民國演義第五十六回 内廷に賄い大典を承辦し、宮眷に結び女官の長に入る (賄內廷承辦大典 結宮眷入長女官)
帰郷させられた国民代表たち
即位は民国5年1月1日と発表され、各地から集まった官吏・商人・国民代表たちは恩賞や利権を期待して北京の歓楽街で連日豪遊した。ところが政府は突如、代表たちを故郷へ帰すよう命令を下す。すでに旅費を使い果たし借金まで背負っていた代表たちは帰る旅費もなく困窮し、結局楊度・孫毓筠らが国民会議局から二万元を工面して一人百元ずつ配り、ようやく体裁だけ整えて帰郷させた。飲食店などへの借金は未払いのまま残された。
即位前夜の一連の勅令
帝位確定後、12月13日から23日にかけて多数の申令・策令が矢継ぎ早に発せられた。造言者の厳罰方針、黎元洪の武義親王封拝(黎は固辞するも却下)、清室優待条件の永続、溥倫の参政院院長就任、立法院議員選挙の準備、政事堂組織の改正(清朝の内閣制度に類似)、蒙古王公への褒賞、馮国璋の参謀総長任命、旧臣への称臣不要の指示、徐世昌ら四人を「嵩山四友」とする厚遇、龍済光・張勛・馮国璋ら多数への爵位(公・侯・伯・子・男)授与、趙秉鈞・徐宝山への追封、太監制度の廃止と女官制度への転換など、内外への懐柔と締め付けが同時に進められた。
大典籌備処の内幕
大典籌備処は国庫を使わず、まず袁の妻妾たちの私財から出資させる形で発足した。二姨太黄氏・三姨太何氏の呼びかけで妻妾・子女合わせて四十数万円が集まったが、正室の于夫人と次子克文・三女淑順は賛同しなかった。処長の座を狙った袁の甥・袁乃寛は、二人の姨太に多額の賄賂を贈って推薦を取り付け、処長に就任する。乃寛は龍袍(皇帝の礼服)を老舗呉服店「瑞蚨祥」に発注し、店側から裏で謝礼を受け取る取引を交わした。予算不足に陥ると、店に立て替えさせたり、袁の腹心(財神爺と呼ばれる人物)から五百万円の融資を引き出したりして急場をしのいだ。融資の見返りに、袁は即位後の首相職を約束したという。
安静生、女官長に収まる
太監に代わる女官制度の新設を知った婦女請願団の団長・安静生は、女学校長の肩書も添えて自ら売り込みをかけた。皇妃たちに巧みに取り入って歓心を買い、ついに袁本人にも謁見を許されて侍従女官長に任命される。安静生は定員120人の女官募集規程を八条にまとめ、応募者から報名料・入宮費を徴収するなど私腹を肥やす仕組みを作り上げ、俸給の中間搾取や経費の水増しでも利益を上げた。皇妃たちは彼女の如才なさを重宝し、袁も彼女を人を見る目のある証と自賛した。
評語
語り手は、この回で扱った即位前の諸政令はいずれも公然と発表されたもので目新しくないとしつつ、袁乃寛の籌備処長就任や安静生の女官長就任のような宮廷内部の裏取引こそ世に知られていない実態であると述べる。二人とも「内線」に食い込むことで地位を得たに過ぎず、袁がもし短命に終わらなければ、こうした内寵・外寵が積み重なって国を滅ぼしかねなかったと結んでいる。