民國演義第二十五回 煙は黒幕に沈み空しく弾章を具え、変は白狼に起こり巨禍を成す (煙沈黑幕空具彈章 變起白狼構成巨禍)
王天縦の挙兵と敗走
- 河南省では巡撫寶棻が清朝に忠実で独立を拒み、志士たちは弾圧されて処刑された。
- 嵩県出身の王天縦は俠客肌の人物で、日本留学中に湖南の女学生毛奎英と結婚し、碭山に帰って革命を志す。徒党を集めて悪徳官吏を討ち、俠士と称された。
- 清朝は南北両鎮の軍に王天縦討伐を命じたが、統領謝寶勝の大軍とも互角に渡り合い、碭山を守り抜いた。
- 武昌蜂起後、黎元洪都督の要請で王天縦は大将軍に推され、洛陽へ進撃。数千の降兵を得て陝西救援にも転戦し、潼関を奪還、河南各地を攻略して澠池まで進んだ。
- 議和交渉中、清軍が投降を偽装して奇襲をかけ、王軍は二千余人を失う大敗を喫した。龍駒寨に退いて再起を図り、南陽まで進んだところで清帝退位の報に接し、兵を収めた。
- 袁世凱が大総統に就任すると各省の軍隊削減が命じられ、王天縦の部隊も巡防二営に縮小され、多くが解散させられた。
河南都督張鎮芳の弾劾
- 巡撫寶棻に代わり、袁世凱の縁戚である張鎮芳が河南都督となったが、暴政と搾取により盗賊が横行し、民は疲弊した。
- 長江水上警察庁長の彭超衡らは張鎮芳の六大罪状(言論弾圧、阿片黙認、盗匪の放置、私利による人事、法権の蔑視、冤罪処刑)を挙げ、参議院に弾劾を請願した。
- 参議院は査問の上で弾劾を可決し政府に処罰を求めたが、袁総統は「置不答復」の一言で握りつぶし、張鎮芳の地位は揺るがなかった。
白狼の台頭
- 河南の匪賊は増える一方で、秦椒紅・宋老年・張継賢ら悪名高い頭目が跋扈するなか、白狼(本名白閬齋)が頭角を現す。かつて呉禄貞の部下だったが、呉の死後に挙兵を志し、南北統一で果たせず、王天縦にならって匪賊の首領となった。
- 湖北で改進団事件を主導した季雨霖は失脚して逃亡し、その残党が河南に流れ込んで白狼の勢力に加わった。
- 白狼一味は舞陽の王店鎮、象河関、春水鎮を襲撃し、富豪王滄海(王不仁)の邸を破壊。秦椒紅・李鴻賓らは邸の娘たちを凌辱しようとしたが、白狼はこれを制止し、身代金目的で人質にとどめるべきだと説いた。結局三人の女性を人質に取り、宋老年らも従った。
- 独樹鎮への進撃では、鎮守使代理の田作霖の軍に迎撃され、匪賊は大敗。秦椒紅は負傷後に捕らえられ処刑された。白狼は人質を使って莫大な身代金を得た後、さらに転戦し、団長張敬堯の軍を撃破して兵器・軍資金を奪い、勢力を拡大した。
- 白狼の脅威が拡大する中、張鎮芳はようやく討伐を検討し始めるが、東南で新たな戦乱(第二革命)が起きたため、討伐部隊は南方に転用されることになった。
評語
- 王天縦と白閬齋はともに革命を志しながら、一方は俠士、一方は匪賊となった。その分かれ目は時勢によるものであり、単純な人物の善悪では語れない。
- 河南都督張鎮芳は職責を果たさず盗賊の跳梁を許し、議会の弾劾すら袁総統に黙殺された。私情を優先し公を顧みなかった張の罪は免れず、それを庇う袁の責任も同様に重い。白狼の跋扈もまた、その結果にほかならない。