民國演義第八回 変不測に生じ蔡使驚きを遭い、喜び期の如く袁公就任す (變生不測蔡使遭驚 喜如所期袁公就任)
専使と袁世凱の国都論争
蔡元培・汪兆銘・宋教仁は袁世凱に謁見し、孫文の書簡と参議院公文を渡す。袁は「北方の情勢が定まらぬうちは南下できない」としつつ、国都は北京にすべきだとの持論を語る。
宋教仁の南遷論
血気盛んな宋教仁が「民意を尊重するなら北京に固執すべきでない」と強く反論。北京は列強公使館の勢力圏に囲まれ危険であり、明太祖の南京統一の先例もあると説き、袁が北京にとどまれば劉裕・蕭道成のような簒奪者と見なされかねないと厳しく言い放つ。唐紹儀が仲裁に入り、袁は「北方が落ち着けば南下する」と応じ、宴席が開かれる。
蔡元培らの人物評
宴席後、汪兆銘・宋教仁は袁の本心を測りかね、蔡元培は「彼は詐を用いるが、我は誠を尽くす」と述べる。宋教仁は袁の狡猾さを警戒し、南下は望み薄だろうと予測する。
北京兵変の勃発
その夜、突如銃声と火の手が上がり、宿舎の壁に流れ弾が撃ち込まれる騒ぎとなる。「南使のせいで袁大人が南へ行かされる」と叫ぶ兵士の声が聞こえ、蔡・汪・宋の三人は命の危険を感じ、裏の土壁を突き破って脱出する。
袁邸への避難
三人は路地を抜けて袁世凱の邸に逃げ込む。袁は落ち着いた様子で三人を出迎え、酒肴でもてなしながら「取り締まりを命じたが手が回らなかった」と釈明する。夜が明ける頃には騒ぎは収まったと報告が入る。
天津・保定への波及と南京側の譲歩
翌日、天津・保定でも同様の兵変が起きたとの報が届き、蔡元培らは袁の南下を強要できないと判断する。日本や各国公使館が北京への増兵を検討しているとの情報もあり、蔡は「北京で政府を建てるのもやむを得ない、中国統一が実現すればよい」と南京へ打電し、事実上北京建都を容認する。
袁世凱、北京にて臨時大総統に就任
南京参議院は3月6日、袁が北京で就任し、就任後の宣誓・国務員人事を経て南京で政権を引き継ぐという6箇条の妥協案を可決する。3月10日、袁世凱は北京で臨時大総統に正式就任し、共和の精神を発揚し憲法を守る旨を宣誓した。
評語
著者は、北京から天津・保定に及んだ兵変は袁世凱の指図によるものと断じる。専使が到着した途端に騒動が起きたのは偶然ではなく、後年の帝制事件で楊度の献策による兵変扇動が明らかになったことも傍証になるという。表向き丁重にもてなしながら裏で策を弄した袁の言動を、後世から見れば見え透いた芝居であったと評している。