民國演義第十回 夙約を践み一方解職し、外債を借り四国言を違える (踐夙約一方解職 借外債四國違言)

孫中山、臨時大総統を辞す

  • 孫文は南京で袁世凱の受職と唐紹儀内閣の成立を知ると、参議院に赴いて辞職を宣言し、これまでの政見を述べ立てた。
  • 建国からの三か月をふり返り、革命の目的は国民を挙げて悪政府を倒すことにあったこと、南北の統一と戦事終結が全国民・全軍人の力によって成ったこと、自らの功績とは考えていないことを語った。
  • さらに、中華民国の国民には世界平和を促す使命があるとし、辞職後は一国民として四億の民とともに国家の基礎を固めることに尽くしたいと述べた。
  • 議員一同は拍手でこれに応え、孫文は大総統の印を参議院に返還した。議長の林森は全院を代表して謝辞を述べ、孫文の功績を称え、退任後もアメリカのルーズベルトのように国のために尽力してほしいと願った。
  • 孫文は一礼して退席し、参議院は臨時政府を南京から北京へ移すことを議決した(南京はもとの一都市に戻る)。

内閣・地方人事の整理

  • 袁総統は前陸軍総長の黄興を南京留守に任じ南方軍を統轄させ、唐紹儀を北京へ呼び戻した。
  • 唐は交通総長を兼任できないとして施肇基を交通総長に推薦、参議院の同意を得て袁が任命。これで十部の総長が出そろい、唐総理は王寵恵らを伴い北上した。陳其美のみ上海に残ることを願い出た。
  • 参議院議員も四月末に相次いで北京へ移った。副総統黎元洪は大元帥職を解かれ、参謀総長格の扱いとなった。清朝の総督・巡撫の名も一律「都督」に改められ、内政・地方とも一応整った。

蒙古・チベット問題の伏線

  • 蒙古・チベットの処理は手が回らず、袁総統は使者を送り独立取り消しと中央への服属を勧めるにとどめた。
  • 英露両国はこの機に蒙古・チベットを勢力下に置こうと狙っており、活佛(ダライ・ラマ)らも外国に操られるままで、袁の空文だけで従う気配はなかった(後の伏線)。

兵員整理と借款交渉

  • 袁総統は表向き穏便を装いつつ、内心では兵員削減と借款とを重要施策としていた。革命各軍の兵力は数十万から百万に及び、南北和平後は不要な負担となっていたため、袁は早期の裁兵を望んだ(南軍への警戒も動機であった)。
  • しかし裁兵にはまず資金が必要で、南京臨時政府はすでに借款頼みで、蘇路借款・招商局借款・漢冶萍公司借款で五、六百万両を得てもすぐに使い果たし、さらに八厘軍需公債一億元を発行しても足りなかった。
  • 南京政府解散後の未払い債務は北京政府が負担することになり、南京・上海・武昌がそれぞれ数十万から二百数十万両の未払い軍餉を唐総理に要求した。唐は北京に打診し、袁からは「便宜に処理せよ」との返電のみで、事実上外債に頼るほかなかった。
  • そこで登場したのが四国銀行団(英・仏・独・米)。もとは清の宣統2年、幣制改良・東三省実業振興のための千万ポンドの借款計画に端を発するもので、日露の抗議や武昌蜂起により中断し、四十万ポンドの墊款のみ交付されていた。
  • 民国統一後、借款に長けた袁は改めて銀行団に接近。銀行団側も優先借款権を条件に応じ、まず四十万ポンドの墊款を交付。さらに唐紹儀が南方の要求(五、六百万両)に応じるため、実際には千五百万両もの墊款を求めた(要求額が実需の二倍以上に膨らんでいた)。

華比借款をめぐる紛糾

  • 四国銀行団の条件(担保・監督・用途の逐一報告)が厳しすぎるとして、唐紹儀はベルギーの華比銀行から百万ポンドを借り入れる契約を結んだ(露・英・仏の未加盟銀行が絡んだ折衷案、利息5厘、京張鉄路の余利を担保)。
  • この資金は南京・武昌・上海に配分後すぐに使い果たされた。
  • 四国公使は「唐総理が独断で比国借款を結んだのは、袁総統がかつて約した優先借款権に反する」と抗議。袁は米公使に仲裁を頼み、唐は英・独・仏の公使に低姿勢で謝罪、事情を説明した。
  • 米公使のとりなしでようやく態度が和らぎ、各国は(1)四国銀行団への正式な謝罪、(2)財政予算案の各国への開示、(3)他国からの秘密借款の禁止、を要求。唐はすべて承認し、あわせて比国借款の返還・契約取り消しも約束して収拾した。

借款交渉の難航

  • 袁は比国借款の取り消しを唐に指示したが、ベルギー商人側は容易に応じず、唐は面目を失った。結局、米公使の仲介で英仏が比国系銀行団から手を引き、比国公使も孤立して取り消しに応じたが、墊款百万ポンドの返還を求めた。
  • 唐は改めて四国銀行団と交渉し、六週間で三千五百万両、その後毎月千万両(民国元年6月~10月、計七千五百万両)の供与を求めたが、銀行団は「以前は千五百万両の要求だったのに、なぜ急に数倍に増えたのか」と代表団を派遣して直接詰問。
  • 唐は「遣散軍隊・恩餉のため」「三千万両は必要」などとその場しのぎの返答を重ね、金額の食い違いから銀行団側の不信を招いた。ドイツ華銀行代表は「監督なしには貸せない」と用途の完全監督を要求し、唐がこれを拒むと交渉は決裂、銀行団側は「以後は公使を通じて話すように」と言い残して席を立った。

別ルート交渉と後任への含み

  • 落胆した唐は袁に事情を報告。袁は日本の正金銀行・ロシアの道勝銀行に接触を図ったが、両国は逆に「四国銀行団との約束を破るのは不人情だ」と抗議し、英米両公使を動揺させた。
  • 日露が横から借款に食い込むことを恐れた四国側は、改めて調停を申し出た。袁は表に立たず、再び唐に交渉を委ねたが、唐はこれ以上の難局を避けたく思っていたところに、代役となる人物が現れ、この難題を引き継ぐことになった。

評語

  • 孫中山が約束通り辞職したことは、私利を離れた信義の人であったことを示し、袁世凱の腹に一物ある態度と対照的である。世に「孫文は遊説家であって政治家ではない、袁に力量で及ばぬゆえ譲位した」との説もあるが、むしろ身の程を知り、万民の命を私権の争いに賭けなかった智と仁こそ評価すべきである。
  • 財政窮乏の中、袁・唐両人の借款交渉がいかに苦難に満ち、外国銀行団の要求がいかに苛烈であったかを見れば、袁が借款成立を「快事」とするのはかえって浅薄であり、就任早々に全国の債務を一身に背負い込んだにすぎない。著者は「袁こそ愚者であり、孫中山こそ真の智者である」と評す。