し、永樂五年(1407年)に改置して施州衛の直隸とした。酉溪がある。
  • 唐崖長官司。元の唐崖軍民千戸所で、明玉珍が安撫司へ改めた。洪武七年(1374年)四月に長官司へ改め、のち廃され、永樂四年(1406年)三月に再置して施州衛の直隸とした。南に黔水、すなわち清江の上源がある。

湖廣 永順軍民宣慰使司

  • 永順軍民宣慰使司。元の至元中に永順路を置き、のちに永順保靖南渭安撫司へ改め、至大三年(1310年)四月に永順等處軍民安撫司へ改め、至正十一年(1351年)四月に宣撫司へ昇格させて四川行省に属させた。洪武二年(1369年)に州とし、十二月に永順軍民安撫司を置き、六年(1373年)十二月に軍民宣慰使司へ昇格させて湖廣行省に属させ、ほどなく都司へ改属させた。西南に水溪(すなわち西水)があって下流は沅陵縣境に入る。州三・長官司六を管轄する。布政司から東北へ二千里。
  • 南渭州(司の西)。元は新添葛蠻安撫司に属したが、のち廃され、洪武二年(1369年)に再置して改属させた。
  • 施溶州(司の東南)。元の會溪施溶等處長官司で思州軍民安撫司に属し、のち廃され、洪武二年(1369年)に改置して来属させた。
  • 上溪州(司の西)。洪武二年(1369年)に置いた。
  • 臈惹洞長官司・麥著黄洞長官司・驢遲洞長官司・施溶溪長官司。この四長官司は元ではいずれも思州軍民安撫司に属し、洪武三年(1370年)に改属させた。
  • 白崖洞長官司。元は新添葛蠻安撫司に属し、洪武三年(1370年)に改属させた。
  • 田家洞長官司。洪武三年(1370年)に置いた。

湖廣 保靖州軍民宣慰使司

  • 保靖州軍民宣慰使司。元の保靖州で新添葛蠻安撫司に属した。太祖の丙午年(1366年)二月に保靖州軍民安撫司を置き、洪武元年(1368年)九月に宣慰司へ改め、六年(1373年)十二月に軍民宣慰使司へ昇格させて湖廣行省の直隸とし、ほどなく都司へ改属させた。北に北河があって西陽司から流れ込み、東へ永順司境に入る。また峒河があって下流は盧溪縣の武溪と合わさる。長官司二を管轄する。布政司から東北へ千九百七十里。
  • 五寨長官司(司の南)。元が置き、洪武七年(1374年)六月にこれを踏襲した。
  • 筸子坪長官司(司の南)。太祖の甲辰年(1364年)六月に簳子坪洞元帥府を置き、のち廃され、永樂三年(1405年)七月に改置した。

浙江 総説

  • 浙江は禹貢の揚州にあたる地域である。元はここに江浙等處行中書省を置き(治所は杭州路)、さらに浙東道宣慰使司を分置してこれに属させた(治所は慶元路)。
  • 太祖の戊戌年(1358年)十二月に中書分省を置き(治所は寧越府。癸卯年〈1363年〉二月に嚴州府へ移した)、丙午年(1366年)十二月に分省を罷めて浙江等處行中書省を置いた(治所は杭州府)。洪武三年(1370年)十二月に杭州都衛を置き(行中書省と同じ治所)、八年(1375年)十月に都衛を改めて浙江都指揮使司とし、九年(1376年)六月に行中書省を改めて承宣布政使司とした。
  • 管轄は府十一・属州一・縣七十五(里数は一萬零八百九十九)。
  • 四至は、西は開化まで(江南と境を接する)、南は平陽まで(福建と境を接する)、北は太湖まで(江南と境を接する)、東は海まで。南京から九百里、京師から三千二百里。
  • 戸口は、洪武二十六年(1393年)の編戸が一百一十三萬八千二百二十五戸・口一千四十八萬七千五百六十七、𢎞治四年(1491年)が一百五十萬三千一百二十四戸・口五百三十萬五千八百四十三、萬厯六年(1578年)が一百五十四萬二千四百八戸・口五百一十五萬三千五(底本はここで数字が途切れる)。

