明季南略宏光出奔 戊子年 1648年

華允誠、跪かずして死す

  • 華允誠は常州無錫の人、天啓二年(壬戌)の進士。魏忠賢一派の弾圧を経て崇禎年間に復官、温体仁・閔洪学ら権臣の不正を厳しく弾劾したことで知られる。弘光朝でも吏部験封司員外郎に起用されたが、時局の乱れを嘆き辞任、南京陥落後は三年間門を閉ざして過ごした。
  • 戊子(1648年)、隠棲先で娘婿が薙髪していないことを密告され連座、巡撫土国宝の薙髪勧告にも従わず、南京へ送られ清将の前でも跪かず、処刑された。従孫の尚濂も同日、わずか十九歳で共に殺された。
  • 華允誠は理学に通じ、師の高攀竜(忠憲)から「心は虚のごとし、本来生死なし」との言葉を授かり生死の境地を悟ったと伝わる。