明季北略清朝建元 神宗 萬暦四十三年 1615年
梃撃青宮の一件
- 五月初四、素性不明の男(張差)が東宮に押し入り、棒で守門の内侍を打ち倒した。取り押さえられ刑部で取り調べを受ける。
- 御史劉廷元は狂人の仕業と見立て、刑部郎中胡士相らも風癲(精神錯乱)と判断したが、提牢官王之寀がさらに追及したところ、鄭貴妃宮の宦官龐保・劉成の指嗾によるものとの供述が出て、鄭国泰にも疑いが及んだ。国泰は自ら弁明の掲示を出した。
- 科臣何士晉が徹底追及を求めたため、神宗は激怒して百官を召し、「張差ら関係者だけを速やかに死罪とし、他の者に累を及ぼすな」と命じ、太子の手を取って群臣に「この子は孝行者だ、私は深く愛している」と示した。
- 御史劉光復が感激のあまり声高に神宗と太子を称える言葉を発したところ、誤解した神宗の怒りを買い、杖責を受けた。
- その後、張差は市中で処刑され、龐保・劉成は宮中で密かに処断されて事件は落着した。取り調べにあたった王之寀は罷免され、何士晉は地方官に転出させられた。