浙江 杭州府

  • 杭州府。元の杭州路で江浙行省に属した。太祖の丙午年(1366年)十一月に府とした。縣九を管轄する。
  • 錢塘(附郭)。洪武三年(1370年)四月に呉王府を建て、十一年(1378年)正月に周王へ改封して河南開封府へ移した。南に鳳凰山、秦望山、西南に靈隠山がある。南に錢塘江(また浙江という)があり、三つの源があって、新安江は南直歙縣に発し、信安江は開化縣に発し、東陽江は東陽縣に発する。これらが□(底本欠字)合流して東へ錢塘江となり、會稽縣の三江海口に至って海に入る。西に西湖があって武陵泉に発する。また北に運河があって秀水縣の北で南直の運河に接する。また安溪(すなわち苕溪)があって餘杭縣から流れ込み、下流は烏程縣の東北で太湖に注ぐ。
  • 仁和(附郭)。東北に臯亭山、臨平山があり、その下にもと臨平湖があったがのちに埋まった。北に北新關があり、成化中に戸部分司をここに設けた。また塘棲鎮がある。
  • 海寧(府の東やや北)。元の海寧州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。南は海に臨み、擇海塘がある。西南に赭山があって蕭山縣の龕山と相対し、浙江がその中を経て東は大海に接する。これを海門という。東南に右鼓鎮巡檢司があり、もと縣の東北の硤石鎮に置いたが、のちにここへ移して名を改めた。西南に赭山鎮巡檢司があり、もと縣の西の陳橋北に置き、ほどなく赭山へ移して名を改め、また文堂山上へ移したが旧名のままとした。また西北に長安鎮がある。
  • 富陽(府の西)。東に觀山、西南に湖洑山、東南は富春江(すなわち錢塘江)に臨む。西南に東梓巡檢司があったがのちに廃された。
  • 餘杭(府の西北)。西南に大滌山、西北に徑山、南に苕溪があって於潛縣の天目山に発する。東北に石賴巡檢司があったがのちに廃された。
  • 臨安(府の西)。旧治は縣の西の西墅鎮にあり、洪武の初めに今の所へ移した。もと呉越の衣錦軍である。西に天目山(また東天目という。於潛の境内にあるものが西天目)がある。西北に南溪(すなわち東苕溪)があって天目山に発し縣の南を経る。また新溪という。
  • 於潛(府の西)。北に天目山があって浮溪が発する。縣の南を紫溪といい、下流は桐廬縣で浙江に入る。
  • 新城(府の西南)。西に葛溪、また東北に松溪があって合わさり、峴口で浙江に入る。
  • 昌化(府の西)。東南に栁相山、また銅坑山、西北に千頃山、西に昱嶺があってその上に關がある。また西北に黄花嶺があってその上にも關がある。東南に栁溪があり東へ流れて於潛の紫溪に合わさる。また雙溪が縣治の南から栁溪へ流れ込む。西に手□嶺巡檢司があり、縣の西南の株栁村へ移し、また縣の西の湛村へ移し、また楊家塘へ移したが旧名のままとした。

浙江 嚴州府

  • 嚴州府。元の建徳路で江浙行省に属した。太祖の戊戌年(1358年)三月に建安府とし、ほどなく建徳府といい、壬寅年(1362年)二月に嚴州府と改めた。縣六を管轄する。布政司から東北へ二百七十里。
  • 建徳(附郭)。北に烏龍山、西に銅官山、また新安江が淳安縣から流れ込んで城の南を経、東陽江が西南から来て合わさる。また東北に胥溪が来て江に入る。そこを胥口、また建徳江という。東に管界巡檢司がある。
  • 桐廬(府の東北)。西に富春山(一名を嚴陵山)がある。桐江が南にあり、すなわち浙江で、また睦江という。建徳縣から流れ込み、富春山の釣臺の下を経てそこを七里瀨といい、また東へ桐君山の下を経てそこを桐江という。桐溪が縣の東北から流れ込み、そこを桐江口という。その上源は分水縣の天目溪である。桐江巡檢司があり、のちに桐君山へ移し、また窄溪埠へ移した。
  • 淳安(府の西)。南に雲濛山、西に都督山、また威平洞(また青溪洞、幫源洞という)がある。南に新安江があって南直歙縣から流れ込む。また青溪という。西に街口、また永平、南に港口の三巡檢司があったがのちに廃された。東に錦溪關があり嘉靖中に置いた。
  • 遂安(府の西やや南)。西に武强溪があり、雙溪が合流する。そこを三渡口といい、城の南を経て東北へ淳安の青溪に注ぐ。南に鳳林巡檢司があったがのちに廃された。
  • 壽昌(府の西南)。東南に巖峒山、西に夀昌溪があって東北へ流れ建徳縣で新安江に入る。南に常樂溪があって東南へ流れ蘭溪縣で東陽江に入る。西に社田、西南に上梅の二巡檢司がある。
  • 分水(府の東北)。東に天目溪があり、その上源は於潛縣の紫溪および昌化縣の栁溪である。下流は桐廬縣の桐溪となる。また東南に前溪があって淳安縣から流れ込み、東へ天目溪に注ぐ。東に呉村巡檢司があったがのちに廃された。

