民國演義第五十三回 五公使、外交部に警告し、両刺客、鎮守官を撃斃す (五公使警告外交部 兩刺客擊斃鎮守官)

蔡鍔、総統府へ弁明

蔡鍔は総統府に呼ばれ、家庭の騒動には触れられぬまま経界局の人事について協議する。袁は国民代表大会の進捗を問い、雲南が最も遅れていることに触れ、蔡鍔に唐継堯・任可澄への催促を促す。蔡鍔はこれを口実に密電を打ち、実は「帝制将成、速即籌備」の言葉に兵備を整えよとの真意を託し、腹心・王伯群を雲南に送って挙兵を促した。

徐世昌の退避と選挙工作の強化

徐世昌は老病を理由に休暇を得て天津へ退く。国務卿は陸徴祥が兼任し、各省へ国民代表選挙・国体投票の日程を厳しく督促する電文が相次いで発せられた。投票用紙には「君主立憲」の文字をあらかじめ印刷し、賛否のみを書かせる方式や、推戴電文の文言まで中央側で用意する周到な不正工作の指示が発せられた。

列強の警告

日・英・露に続き仏・伊も外交部に警告を寄せ、帝制断行が内乱を招く恐れがあるとして自制を求めた。外交総長・陸徴祥、次長・曹汝霖は当初帝制に否定的な発言をして袁の不興を買っていたが、袁からは「外交は心配無用」と告げられていた。ところが実際には日・英・露の代理公使らが揃って外交部を訪れ、正式な警告文を手渡す事態となった。陸徴祥は「国体はなお国民の決定を待つもの」と弁明したが、皮肉を交えて詰問された。袁は動じず、内政不干渉を盾に婉曲な回答文を作成させ、各国に「国民の総意に従うのみ」と応答した。列強はひとまず静観の構えを見せる。

鄭汝成暗殺

各省の投票は政府の意のままに進み、袁は上機嫌であったが、十一月十日夜、上海鎮守使・鄭汝成が日本大正天皇即位祝賀のため日本領事館へ向かう途中、外白渡橋で刺客に襲われた。投じられた爆弾はいずれも外れたが、随行の副官らが射殺され、鄭汝成自身も乱射を受けて絶命した。犯人の王明山・王曉峰はその場で逮捕され、取り調べに対し「鄭汝成は袁に阿り良民を害した人物であり、四万万の民に代わって討った」と述べ、それ以上は口を割らなかった。両名は上海高昌廟で銃殺され、鄭汝成には手厚い恩賜と一等侯爵の追贈がなされた。

(詩:鄭汝成の非業の死を悼む内容)

事件の数日後、東京でも籌安会東京支部の蔣士立が銃撃を受け負傷したとの報が届いた。

評語

列強の警告は帝制が内乱を招くことを理由とするが、これを最初に主導したのは密約を結んでいたはずの日本であった。各国は日本に警告を先導させ、それに追随する形で干渉の実を挙げたに過ぎず、これは列強外交の巧妙さを示す。鄭汝成暗殺の黒幕は明言されないが、民党の仕業と見るのが自然であり、袁自身が刺客を放ったとの説は根拠が薄いとしつつも、忠臣鄭汝成の末路は、賢臣が主君を選ぶべき理を物語るとする。