民國演義第六十七回 帝制を撤除し洪憲銷沈し、皇恩を悵断し群姫環泣す (撤除帝制洪憲銷沉 悵斷皇恩群姬環泣)

康有為(とみられる人物)の書簡と徐世昌の来訪

  • 老袁は「総統老弟」と呼びかける長文の書簡を受け取り困惑する。内容は袁の失政を列挙し、進退の三策(退位して身を引く・帝号のみ返上する・王莽や董卓の轍を踏むか)を説くものであった。
  • 徐世昌が来訪、財政窮乏を確認したうえで共に書簡を読み、帝制存続の可否を問う。徐は段祺瑞を頼るべきと勧め、袁が自ら請うても段は応じないため、徐が代わって説得に赴く。

帝制取消の決定と詔書起草

  • 段祺瑞は帝制取消を条件に協力を約束する。翌日の会議で袁は取消を表明、大方は反対しないが一部側近は面目を憂慮する。
  • 徐世昌・王式通らが詔書を推敲し、袁自ら失政を認めて帝位承認案を撤回する旨の詔(民の困窮と自らの不徳を悔いる文言を含む)がまとめられる。

克定の反対と後宮の嘆願

  • 印刷に回した直後、袁克定から帝制継続を説く長文の書簡が届き、袁は再び動揺する。
  • 後宮に呼ばれると、皇后・洪姨ら妃嬪一同が取消の撤回を涙ながらに懇願、いったんは詔稿を回収させるが、翌晩、徐世昌が「取消さねば辞去する」と迫ったため、翌日改めて印刷を命じる。

帝制廃止の正式発表

  • 3月22日、帝制取消の命令が正式に頒布される。洪憲年号を廃して民国五年に復し、皇帝呼称を禁止、公債名称を変更するなどを定める。徐世昌が国務卿に復帰、善後三条(各国への通知、国民への告示、推戴文書の焼却)を決定する。
  • 立法院は帝制派の欠席で紛糾しつつ、君主立憲案の取消などを議決する。袁は宮中の帝制関連文書840通あまりを焼却、御用品もほぼ廃棄する(「万歳牌」のみ袁乃寛が惜しんで残す)。民国4年12月末から5年3月22日までの83日間の帝制騒動はここに終わる。

評語

徐世昌・段祺瑞は袁個人への恨みよりも帝制反対の立場から動いたにすぎず、袁が取消を命じたことで両者は再び袁のもとに戻った。袁克定の諫言には先見の明があったが、四面楚歌の情勢下では焼け石に水であったとし、帝制を続けても取消しても袁の破滅は避けられなかったと評す。後宮の嘆願は大局を解さぬ浅慮に過ぎないとしつつ、この一幕に袁の死期の予兆を見出している。