浙江 嘉興府

  • 嘉興府。元の嘉興路で江浙行省に属した。太祖の丙午年(1366年)十一月に府として京師の直隸とし、十四年(1381年)十一月に浙江へ改隸した。縣七を管轄する。布政司から西南へ百九十五里。
  • 嘉興。南に南湖(また鴛鴦湖という)があって運河に合流する。また長水塘があり、西南は海寧に、東北は海鹽縣の境に接する。また東に雙溪があって東へ出て華亭塘となる。南直松江府の漕舟はここから運河へ入る。
  • 秀水(附郭)。宣徳五年(1430年)三月、嘉興縣の地を割いて置いた。西に運河があって北へ□家湖を経て南直呉江縣の運河に達する。東北に杉青閘、また王江涇の二巡檢司がある。
  • 嘉善(府の東)。もと嘉興縣の魏塘鎮巡檢司で、宣徳五年(1430年)三月に縣へ改めた。南に華亭塘河、東に魏塘河、東北に清風涇があってみな合流する。西北に分湖があって南直呉江縣と境を分ける。また北に章練塘の水があり、これも華亭塘河に合流して華亭縣の泖湖に達する。東北に風涇、西北に陶荘の二巡檢司があったが廃された。
  • 崇徳(府の西南)。元の崇徳州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。西北に運河があって徳清縣から流れ込む。東南に語溪(一名を語兒中涇、また沙渚塘)がある。また東北に石門塘の水があって東南は運河に接し、北は歸安の烏鎮に達する。
  • 桐鄉(府の西やや南)。宣徳五年(1430年)三月、崇徳縣の鳳鳴鄉に置いた。北に運河があって崇徳縣と境を接する。また爛溪があって北は呉江縣の鶯脰湖に達し、西は湖州府の潯溪に達する。北に阜林鎮巡檢司がある。
  • 平湖(府の東)。宣徳五年(1430年)三月、海塩縣の當堡鎮に置いた。東南に故邑山、南に雅山(俗に瓦山という)がある。また當湖が縣治の東にあり、下流は海塩の澉浦口から海に入る。その西を市西河といい、嘉興縣から流れ込んで當湖に入る。その分流のうち南へ出るものは縣の東南の乍浦から海に入り、北へ出るものは縣の東北の瀘瀝浦から海に入る。浦のかたわらに蘆瀝塩場がある。また北に東泖があり、すなわち華亭三泖の上流である。東に臼沙灣巡檢司があって廣陳を治所としたが、のちに縣の東南の獨山へ移った。また東南に乍浦鎮巡檢司があり、のちに梁荘へ移したが旧名のままとした。
  • 海鹽(府の東南)。元の海塩州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。南に秦駝山、長墻山、西南に鳳凰山、東北に湯山、また獨山があってもと塩場をここに置いた。東は海に臨み、防備塘があって洪武の初めに石で築き、南北あわせて四千八百丈。また東・西・南の三海口があり、そのうち西海口が縣の東北にあってとくに要衝である。東北に吕港があり、港口に塩場がある。西南に鮑郎市があって塩課司がある。東北に守禦乍浦千戸所、東南に澉浦守禦千戸所があり、いずれも洪武十九年(1386年)十月に置いた。城の東に海口巡檢司があってのちに砂腰村へ移り、南に澉浦巡檢司があってのちに秦駐山へ移ったが、いずれも旧名のままとした。

浙江 湖州府

  • 湖州府。元の湖州路で江浙行省に属した。太祖の丙午年(1366年)十一月に府として京師の直隸とし、十四年(1381年)十一月に浙江へ改隸した。州一・縣六を管轄する。布政司から南へ百九十里。
  • 烏城(附郭。烏程の誤りか)。北に卞山(また弁山という)、西南に石城山、南に峴山(本名を顯山)、西南に銅山(一名を銅峴山)がある。北に太湖があって南直の蘇・常二府の境に接する。東北に大錢湖・小梅湖の二口があり、府境の諸水はみなここから太湖に入る。また西に苕溪があって孝豐の天目の北側に発し、昆山の下を経て大錢湖口へ出る。また南に餘不溪(すなわち杭州境内の苕溪)があって徳清縣から府の南を経て流れ、王湖に集まり、また東北へ出て苕水に合わさる。またこれを霅溪という。東に後潘村巡檢司があってのちに南潯鎮へ移ったが旧名のままとした。東北に大錢湖口巡檢司がある。
  • 歸安(附郭)。南に金蓋山(また何山という)、また衡山、東に昇山(また烏山、一名を歐餘山という)がある。また運河が城の東にあり、苕溪・餘不溪の二水の分流を源として運河となり、東北へ南潯鎮を経て呉江縣境に入り、嘉興の運河と合わさる。また南へ烏鎮に出て、これを获港ともいい、東北で建河に接する。その支流は東南へ烏鎮に出て桐鄉の瀾溪に合わさる。また東に潯溪(餘不溪の支流)があって南潯を経て流れる。東南に璉市巡檢司、また西南に上沃埠巡檢司があったがのちに廃された。
  • 長興(府の西北)。元の長興州で、太祖の丁酉年(1357年)三月に長安州と改名し、壬寅年(1362年)に長興に復した。洪武二年(1369年)に縣へ降した。西北に顧渚山があって茶を産し、一名を西顧山、また呉望山という。東北に太湖があって南直宜興縣と中流を境として分ける。西に箬溪があって下流は太湖に入る。西南に荆溪があって東南へ苕溪に入る。東北に臯塘、西南に四安の二巡檢司がある。また西に合溪、南に和平の二巡檢司があったが廃された。
  • 徳清(府の南やや東)。東北に敢三山、東南に運河、また餘不溪(また霅溪といい、苕溪の別名)がある。東北に新市鎮巡檢司、また東に下塘巡檢司があってのちに五栁港口へ移り、また東に荷葉浦巡檢司があったが廃された。
  • 武康(府の西南)。東に封山(一名を防風山)、また禺山、西南に覆舟山、南に前溪、東北に後溪があって流れ込み、下流は徳清の餘不溪に入る。
  • 安吉州。元の安吉縣で、正徳元年(1506年)十一月に州へ昇格させた。西南に旧城があり、洪武中に今の治所へ移した。東南に白陽山があってもと錫を産した。西に苕溪、また龍溪(苕溪の支流)がある。東南に獨松關巡檢司、また遞浦巡檢司があったが廃された。府から東北へ二十里。縣一を管轄する。
  • 孝豐(州の西南)。成化二十三年(1487年)、安吉縣の地を割いて置き府に属させ、正徳二年(1507年)に州へ改属させた。南に天目山があって天目山巡檢司がある。また西南を金石山といい、天目のもっとも高いところである。また南に苕溪があって天目山に発し、これが苕溪の別の源である。また西に松杭巡檢司がある。

