民國演義第四十三回 榻前会議に辱を忍び詞を陳べ、最後通牒に威を恃み恫嚇す (榻前會議忍辱陳詞 最後通牒恃威恫嚇)
政府の弥縫と条項ごとの交渉
- 十九省将軍らの拒約電に対し、袁総統は「公理を尽くせば解決する」といった趣旨の返電を送る一方、各将軍には「軍人は軍事に専念せよ、外交に口を出すな」と釘を刺す訓令も発し、実態を隠したまま「和平に近づいている」とだけ伝え続けた。
- 三月九日の第八回会議以降、条項ごとの逐条協議が始まる。陸徴祥は山東問題(第一号)について欧州大戦後の講和会議での決定を求め、青島返還を対価とすることを条件にしたが、日置益は用兵の損失を理由に難色を示した。南満洲・東部内蒙古(第二号)では、旅順・大連や南満鉄道の期限延長は前例があるとしつつ、安奉鉄道の延長には抵抗したが、日置益は「兵力に訴える」とまで恫喝し、陸徴祥はやむなく譲歩を重ねた。
- 内地雑居・土地所有権を求める日本側に対し、曹汝霖は「雑居するなら領事裁判権を撤廃せよ」と切り返すなど応酬が続いたが、鉱業権・借款優先権・顧問任用・吉長鉄道借款などで次第に押し切られていった。漢冶萍公司(第三号)は国有化・第三国資本導入をしない旨の確認に留め、第四号・第五号は原則拒否の姿勢を貫いた。
増兵と榻前会議
- 交渉が難航する中、日本は山東・奉天へ増派し海軍も動員する構えを見せ、袁政府は動揺した。折しも日置益が落馬して負傷し、床に伏したまま会談を続ける「榻前会議」が行われる屈辱的な場面もあった。日置益は第一号の一部容認と引き換えに第二号の全面承認を求め、雑居日本人の警察管轄や土地の永租権などでなお強硬な姿勢を崩さなかった。
- 四月に入っても南満洲雑居問題は解決せず、日置益は第五号の受諾も重ねて要求。陸徴祥は「軍備は条約で縛れない」などと述べて応じなかったが、東部内蒙古の通商港開放では一部譲歩する。二十四回目の会議で日置益は「これ以上は話にならない」と一方的に切り上げた。
日本側修正案の提示
- しばらく中断した後、四月二十六日、日置益は日本政府の修正案を持参して外交部に現れた。内容は、山東条項を一部「換文」扱いに変更、旅順・大連の租借期限を民国八十六年(西暦一九九七年)、南満鉄道を民国九十一年(一九〇二年)、安奉鉄道を民国九十六年(二〇〇七年)まで延長、南満洲での日本人の土地賃借・所有、警察・課税の日本領事管轄、指定鉱区の採掘権付与、鉄道・借款での日本優先権、東部内蒙古での同種の優先権などを盛り込むもので、第五号は「陸総長の言明」という形に格下げしつつ実質維持しようとするものだった。
- 陸徴祥は第五号を「言明であって承認ではない」と抗弁したが、日置益は「これが最終修正案であり、全面同意すれば青島を返還する」と迫り、返答を急かして席を立った。
評語
- 本回は日中交渉の口頭・書面のやり取りを簡潔に辿り、外交当局の忍従ぶりと日置益の威圧的な手法を活写している。筆者は、国民に本来公開して共に対抗策を練るべき国家的難題を、政府と日本側とが互いに秘密裏に取引した点を強く批判し、政府の弱腰と同時に国民の萎縮・空威張りも共に反省すべきだと結んでいる。