民國演義第五十八回 紀元を慶し夫人宴を鬧し、正朔に仍り唐都督師に誓う (慶紀元於夫人鬧宴 仍正朔唐都督誓師)
登極延期の相談
袁乃寛は雲南の反乱を理由に改元・登極を早めるよう進言するが、袁世凱は外交面への影響を懸念し、まず改元だけを行い正式な登極は先送りすると決める。大晦日になっても登極の気配がなく、群臣は落ち着かないまま、夕刻になってようやく「民国五年を洪憲元年に改める」との申令が発せられた。
除夕の宴と袁家一族
その夜、総統府では恒例の年越しの宴が開かれ、候補皇妃・皇子・皇女らが勢揃いした。語り手はここで袁家の妻妾14人、子15人、娘14人の出自・経歴を一人ずつ列挙して紹介している。
于夫人と袁の衝突
宴に遅れて現れた正室・于夫人を袁が叱責すると、于夫人は「皇帝になってもいないのに威張るな」「清朝の厚恩を受けながら退位を迫り帝位を狙うとは祖先に顔向けできまい」と激しく言い返し、二人は取っ組み合い寸前の大喧嘩となる。周囲の妃たちの仲裁でどうにか収まったが、于夫人は憤然と席を立ち、座は白けたまま終わった。
即位の茶番
その後、洪姨(六番目の妾)らの計らいで、泥酔して眠り込んだ袁に龍袍を着せ、寝ぼけたまま輿に乗せて居仁堂へ運び込む。目を覚ました袁は、居並ぶ官僚と「皇帝万歳」の声に驚くが、寝ぼけ半分のまま「まだ吉日を選んでいない」と述べて正式な着座を拒み、その場を収めた。奥へ戻った袁は、洪姨らから重ねて即位を勧められ気を良くし、総統府を「新華宮」と改称するなど帝制の体裁を整える指示を下した。
雲南軍政府の成立と唐継堯の誓師
同じ民国五年元日、雲南では軍政府が成立し、唐継堯が都督に推された。趙蕃らの通電により、袁の背信によって総統資格を失ったことと、雲南が民国の正朔を守り唐継堯と生死を共にする決意が全国に示された。唐継堯は蔡鍔・李烈鈞らを率いて校場で祭祀を行い正式に誓師し、袁世凱の帝制を「民を軽んじ君を重んじる」暴挙と断じ、共和を守り抜く決意を表明する誓文を読み上げた。誓文の後、全軍と集まった住民が「民国万歳」を三唱し、気勢は大いに上がった。
評語
語り手は、于夫人の激しい叱責は多少の私情はあれど清朝への恩義という筋の通った正論であり、袁がまともに言い返せなかった点を指摘する。妻にすら信を得られなかった袁の「民意の捏造」がいかに空虚であったかを強調し、居仁堂で三度も座を巡って結局着座できなかった様は、于夫人の言葉に気勢を挫かれた証だろうと評す。一方で洪姨の甘言で再び野心が膨らみ、次々と改制の命令を出す様子を「憤ろしくもまた哀れ」と評している。また、雲南の唐継堯の誓師をこの回にあえて挿入したのは、洪憲改元後も民国の正朔は雲南護国軍が正しく継承しているのだという含意があると付言する。