浙江 紹興府

  • 紹興府。元の紹興路で浙東道宣慰司に属した。太祖の丙午年(1366年)十二月に府とした。縣八を管轄する。布政司から西北へ百三十八里。
  • 山陰(附郭)。南に會稽山があり、その支山が雲門山。また法華山、西南に蘭亭山、西北に塗山がある。北は海に臨み三江口がある。三江とは、一に浙江、一に錢清江(すなわち浦陽江の下流。その上源は浦江縣から流れ込み、縣の西の錢清鎮に至って錢清江という)、一に曹娥江(すなわち郯溪の下流。その上源は嵊縣から流れ込み、東へ折れて北へ府の東の曹娥廟を経て曹娥江となる)。また西へ折れて北へ錢清江・浙江と合して海に入る。また西に運河があって蕭山縣から流れ込み、東南へ會稽縣を経、また東へ上虞縣境に入る。また南に鑑湖があり長さ十四、五里、俗に白塔洋という。若耶溪が合流する。また北に白水湖があってかたわらで運河に通じる。北に三江守禦千戸所が浮山の南にあり、洪武二十年(1387年)二月に置いた。また三江巡檢司が浮山の桃松荘にある。また西北に白洋巡檢司がある。
  • 會稽(附郭)。東南が會稽山で、その東は宛委・秦望・天柱の諸山に接する。また東に銀山・錫山があってもと銀砂および錫を産した。東南に若耶山、東に曹娥江、東南に平水溪があって南で剡溪に合わさる。東北に瀝海守禦千戸所があり洪武二十年(1387年)二月に置いた。また黄家堰巡檢司があってほどなく瀝海所の西へ移り、さらに上虞縣境の纂風鎮へ移ったが旧名のままとした。
  • 蕭山(府の西北)。西南に虎爪山、東南に龕山があっていずれも下は浙江に臨む。龕山のかたわらに小山があって鼈子山という。浙江が縣の西から東北へその中を流れ出て、東は大海に接する。またこれを海門という。東南に峽山があり、錢清江がその中を経て北へ折れ、東へ山陰縣境に入る。城の西に運河があって東は錢清江に接する。また湘湖がある。西南に漁浦巡檢司がある。また西に西興(また西陵という)があり、錢塘へ行く者はここから渡江する。
  • 諸暨(府の西南)。元の諸暨州で、太祖の己亥年(1359年)正月に諸全州と改め、丙午年(1366年)十二月に諸塈縣(諸暨の誤りか)へ降した。西南に新城が五指山の下にあり、太祖の癸卯年(1363年)に李文忠が築いたもの。西に長山、また五泄山、南に句乗山、また浣江(すなわち浦陽江。また青弋江という)がある。また西南に長清關、西に陽塘關の二巡檢司があったが廃された。
  • 餘姚(府の東北)。元の餘姚州で、洪武の初めに縣へ降した。南に新城があって縣城と江を隔てて相対し、姚江がその中を経る。南に四明山、北は海に臨む。姚江は縣の西南の太平山(一名を愛山)に発し、西北へ流れて上虞縣に至り、東北へ出て縣の南を経、また東へ慈溪の前江となる。東北に燭溪湖があって流れを引いて東横河となし、西に牟山湖があって流れを引いて西横河となし、いずれも姚江に注ぐ。また西北に臨山衛があり洪武二十年(1387年)二月に置いた。東北に三山守禦千戸所(一名を滸山)があり、これも洪武二十年(1387年)二月に置いた。また東北に三山巡檢司があって金家山上を治所としたが、ほどなく破山へ移った。北に眉山巡檢司があって眉山寨を治所としたが、ほどなく縣の西北の湖海頭へ移った。また廟山巡檢司があって廟山寨を治所としたが、ほどなく上虞縣境の中源堰へ移り旧名のままとした。
  • 上虞(府の東)。西北に夏蓋山があり、北は海を枕にし、南は夏蓋湖に臨む。西南に東山、東に覆巵山があって嵊縣境に接する。また東に通明江(すなわち姚江の上流)、また運河が縣治の前にある。また西北に白馬湖があって北は夏葢湖に接し、それに連なるものに上妃湖(また上陂湖という)があって流れを引いて五夫湖となし、東北へ餘姚の西横河に達する。また西に梁湖巡檢司があってもと梁湖を治所としたが、ほどなく百官市へ移り旧名のままとした。
  • 嵊(府の東南)。東に丹池山、東北に嵊山、北に嶀山、また清風嶺、西に太白山、南に剡溪があって天台の諸山に発し、下流は曹娥江となる。西に長樂鎮、西北に管解寨の二巡檢司があったが廃された。
  • 新昌(府の東南)。東に沃州山、東南に天姥山、また東に東溪があって天台山に発し西北へ嵊縣境に流れ込む。南に彩霞鎮、また豐□、また善政の三巡檢司があったがのちに廃された。

