舊五代史卷一百三十五 僭偽列傳第二 劉晟

簒奪と専制

  • 晟は陟の第二子である。偽って勤王に封じられ、また晋王に封じられた。玢の即位後の淫虐に人々は皆苦しんでいたところ、晟は弟の偽越王昌らと同謀して玢を弑して自ら帝位に立ち、応乾と改元、また乾和と改めた。晟は率性荒暴で、志を得た後は専ら威刑をもって臣下を御し、旧臣及びその昆仲を多く誅滅し、数年の間に宗族はほとんど絶えた。また生地獄を造り、湯鑊・鉄床の類をすべて備え、人に小さな過ちがあってもその苦を被らせた。
  • 湖南の馬氏の兄弟が争乱を起こすと、晟はその隙に乗じて兵を遣わし桂林管内の諸郡及び郴・連・梧・賀等の州を攻めことごとく克ち、以後、南越の地をすべて有した。周顕徳5年(958年)秋8月、晟は病により卒した。偽って文武光聖明孝皇帝と諡し廟号を中宗、陵を昭陵とした。この歳、晟は6月望夜に甘泉宮で宴を催したが、その夕、月に蝕があり牛女の度に在ったという。晟は自ら占書を見た後にこれを地に投げつけ「古来どうして長く存する者があろうか」と述べ、以後長夜の飲を恣にし、まもなく卒した。