民國演義第二十八回 退位を勧め孫袁悪を交え、独立を告げ皖粤鑣を連ねる (勸退位孫袁交惡 告獨立皖粤聯鑣)
徐州の攻防
- 徐州第三師師長冷遹は張勲軍と交戦するが、済南から来援した田中玉軍との挟撃を受けて敗走。負傷しつつ再戦するも再度敗れ、張勲軍は徐州を占拠した。
湖口包囲と孫文の勧告
- 九江では段芝貴・李純の北軍が湖口を包囲し、李烈鈞は苦境に陥る。討袁軍は岑春煊を大元帥に推すが態度が煮え切らず、孫文は各省への通電で袁世凱に対し、民意に従って辞職するよう訴えた。
- 孫文は袁総統への電文でも、宋教仁暗殺・違法借款・無断出兵などを列挙し、辞職こそが唯一の道であると忠告した。
- 袁総統はこれを黙殺し、正式総統選挙まで退位しないと表明。蔡元培・汪兆銘・唐紹儀らの退位要求にも同様に応じなかった。世論の多くは第二革命側を「乱党」と見なし、袁を支持する空気が広がった。
安徽・広東・湖南・福建の独立
- 安徽では署督孫多森が南京独立の報を受けて動揺し、都督を柏文蔚に譲ろうとするが混乱の中で逃亡。蕪湖の龔振鵬は独立を宣言し、大通の塩税収入を略奪するなど混乱が拡大した。柏文蔚が帰還して都督に就き、討袁の兵を集めたが、袁は倪嗣衝に討伐を命じた。
- 広東都督陳炯明も独立を宣言。議会で抵抗する議員を刀で威嚇して従わせ、粤総司令を自称して兵を送った。袁総統は龍済光を鎮撫使に任命して討伐させた。
- 湖南の譚延闓、福建の孫道仁も軍部の圧力により、不本意ながら独立を表明。重慶の熊克武も独立した。
評語
- 孫文の退位勧告は、退く気のない袁に対しては効果がなく、かえって全権剥奪という結果を招いた。もし袁が後に帝制を志向せず本性を隠し通していれば、孫文・黄興らは永遠に「乱党」の汚名を着せられたままだったろう。
- 柏文蔚・陳炯明らの性急な行動も、軽率さゆえに自ら破滅を招いたものであり、意気に任せた行動の危うさを物語っている。