浙江 寧波府

  • 寧波府。元の慶元路で浙東道宣慰司に属した。太祖の呉元年(1367年)十二月に明州府とし、洪武十四年(1381年)二月に寧波と改めた。縣五を管轄する。布政司から西北へ三百六十里。
  • 鄞(附郭)。東に鄒山、西南に四明山があって周囲八百餘里。東に灌頂山があってもと鐵を産した。東南に阿育王山、太白・天童の諸山がある。東北は海に臨む。鄞江(一名を甬江)があり、東南に奉化江、西北に慈溪があってみな合流する。西南に小江湖、西に廣徳湖、東に東錢湖があってみな流れを引いて鄞江に入る。北に龍山守禦千戸所があり洪武十九年(1386年)十一月に置いた。東に甬東巡檢司があって甬東隅を治所としたが、のちに定海縣の東南の竹山海口へ移り旧名のままとした。また岱山、また螺峰の二巡檢司があったがのちに廃された。
  • 慈谿(府の西北)。元は慈溪といったが、永樂十六年(1418年)に溪を谿に改めた。西南に車廐山、東北は海に臨む。南に慈谿(一に前江という。すなわち姚江の下流)があり、藍溪・文溪の諸水がみな合流する。西北に鳴鶴塩課司があり、また□海衛も西北にあって洪武十九年(1386年)十一月に置いた。また松浦巡檢司があって浦東を治所としたが、ほどなく浦西へ移った。また向頭巡檢司があって向頭寨を治所としたが、ほどなく洋浦へ移り、廃され、のちに復した。
  • 奉化(府の南)。元の奉化州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。南に蓬雋山、また天門山、西北に雪竇山、北に奉化江(また北渡江、剡溪という)がある。東に市河、東北に越河があっていずれも南へ流れ込む。東に塔山、東南に鮚埼の二巡檢司がある。また公棠・連山・柵㠊・東宿の四巡檢司があったが廃された。
  • 定海(府の東北)。東に候濤山(一名を招寶山、一名を威逮城)があり、山麓に靖海城がある。いずれも嘉靖三十九年(1560年)に置いた。東北はみな海に臨み、海中に舟山・金塘山・蛟門山、また普陀落伽山、大謝山・小謝山がある。南に大浹江があってその上流はすなわち鄞江。分流して小浹江となり、あわせて海に入る。南に清泉などの塩場がある。また東北に定海衛があり、もと定海守禦千戸所で洪武十四年(1381年)四月に置き、二十年(1387年)二月に衛へ昇格させた。東南に穿山後千戸所があり洪武二十七年(1394年)九月に置いた。また霩衢守禦千戸所・大嵩守禦千戸所があり、いずれも洪武十九年(1386年)十一月に置いた。また舟山中右千戸所・舟山中左千戸所があり、もと元の昌國州で、洪武二年(1369年)に縣へ降し、二十年(1387年)六月に縣を廃して改置した。南に上岸・太平嶴、西に管界寨の二巡檢司がある。また西北に施公山、南に長山の二巡檢司があったがのちに廃された。また南に霞嶼巡檢司があってもと峙頭といい、□統(正統の誤脱か)の間に名を改め、のちに廃された。また舟山の東南に寶陀、西北に岑港、また舟山の東に岱山、西南に螺峰の四巡檢司があったがのちに廃された。
  • 象山(府の東南)。南に石壇山(また壇頭山という)があり、東・南・北の三面はみな海に臨む。その南に三蕚山(一名を三仙島)があっていずれも海中にある。南に玉泉塩場がある。また西南に昌國衛があり、もと昌國守禦千戸所で洪武十二年(1379年)十月に舟山に置き、十七年(1384年)九月に衛へ改め、二十年(1387年)に縣の南の天門山へ移し、二十七年(1394年)に縣の西南の後門山へ移した。またその西南に石浦守禦前後二千戸所があり、いずれも洪武二十年(1387年)に置いた。西北に錢倉守禦千戸所があり洪武十九年(1386年)十一月に置いた。西に爵溪守禦千戸所があり洪武三十年(1397年)十二月に置いた。北に陳山巡檢司があって陳山を治所としたが、ほどなく縣の東南へ移った。西に爵溪巡檢司があって姜嶼渡へ移り、南に石浦巡檢司があって青山頭へ移った。また東に趙□巡檢司があって寧海縣からここへ移った。いずれも旧名のままとした。

