民國演義第二十六回 暗殺党、湖北に駢誅され、討袁軍、江西に幟を豎つ (暗殺黨駢誅湖北 討袁軍豎幟江西)
宋教仁暗殺事件の余波と国民党への警戒
- 国会成立後も大借款事件・張鎮芳事件への政府の対応はなく、宋教仁暗殺事件の主犯である趙秉鈞・洪述祖らも訴追されないままで、国民党は激しく反発した。
- 袁総統は趙秉鈞を慰撫する一方、密かに国民党を包囲する策を進めた。女学生を名乗る周予儆が黄興の指示で爆弾を運んだと自首し、政府は黄興を京での対質のため召喚しようとしたが、黄興は応じなかった。
- 上海製造局が匪徒に襲われたとされる事件(首謀者・徐企文)を口実に、政府は北軍や海軍を続々と上海へ送り込み、鄭汝成を総指揮官とした。
三都督の罷免と湖北の粛清
- 袁総統は江西都督李烈鈞・安徽都督柏文蔚・広東都督胡漢民を免職し、それぞれ後任を任命。三都督は表向き抵抗せず解任に応じた。
- 湖北では討賊団・誅奸団・鐵血団・血光団などの秘密結社が摘発され、多数の党人が処刑された。武昌では血光団の潜伏拠点も襲撃され、銃撃戦の末に多くが射殺・逮捕された。
- 女性暗殺者蘇舜華が黎元洪暗殺を企てて逮捕・処刑されるなど、女性を含む党人の摘発が相次いだ。
- 漢口租界でも寧調元・熊越山ら要人が拘束され、袁総統は逃亡中の季雨霖らを含む多数の指名手配令を発した。
江西の独立と李烈鈞の挙兵
- 湖北での取締り強化により党人は江西へ流入。黎元洪は歐陽武を江西護軍使として派遣していたが、九江要塞司令陳廷訓の急報を受け、李純の軍を九江に派遣した。
- 歐陽武はこれに反対する電報を送るなど態度が二転三転し、やがて李烈鈞が湖口砲台を占拠して独立を宣言、討袁軍総司令を名乗ったことが判明する。歐陽武・賀国昌らも名を連ねた討袁檄文が発せられた。
- 黎元洪は事態を憂慮しつつも中立を保とうとするが、李純と林虎(李烈鈞派)の間でついに交戦が始まった。
評語
- この回は第二次革命の発端にあたる。周予儆の自首、徐企文の製造局襲撃はいずれも袁側が北軍を各地に配備する口実として機能し、三都督の罷免も国民党の勢力を削ぐ布石だった。
- 三都督が罷免直後に抵抗せず、後になって挙兵したのは愚策に見えるが、これは袁がなお警戒を緩めなかったことの裏返しでもある。袁の計略は巧妙であり、周予儆・徐企文らも実は袁の指示によるものではないかと筆者は疑いを述べている。