民國演義第六十四回 暗に刺し明に譏り馮張解体し、功を邀め寵を争い川蜀に鏖兵す (暗刺明譏馮張解體 邀功爭寵川蜀鏖兵)
馮国璋・張勲への懐柔工作
- 江寧将軍馮国璋が上京を拒み続けるため、袁世凱は蔣雁行を派遣し行軍総司令就任を打診するが、馮は「昨年総統自身が帝制を否定したはずだ」と皮肉り、病気を理由に固辞する。王廷楨による代理が決まるが、山東・江西将軍らの反対で撤回される。
- 袁は佐命の功臣阮忠樞を徐州の張勲のもとへ派遣する。張勲は寵姫王克琴らとの宴席で歓待しつつも、帝制批判の四箇条(長子克定の専断、贛寧の乱後の失政、雲南の内乱による同胞相討ち、宣統帝への不忠)を率直に語り、出兵要請をやんわりと拒否する。
川湘への大量増派
- 袁世凱は臨時軍務処を新設し、張勲・倪嗣衝ら各省軍への出兵命令を発するが、多くは防務を理由に応じず、結局は直隷・山東・河南での募兵に切り替える。
- 正月中旬から三月上旬にかけ、曹錕・張敬堯・李長泰・馮玉祥ら約十万の袁軍が四川・湖南に集結する。
- 蔡鍔は寡兵ながら劉雲峰・趙又新・顧品珍らに応戦させるが衆寡敵せず後退し、永寧に籠って持久戦に転じる。
- 曹錕軍は綦江・敘州・瀘州を制圧し優勢に転じるが、湖南方面へ進撃を急いだ馬継増が出陣前夜に急死する。
評語
- 著者は、馮国璋・張勲がいずれも袁への不満を隠さなかったことを指摘し、袁の腹心すら離反する中で川湘の十万の軍がどこまで忠誠を尽くせるか疑わしいと評し、一時の勢いの強弱は全体の成否を決するものではないと結ぶ。