浙江 台州府

  • 台州府。元の台州路で浙東道宣慰司に属した。洪武の初めに府とした。縣六を管轄する。布政司から西北へ四百四十里。
  • 臨海(附郭)。西南に括蒼山(一名を真隠山)、また東南に海門山、金鰲山があっていずれも海に臨む。南に澄江(一名を靈江)があって天台・仙居の諸山の水を合わせ、黄巖縣に至って海に入る。また大海が東にあり、中に芙蓉山・高麗頭山がある。また杜瀆塩場がある。また海門衛も縣の東にあって洪武二十年(1387年)二月に置いた。その北が前千戸所で洪武二十八年(1395年)に置いた。東北に桃渚前千戸所があり洪武二十年(1387年)九月に置いた。東に蛟湖巡檢司があって海口の陶嶼へ移り、また連盤巡檢司があって海口の長沙へ移った。いずれも旧名のままとした。
  • 黄巖(府の東南)。元の黄巖州で、洪武三年(1370年)三月に縣へ降した。南に委羽山、東に大海、西北に永寧江(すなわち澄江の下流)がある。東南に塩場、また長浦巡檢司がある。
  • 天台(府の西南)。西に天台山、北に赤城山、また石橋山があっていずれも天台の支峰である。その絶頂を華頂峰という。また西南に始豐溪(すなわち澄江の上源)、東に栖溪があって鐵を産し、その東が甬溪。また西に胡竇巡檢司があったが廃された。
  • 仙居(府の西南)。西北に蒼嶺(すなわち括蒼山)、また永安溪があって下流はやはり澄江に合わさる。また西南に曹溪、東に彭溪があっていずれも永安溪に合流する。西に田寺巡檢司があったがのちに廃された。
  • 寧海(府の東北)。北に天門山、西北に龍鬚山があってもと銅・鐵を産した。東は海に臨み、東北に鄞江があって象山縣と境を接する。南に海游溪、寧和溪、また東溪があり、東に鐵砂があってこれを製錬して鐵とする。その流れは海に入る。また梅嶴鎮があってもと鐵場があった。また南に健跳千戸所があり洪武二十年(1387年)九月に置いた。東に越溪、また長亭、北に鐵場、南に曼嶴、東南に寶嶴の五巡檢司がある。
  • 太平(府の東南)。成化五年(1469年)十二月、黄巖縣の太平鄉に置き、樂清の地を割いて加えた。南に大雷山、西北に玉成山、西南に靈山があって玉環山に接する。東南は海に臨み、そこを大閭洋という。中に松門・石塘・大陳などの山がある。また東南に遷江(一名を新建河)があって縣の北に至り官塘河といい、北は黄巖縣に至り東へ海に入る。東に松門衛があり、もと松門千戸所で洪武十九年(1386年)十二月に置き、二十年(1387年)六月に衛へ昇格させた。東北に新河千戸所があり洪武十九年(1386年)十二月に置いた。南に隘頑千戸所、西南に楚門千戸所があり、いずれも洪武二十年(1387年)二月に置いた。また東に盤馬、西に二山、また蒲岐の三巡檢司がある。南に沙角巡檢司があってもと支頭山の下を治所としたが、のちに今の治所へ移った。西南に小鹿巡檢司があって楚門所の横山へ移った。のち西に温嶺巡檢司があったが廃された。

浙江 金華府

  • 金華府。元の婺州路で浙東宣慰司に属した。太祖の戊戌年(1358年)十二月に寧越府とし、庚子年(1360年)正月に金華府といった。縣八を管轄する。布政司から東北へ四百五十里。
  • 金華(附郭)。北に金華山、南に銅山があってもと銅を産した。城の南に東陽江(また婺港という)があって東陽縣から流れてここを経る。また南溪が縉雲縣から来て合わさる。そこを雙溪、また穀溪といい、合流して蘭谿に至り信安江と合わさる。
  • 蘭谿(府の西)。元の蘭谿州で、洪武三年(1370年)三月に縣へ降した。東に銅山があってもと銅を産した。西南に蘭溪(すなわち縠溪。また大溪という)があり、一つは衢州の衢港から、一つは金華の婺港から来て、西南の蘭陰山の下で合わさり、北へ嚴州境に入る。西北に平渡巡檢司、北に靈泉鄉・龍巖の二巡檢司があったがのちに廃された。
  • 東陽(府の東)。東南に大盆山があって東陽江が発し、縣の北を経てそこを北溪、また東溪という。西南に畫溪があって下流は義烏縣で流れ込む。東に永寧巡檢司、また東南に瑞山・玉山、南に興賢・仁壽の二巡檢司があったが廃された。
  • 義烏(府の東やや北)。南に烏傷溪(すなわち東陽江)がある。西に智者・同義鄉、南に□林・明義鄉、北に龍□鎮の三巡檢司があったが廃された。
  • 永康(府の東南)。東南に銅山があってもと銅を産した。南に南溪(また永康溪という)、また東に孝義寨、南に義豐鄉、東南に合徳鄉の三巡檢司があったがのちに廃された。
  • 武義(府の南やや東)。東北に永康溪、また茭道市、西に苦竹市、また北に白溪口市がある。
  • 浦江(府の東北)。西に深裊山があって浦陽江が発し、東へ流れて諸暨縣境に入る。東に楊家埠巡檢司があったがのちに廃された。
  • 湯溪(府の西南)。成化七年(1471年)正月、蘭谿・金華・龍游・遂昌の四縣の地を割いて置いた。南に銀嶺、西北に穀江(すなわち信安江)がある。

