民國演義第九十九回 首選に応じ宣言書を発表し、外債を借り軍政府に勧告す (應首選發表宣言書 借外債勸告軍政府)
徐世昌の就任
- 民国七年十月十日、建国七周年の記念日に徐世昌は正式に大総統として就任し、歴代と同様の儀式・誓詞をもって式典が行われた。秘書長が代読した就任宣言書では、自らを国民の推挙により固辞しきれず就任したと述べ、南北統一を第一の課題とし、和平を尊重しつつも和平が成らねば武力に訴えざるを得ないとの認識を示した。あわせて民生主義に基づく実業振興、治安回復と財政・金融の整理、参戦国としての責務、そして道徳・法律の尊重による綱紀の立て直しを国民に呼びかける内容だった。
- 段祺瑞は主戦策が実を結ばず、かねて馮国璋と共に下野すると宣言していた手前、正式に辞表を提出した。徐総統は慰留の姿勢を見せつつも受理し、内務総長銭能訓が国務総理代理となった。段は参戦督弁の職のみ留任し、参戦事務に専念することとなった。
対露干渉とチェコ軍団の承認
- 徐政権発足直後、ロシアでは過激派(ボリシェヴィキ)新政府と、これに従わない極東総司令セミョーノフの旧派軍とが交戦し、セミョーノフ軍は敗走してモンゴル方面への退却を図った。庫倫(ウルガ)駐在の陳毅からの要請を受け、徐政権は黒竜江・吉林両省軍とチャハル特別区の守備隊を国境防備に派遣した。
- また、シベリアで独墺の捕虜が騒擾を起こす中、これに対抗して自主的に組織されたチェコスロヴァキア軍団(総司令ガイダ)が協約国に援助を求め、各国はウラジオストクへ派兵していた。中国も参戦国として派兵を計画し、日本の承諾を得て南満州鉄道経由で第九師の一部を先発させるとともに、チェコ軍を独墺との正式な交戦団体として承認する宣言を発した。宣言はチェコ民族の独立志向への同情を示し、中東鉄道経由の協力を認め、チェコ国民委員会を交渉相手として承認する内容だった。
南方への和平呼びかけ
- 徐総統は銭能訓代理総理以下各部総長の連名で、南方軍政府に対し休戦・和平を求める通電を発した。内戦による国土の疲弊と、欧州大戦終結後に迫る東アジア情勢への対応の必要を説き、軍政・財政・人事の問題は開誠布公に協議し、法律論争は後回しにして、まず事実に即して紛争を解くべきだと訴えるものだった。
欧州大戦の終結
- 本編はここで欧州大戦の経緯を要約する。独墺がセルビアとの開戦を機に開戦し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は緒戦で優勢に立ったが、英仏露に加え日・伊・米など二十数か国が次々と参戦したことで独墺は孤立し、劣勢に転じた。英外相バルフォアが下院に提出した参戦国一覧(ロシア・フランス・ベルギー・イギリス・セルビア・モンテネグロ・日本・ポルトガル・イタリア・ルーマニア・アメリカ・キューバ・パナマ・ギリシャ・シャム・リベリア・中華民国・ブラジル・ハイチ・グアテマラなど、宣戦の年月とともに)が紹介される。
- ドイツに従ったのはトルコ・ブルガリアの二国のみで、四年余りにわたり独軍は単独で連合国二十数か国と互角に渡り合ったが、米国が潜水艦作戦への抗議を機に参戦したことで戦局は決定的に不利となり、ブルガリア・トルコの降伏、オーストリアの休戦要請が続いた。ドイツ国内でも社会党による革命が起こり、ヴィルヘルム二世父子はオランダへ亡命、大戦は終結した。連合国は米大統領ウィルソンを中心に講和会議を開くこととなり、時期はちょうど徐世昌の総統就任と重なっていた。
評語
- 歴代の新総統は就任にあたって必ず抱負を語るものだが、その言葉が実行を伴うかどうかは行いを見て初めて分かる。欧州大戦の経緯自体は本書の主題ではないが、絶交・参戦、ロシアの内乱の余波、モンゴルへの波及など中国に関わる限りにおいて大要を記した。独墺敗北の要因を簡にして漏らさず記したのも、こうした苦心によるものである。