民國演義第四十一回 また世襲を謀り内府に名を蔵し、私財に恋し外交釁を啓く (又謀世襲內府藏名 戀私財外交啟釁)
青島陥落
- ドイツ軍は青島でわずかな兵力ながら抗戦したが、日本艦隊は膠州湾突入に手こずり、龍口に上陸して濰県方面から背後を突く形をとった。龍口・濰県一帯は中国領内であり日本軍の進駐は中立違反だったが、日本側は「いずれ青島は中国に返還する」と言い逃れ、袁総統も日本の力を頼みたい思惑から黙認し、両軍の間に中立地帯を設けて日本軍の通行を許した。
- 三か月余りの攻防の末、ドイツ軍は弾薬・援軍が尽きて降伏し、青島は日本の手に落ちた。
大総統選挙法の改定
- 袁総統は共和を装いながら復辟論者・宋育仁を追放する一方、王闓運らの君主立憲論には表向き反対しつつ、水面下では帝政準備を進めた。
- 民国三年末、新たな「大総統選挙法」を公布。要点は、大総統の任期十年で連任制限なし、後任候補三名を現職総統自身が推薦して金匱に密封しておく仕組み、選挙会は参政院・立法院からの互選議員で構成、というもの。実質的に総統職の世襲・終身化を可能にする内容で、清朝雍正帝の建儲法を模したものだと筆者は評している。世間では黎元洪や袁の子息らの名が推薦候補と目された。
- あわせて国璽制度を新設し、国璽・封策の璽・栄典の璽の三種を定めた。印を璽と改めたこと自体が帝政志向の表れだと評される。
年頭の恩典と対日不安
- 民国四年の元旦、徐世昌を上卿とするなど新官制に基づく叙任が行われ、学校での論語・孟子必修化や反乱者への自首特赦令なども発せられた。
- 白狼の乱も鎮まり内憂は一段落したが、日本は青島占領後も撤兵せず、行政・営業権まで掌握しようとした。袁総統は青島のドイツ資本銀行に帝政準備金として預けていた巨額の私財(約二千万マルク)を日本に奪われることを恐れ、山東の戦域撤去を求める通牒を英独日三国に送る。
- これに対し日本政府は「大日本帝国も貴殿の力になれる」と含みのある回答を寄せ、袁は顧問の有賀長雄や日本武官と密議し、駐日公使陸宗輿にも日本内閣への働きかけを命じた。
二十一箇条の伏線
- 当時の日本首相大隈重信は、この機に乗じて元老院で対華要求(二十一箇条)をまとめ、援助の見返りとして袁に突きつけようとしていた。筆者は、日清戦争前の朝鮮公使時代に日本と対立した袁の経歴や、日本人著作『支那分割之命運』が袁を酷評していた事実を挙げ、その袁が今また日本に頼ろうとする愚を皮肉っている。
評語
- 新選挙法により総統は事実上終身・世襲の地位を得ており、皇帝と大差ないはずなのに、なぜ人目を忍んで日本に助けを求め、かえって軽んじられるのか。帝政への執着に取りつかれた袁の心中を、筆者は「人欲勝ちて天理泯ぶ」と評し、その智謀も所詮は迷妄にすぎないと断じている。