浙江 衢州府

  • 衢州府。元の衢州路で浙東道宣慰司に属した。太祖の己亥年(1359年)九月に龍游府とし、丙午年(1366年)に衢州府とした。縣五を管轄する。布政司から東北へ五百六十里。
  • 西安(附郭)。永樂二十二年(1424年)に越王府を建て、宣徳二年(1427年)に除いた。西に巖山、南に爛柯山、また爵豆山があってもと銀を出した。また西北に銅山があってもと銅・錫・鉛を出した。城の西南に衢江があり、その上源を大溪といって江山縣から流れ込む。また西溪(また信安溪という)が開化縣に発してここへ流れ、大溪と合わさる。そこを雙港口という。また東に定陽溪(一名を東溪)があって遂昌縣から流れ込み衢江に合わさる。西南に嚴利、東南に板固の二巡檢司がある。
  • 龍游(府の東)。東に龍邱山、北に梅嶺、また穀溪(すなわち衢江。一名を盈川溪)がある。また南に靈溪があって遂昌縣から縣の南の靈山の下を経て流れ、また東北で流れ込む。東に湖頭鎮巡檢司、また北に水北、南に靈山の二巡檢司があったが廃された。
  • 常山(府の西)。三衢山があり、東に常山(すなわち信安嶺)がある。北に金州(一名を馬金溪)があって開化縣から流れ込む。東に文溪があって江山縣から流れ込み金川に合わさり、信安溪の上源となる。北に下坑、東南に鎮平の二巡檢司があったが廃された。
  • 江山(府の西)。東南に江郎山、また仙霞嶺があって仙霞關がその上にある。城の東に大溪があって仙霞嶺の水が集まるところ。また西に文溪、南に東山巡檢司があってもと仙霞嶺の下を治所としたが、のちに□(底本欠字)嶺の上へ移った。また小竿嶺巡檢司があったが廃された。
  • 開化(府の西北)。金溪が城の東にあり、その源は一つは馬金嶺、一つは百際嶺に出て、城の北で合流して南へ流れる。すなわち金川の上源である。北に金竹嶺巡檢司がある。また西に雲臺、北に低坂、また馬全、南に華埠の四巡檢司があったが廃された。

浙江 處州府

  • 處州府。元の處州路で浙東道宣慰司に属した。太祖の己亥年(1359年)十一月に安南府とし、ほどなく處州府といった。縣十を管轄する。布政司から北へ七百三十里。
  • 麗水(附郭)。大溪が城の南にあり、一名を洄溪。龍泉縣からここを経て流れ、下流は永嘉縣に至って海に入る。また東に好溪(本名を惡溪)があって東南で大溪に達する。
  • 青田(府の東南)。西に大速雲山・小速雲山、南に南田山、また南溪(すなわち大溪。また青溪という)があって麗水縣から流れ込む。西南に小溪が合流する。南に淡洋巡檢司、また北に黄壇巡檢司があったが廃された。
  • 縉雲(府の北)。東に仙都山(また縉雲山という)、また管溪・官山がある。西南に馮公嶺(一名を木合嶺、一名を桃花隘)がある。また東に好溪があって縣の東北の大盆山に発し、管溪が東から合流する。また北に南源溪(また南溪という)があって下流は永康溪となり東陽江に入る。
  • 松陽(府の西)。北に竹喀嶺、西に松溪、南に竹溪があって流れ込み、下流は麗水縣で大溪に入る。また西南に浄居巡檢司があったが廃された。
  • 遂昌(府の西)。南に雙溪があって二つの源があり、縣の南で合流する。また東へ西明山を経て南で二つに分かれ、その一つは龍泉縣の大溪に入り、その一つは東溪となって松陽縣に入り松溪となる。北に馬步巡檢司がある。
  • 龍泉(府の西南)。南に匡山があって建溪の水が発する。南に大溪があって臺湖山に発する。また靈溪が縣の北から流れて合わさり、東へ雲和縣境に入る。南に慶元巡檢司があって査田市を治所とする。
  • 慶元(府の西南)。洪武三年(1370年)三月に廃し、十三年(1380年)十一月に再置した。西南に松源水があって南へ流れ福建に入り、松溪縣の松溪となる。
  • 雲和(府の西南)。景泰二年(1451年)、麗水縣の地を割いて置いた。南に大溪、西に黄溪があって流れ込み、東へ麗水縣境に入る。また西に七赤渡、東に石塘隘がある。
  • 宣平(府の北)。もと麗水縣の鮑村巡檢司で、景奉三年(景泰三年〈1452年〉の誤りか)に縣へ改め、巡檢司を縣の後陶へ移して旧名のままとしたが、ほどなく廃された。西北に礱坑山があってもと銀を産した。南に玉岩山、また會髙山があって鉱を産する。また南に虎蹐溪があって麗水縣の大溪に合流する。
  • 景寧(府の南)。景泰五年(1454年)、青田縣を割いて置いた。南に敕木山、東に礦坑嶺、西に彪溪、東北に大滙灘があり、下流はみな青田縣の大溪に注ぐ。北に沐溪巡檢司があって縣の南の大漈へ移ったが旧名のままとした。また西に盧山巡檢司があったがのちに廃された。東に龍首關、また龍滙關・白鹿關があり、いずれも嘉靖中に置いた。

