舊五代史卷十三 梁書第十三 蔣殷

徐州での自滅

  • 蔣殷は出自不明。幼くして河中節度使王重盈の家で育てられた。天復初年、太祖の蒲・陝平定を機に大梁に移り、宣徽院使に至った。
  • 庶人友珪の簒立に与し、乾化三年(913年)秋、末帝が福王友璋を徐州に置こうとしたのに抗して籠城したが、従弟の王瓚が「殷は本来王氏でなく蒋氏である」と上奏したため官爵を削られ、牛存節・劉鄩に討たれた。淮南の楊溥に救援を求め朱瑾が来援したが敗れ、貞明元年(915年)春、徐州は陥落し、殷は一族もろとも自ら火を放って屍を焼いた。