民國演義軍餉を籌し捐官の法を恢復し、内応を結ぶは端に美人の兵に頼る(第一六○回 籌軍餉恢復捐官法 結內應端賴美人兵)

呉佩孚の軍費調達と閣内対立

  • 洛陽の呉佩孚は直奉再戦を見越して練兵と軍費蓄財に努め、内閣に軍費調達を厳しく督促していた。
  • 国務総理孫宝琦と財政総長王克敏はもとより不仲で、政務のたびに衝突を重ねていた。王克敏は保定派の中心人物として洛陽に取り入り財政総長の座を確保していたが、孫宝琦は自派の潘復・趙椿年らを起用しようとする。府方の王毓芝・李彦青の強い後押しでかろうじて王克敏は留任した。

王克敏への攻撃と閣内の暗闘

  • 王克敏はこの一件に激怒し、孫宝琦への対抗を公言する。孫宝琦は津派の議員・呉景濂らを使い、金仏郎案を口実に王克敏弾劾・査弁の動きを起こさせる。
  • 一方、王克敏と同じ保定派の程克(内務)・呉毓麟(交通)、及び関係の深い顧維鈞(外交)・顔恵慶(農商)らは、閣議で孫宝琦の議案に反対して政策を妨害し、対抗する。

閣僚たちの雑談(七姑太太をめぐる場面)

  • 程克が新たな資金調達策を思いつき、王克敏邸を訪ねる。そこには呉毓麟・顔恵慶・顧維鈞、そして王克敏の妹・七姑太太が居合わせ、軽口を叩き合う和やかな一幕がある(吳毓麟が痰壺に躓いて転倒する滑稽な場面など)。

特別関税会議と二五附加税の頓挫

  • 話は財政問題に戻り、顔恵慶は二五附加税が実現すれば年二千四百万元の収入が見込め、公債発行の担保にできると説く。しかし金仏郎案が未解決のため会議開催は難航しているとされる。
  • 顧維鈞はワシントン会議(華府条約)の規定上、条約発効後三か月を経ねば特別関税会議を開けず、しかもフランスが金仏郎案未承認を理由に条約批准を渋っていると説明。
  • 王克敏は金仏郎案を承認せざるを得ないと考えるが、孫宝琦が国民向けの人気取りにこれを口実として利用しているため、身動きが取れず苦慮している。
  • 一同は先に予備会議の開催を各国に打診することとし、顧維鈞が照会文を起草する。しかし各国は本国の訓令を理由に召集を拒否し、この試みも空振りに終わる。

捐官(売官)制度の復活

  • 程克が「義賑奨励章程」を援用し、義捐一万元以上の寄付者に簡任・荐任の官職を与える名目で資金を集める案を提案。表向きは売官ではないとして押し通すことになる。
  • 内務部が章程改正を上申するが、世論の反発を受けて法制局は当初「緩議」とする。程克は文言を「特別奨励」と言い換えて再申請し、今度は許可が下り、清朝時代の捐官制度が事実上復活する。この件は孫宝琦の知るところとなり、彼はこれを激しく攻撃、王克敏・程克との対立は一層深まる。

江浙戦争をめぐる調停の試みと「美人計」の噂

  • 江蘇・浙江の開戦が迫る中、孫宝琦は浙江の同郷からの陳情を受け、呉佩孚に停戦を求める電報を打とうとする。幕僚は「打っても無駄」と諫め、その根拠として一つの噂を語る。
  • 噂とは、呉佩孚が浙江省警務処長・夏定侯(内応の専門家)を寝返らせるため、王克敏の妹・七姑太太を使って夏定侯に接近させ、色仕掛け(美人計)で懐柔しているというもの。幕僚は七姑太太が夏定侯を巧みに口説き、出世への野心を煽って寝返りを引き出す様子を、伝聞として面白おかしく語って聞かせる。
  • 孫宝琦は笑いながらも「事実か疑わしい」としつつ、それでも停戦電報の起草を求め、幕僚は渋々応じて洛陽の呉佩孚に電報を送る。

呉佩孚の返電と開戦

  • 一週間後に届いた呉佩孚の返電は、盧永祥・何丰林が抗命し江蘇に兵を出したことを非難し、彼らが自ら兵を引いて罪を認めれば別だが、そうでない限り応じられないという強硬な内容だった。
  • 翌日には黄渡・瀏河・長興などで両軍が接触し、和平調停の声はかき消される。奉天も浙江に呼応して関内進出の構えを見せ、呉佩孚も応戦準備を進める中、東南の開戦から十日後には奉直両軍も朝陽方面で接触するに至る。

評語

本回は前回の江浙戦争と同時期の出来事であり、両者は関連するため補記として記す。革命の当初の理念は民と共に再出発することにあり、そのためにはまず秕政(弊政)を除くべきであるのに、清朝が行った売官の悪弊を民国政府までもが繰り返すとは、飲鴆止渇(毒をあおって渇きを癒す)に等しい下策である。堂々たる内閣・総統がこれを恥じずに行うのだから、仕官の道が乱れ、競い合う者が増えるのも当然である。「器と名とは人に仮すべからず(官職や称号はみだりに人に与えてはならない)」というが、名器をこれほど軽んじる政府に、なお国事を語る資格があろうか。とはいえ、そもそもその総統・閣僚たちは、いかなる資格でその高位に就いたというのか。「己身正しからずして人を正す能わざる者は、未だこれ有らざるなり」との言葉の通りである。