浙江 温州府

  • 温州府。元の温州路で浙東道宣慰司に属した。洪武の初めに府とした。縣五を管轄する。布政司から西北へ八百九十里。
  • 永嘉(附郭)。西に㞴岡山、また鐵場嶺、南に大羅山があり、東は海に臨む。また永寧江が城の北にあり、一名を甌江、一名を永嘉江という。蒼括の諸溪から□(底本欠字)合流して府境に流れ込み、また東へ海に注ぐ。江中に孤嶼山があって北岸の羅浮と相対する。また西北に安溪、東北に楠溪があっていずれも□江に注ぐ。城の西南に會昌湖がある。東に寧村守禦千戸所があり洪武二十年(1387年)二月に置いた。東南に中界山巡檢司があってのちに縣の東の永昌堡へ移った。
  • 瑞安(府の南)。元の瑞安州で、洪武二年(1369年)に縣へ降した。正徳六年(1511年)五月、縣城を旧城の西、海を去ること三丈五尺の地へ移して湖の害を避けた。西に陶山、北に帆游山がある。城の南に安陽江があって福建政和縣および青田縣境に発し、合流してここに至り瑞安江(また飛雲江という)という。渡し場に飛雲關があり、東は海口に接する。また縣の東の海岸の中に鳳凰の諸山がある。また縣の東北に海安守禦千戸所、縣の東南に沙園守禦千戸所があり、いずれも洪武二十年(1387年)二月に置いた。東に東山巡檢司があり、もと梅頭といって梅頭塞を治所としたが、のちに移して名を改めた。
  • 樂清(府の東北)。東に北雁蕩山があり、南は海に臨む。玉環山が海中にある。また西北に制溪、また縣治のかたわらに東西の二溪、西南に舘頭江、西に象浦河、東北に石馬港があって下流はみな海に達する。長林塩場がある。また西に盤石衛があり洪武二十年(1387年)二月に置いた。東に盤石守禦後千戸所があり成化五年(1469年)に置いた。東北に蒲岐守禦千戸所があり、これも洪武二十年(1387年)二月に置いた。西に舘頭巡檢司があって縣の西南の岐頭寨へ移り、のちに復した。東南に北監巡檢司があって玉環山の下を治所としたが、ほどなく縣の東北の蔡嶴へ移り、また縣の東の白沙嶺へ移り、また鶚頭へ移り、また窑嶴山の下へ移ったが旧名のままとした。
  • 平陽(府の西南)。元の平陽州で、洪武三年(1370年)に縣へ降した。西南に南雁蕩山、玉蒼山がある。また東南の海中に大巖頭山、南麂山がある。また西に前倉江(また横陽江という)があって東南へ江口關を経て海に注ぐ。南に天富南塩場がある。また南に金鄉衛、蒲門守禦千戸所、東北に壮士守禦千戸所があり、みな洪武二十年(1387年)二月に置いた。東南に舥艚、また斗門の二巡檢司がある。南に江口巡檢司があって下埠を治所としたが、のちに渡頭へ移った。また東に仙口巡檢司があって縣の南の麥城山へ移ったが旧名のままとした。また東南に□峰巡檢司があったが廃された。
  • 泰順(府の西南)。景㤗三年(景泰三年〈1452年〉)、瑞安縣の羅陽鎮に置き、平陽縣の地を割いて加えた。南に分水山があってその上に關があり、浙關の分界するところである。また西に白溪があって下流は福建寧徳縣に至って海に入る。また東に仙居溪があって瑞安の境内へ流れて海に入る。北に池村巡檢司、南に三冠巡檢司(もと洋望といい、のちに名を改めた)、東南に鴉陽巡檢司があったがのちに廃された。また羅陽第一關が縣の東にある。