民國演義第九十八回 総統に挙げて徐東海当選し、別言を申べ馮河間下台す (舉總統徐東海當選 申別言馮河間下台)

広東軍政府の対抗通電

  • 広東軍政府も馮国璋の通電に応じる形で通電を発し、副総統としての代理は法に基づき承認するが、北京の非法な国会が総統を選出することは護法の立場から一切認めないと表明した。

段祺瑞の下野宣言と徐世昌擁立

  • 南北双方から阻まれた段祺瑞は、無理に総統選挙へ立候補する意義が薄いと判断し、馮国璋とともに下野すると表明した。徐樹錚らはなお段の擁立を図ったが、段は固く固辞した。
  • 馮も段も退くとなれば後継が定まらないため、徐樹錚は梁士詒・王揖唐らと密議し、天津に寓居する元清朝内閣協理大臣・袁世凱政権下の国務卿であった徐世昌を候補に定めた。
  • 徐世昌の経歴が語られる。文官の出でありながら前清の総督・軍機の要職を歴任し、軍人層からも重んじられ、天津寓居中も中央の政情に絶えず関与する重鎮であった。段派は南北対立の収拾と自派勢力の保持を狙い、徐世昌擁立を進めた。
  • 新国会は王揖唐を衆議院議長に選び、総統選挙会を組織、民国七年九月四日に投票が行われ、徐世昌は出席議員四百三十六名のうち四百二十五票を得て当選した。副総統選挙は定足数に達せず延期されたまま棚上げにされた。

徐世昌の辞退と就任

  • 徐世昌は当選を受けてただちに承知はせず、自らの老齢や非才を理由に辞意を示す通電を発し、国政の困難な現状を憂えつつも一旦は固辞する姿勢を見せた。
  • しかし新国会は重ねて出馬を要請し、任期満了を控えた馮国璋も改めて丁重な文面で就任を懇請、段祺瑞も勧進の書を送った。黄河・長江流域の各督軍・省長も一斉に擁立の電報を送った。
  • 一方、広東軍政府の岑春煊・伍廷芳は連名で徐世昌に電報を送り、非法国会による選挙を批判し、法にのっとらぬ地位に就くべきでないと強く諫めた。しかし多くの省が賛成する中で広東だけの反対では大勢を動かせず、徐世昌は各方面からの勧進を受け入れ、「息事寧人」を掲げて上京・就任を決めた。
  • 馮国璋は民国七年十月七日、任期中の経緯と時局への所感を長文の通電で表明した。兵禍の由来や自らの至らなさを述べつつ、南北双方に和平への回帰を呼びかける内容だった。もっとも、退任にあたっては総統府の貴重な物品を私的に持ち去ったとも伝えられ、江蘇督軍時代からの蓄財癖が改めて取り沙汰された。

評語

  • 民国成立以来、強力な指導力を発揮した大総統は袁世凱のみであったが、その袁も武人を養い自ら勢力を築いた末に武人の手で失脚した。黎元洪は凡庸さゆえに、馮国璋は貪欲さゆえに信望を失い、文武を兼ねた声望を持つ徐世昌ならばと期待されるが、徐は本来武人ではなく、腹の内を明かさぬ人物でもある。岑春煊・伍廷芳の反対電はすでに南北不統一の予兆であり、加えて安福派が周囲を取り巻いて彼を傀儡に仕立てようとしている以上、この地位を平穏に保つのは容易ではあるまい。老練な徐世昌がなぜ栄爵に心動かされて登壇したのか、疑問が残る。