明季北略思宗烈皇帝 巻頭(諡号について)
- 思宗(崇禎帝)は光宗の子、熹宗の弟。天啟七年八月に即位し、翌戊辰年より崇禎と改元した。太祖が洪武と建元した戊申年から数えて二百六十年、在位十七年で甲申の変に殉じた。
- 弘光朝の礼部尚書顧錫疇は廟号を思宗烈皇帝、周皇后を孝節皇后と議定したが、忻城伯趙之竜は「思」の字が良い字でないと異議を唱えた。乙酉二月、礼臣管紹寧は毅宗烈皇帝への改諡を請うた。
- 清朝の摂政王が北京入城後、明の旧臣李明睿に諡号を議させ、懐宗端皇帝・周后を烈皇后と定めた(清の記録ではこれに従い懐宗と称する)。民間では思宗、あるいは毅宗と呼ばれることが多い。
- 著者は、諡法によれば「懐」「端」はいずれも夭折や悲運の君主に付される字であり、社稷に殉じた先帝にふさわしくないと論じ、李明睿が明の旧臣でありながら美諡を選ばなかったことを批判している。また、太祖が建元した戊申年に始まり崇禎が甲申年に終わる明朝の巡り合わせにも感慨を記している。