民國演義第三十一回 党人を逐い各省廓清し、囲城を下し三日大いに掠む (逐黨人各省廓清 下圍城三日大掠)

南昌の陥落と李烈鈞の敗走

段芝貴・李純の軍は湖口を奪還した勢いで南昌に迫った。李烈鈞は吳城に退いて軍資を強要するが、北京政府は歐陽武の護軍使を罷免し逮捕を命じたため歐陽武は逃亡。李烈鈞が南昌に迫ると住民は動揺し、代表を送って三十万元を差し出して入城を思いとどまらせた。しかし李純軍の攻撃を受け李烈鈞は支えきれず敗走、南昌は李純によって収復された。

安徽・福建・広東の平定

安徽では柏文蔚が入城したが、部下の胡萬泰が離反して柏の罪状を挙げて追放。柏は蕪湖へ逃れ、胡萬泰は独立を取り消して段芝貴に投降した。倪嗣衝が正式に安徽都督に任じられ、蕪湖に残っていた抵抗勢力も鎮圧されて安徽は平定された。福建では都督孫道仁が師長許崇智を独立の首謀者として切り捨て、独立を取り消して中央に服従。広東でも独立を巡る内紛の末、龍濟光が新都督として着任し収拾された。

湖南・長江流域の動き

湖南では蔣翊武が北伐を唱えて荊州方面を攻めるが黎元洪配下の軍に撃退され、武漢での秘密工作も摘発された。都督譚延闓は黎元洪の説得に応じる姿勢を見せ、江西の敗報を受けて蔣翊武らも逃亡し、湖南も鎮まった。

南京・何海鳴の抵抗

長江流域でなお抵抗を続けたのは南京に拠る何海鳴のみだった。何は唐辰・劉杰らを配下に置き、成敗を度外視して孤軍を率いた。馮国璋・張勲の軍は南京攻撃を進め、激戦の末に紫金山・天保城を巡って攻防を繰り返す。柏文蔚が南京に入り一時抵抗を助けたが、包囲が強まる中で都督位を押し付けられた末に密かに脱出。何海鳴は死守を誓うが、軍資窮乏の中で商会に金を強要し続け、市中は恐慌に陥った。

南京陥落と三日間の大掠奪

八月末、北軍の攻撃はいよいよ激しくなり、九月一日、城壁が砲撃で崩され張勲・雷震春の軍が突入。何海鳴は南門から脱出し、後に海外へ亡命した。入城した北軍将兵は「捜索」の名目のもと各戸に押し入り、金品を略奪し、抵抗する者は斬殺。とりわけ婦女への暴行が横行し、住民は西洋人教会に殺到して保護を求めるほどの惨状となった。三日間にわたる掠奪・暴行は、揚州十日・嘉定三屠にも比される凄惨さであったと記される。

評語

清末の失政が革命を招き、当初は美名として歓迎された革命も、共和成立後の民衆の苦しみはかえって深まった。李烈鈞・柏文蔚・黄興らは革命の幸福を望みながら、袁世凱の専権に反発して再挙兵したが、数十日を経ずして瓦解した。辛亥革命とは正反対の結末である。これは民心が動乱を厭い、また袁氏の実像を見抜けぬまま党人が孤立したためであった。