民國演義第四十二回 廿一款、強を恃み諾を索め、十九省、約を拒み連名す (廿一款恃強索諾 十九省拒約聯名)
日置益公使の直談判
- 民国四年一月十八日、日本公使日置益が袁総統に直接面会し、対華要求の条件書を手渡した。袁は難色を示すが、日置益は「排日派」との噂を挙げて牽制し、亡命中の反袁分子を暗に匂わせて圧力をかけた。袁は外交総長との協議を理由にその場をしのいだ。
- 日置益は続けて外交総長孫寶琦にも「秘密厳守」を求めて同じ条件を提示。孫は総統との協議を条件に持ち帰るしかなかった。要求内容を各国に隠したまま既成事実化しようとする日本の狙いが読み取れる、と筆者は指摘する。
陸徴祥への交代と非公式交渉
- 国務卿らを集めた秘密会議で、段祺瑞は即時拒絶を主張したが、徐世昌は穏便な交渉継続を説き、孫寶琦は自ら辞意を示して陸徴祥への交代を提案。陸徴祥が外交総長に、曹汝霖が次長に就いた。
- 二月二日、迎賓館で非公式会談が始まる。曹汝霖が「民主国家である以上、国民の反発を招く」と述べても、日置益は「総統が全権を握っているのに国民を持ち出すのはおかしい」と冷笑。陸徴祥は他国との摩擦を懸念して慎重姿勢を貫いた。
- 英仏露との協約の縛りから、日本は当初十一箇条のみを列強に開示し、残り十箇条は伏せていた。三月三日の第六回会議では日置益が態度を硬化させ、山東問題の即時承認を迫ったが、陸徴祥は「欧州大戦の解決後に」と応じず、決裂含みの応酬となった。
二十一箇条の内容が発覚
- 交渉が難航する中、日本政府は自ら列強に条件を通告し、外国紙を通じて内容が明るみに出た。以下、五号二十一款の要旨。
- 第一号(山東関係、四款): ドイツが山東で有した権益をすべて日本に継承させ、沿海・島嶼の他国への割譲を禁じ、煙台・龍口と膠済線を結ぶ鉄道の建設権を日本に与え、山東の主要都市を通商港として開放する。
- 第二号(南満洲・東部内蒙古関係、七款): 旅順・大連の租借期限と南満洲・安奉両鉄道の期限を九十九年に延長し、日本人に土地の借用・所有権、居住・営業の自由、鉱山採掘権を認め、鉄道借款や課税を担保とする借款には日本の同意を要件とし、政治・財政・軍事顧問の招聘は日本に優先させ、吉長鉄道の経営を九十九年間日本に委ねる。
- 第三号(漢冶萍公司関係、二款): 同社を日中合弁事業とし、日本の同意なしに処分・近隣鉱山の開発をさせない。
- 第四号(一款): 中国沿岸の港湾・島嶼を他国へ割譲・貸与しない。
- 第五号(七款): 中央政府への有力な日本人顧問の任用、日本の病院・寺院・学校用地の所有権、警察の日中合弁化、軍需品の対日依存、武昌—九江—南昌—杭州・潮州間鉄道の権益、福建省の鉄道・鉱山・港湾整備への日本優先権、布教権の容認など、事実上中国の主権を大きく制約する内容だった。
- 特に第五号は中国を日本の保護国同然にするものだと国民が受け止め、血書上訴・断指演説・献金運動・日貨排斥・民団組織など各地で激しい抗議運動が起こった。海外の世論も日本を非難したが、袁総統は表向き平然として新たな叙任を続けた。
- 三月五日以降の正式交渉で、陸徴祥らは第一〜三号の一部を条件付きで認める姿勢を示したが、日置益は満足しなかった。政府は各省に「主権は譲らない」と伝えたものの、譲歩の噂が広まると、江蘇将軍馮国璋が十九省の将軍を糾合し、断固拒絶を求める連名電を中央と外交部に送った。長江巡閲使張勲や広東の龍覲光らも同調し、陸軍総長段祺瑞は主戦論を唱えた。
評語
- 日置益が条件書を外交部を通さず直接袁総統に手渡したのは、帝政実現の見返りとして袁個人と取引しようとした証だと筆者は見る。袁が「秘密」を条件に交渉を進めたにもかかわらず、外報を通じて内容が漏れ世論が沸騰したのは、まだ天下に公道が残っている証左だとし、十九省将軍の連名拒絶にその表れを見出す。にもかかわらず袁が翻然と改めなかったことを、筆者は「愚」と断じ、日本の威嚇がいよいよ強まる原因になったと嘆いている。